竹原に来ています。
さっきから iPhone で写真をアップロードしようとして悪戦苦闘しているのですが、サイズが大きすぎるとのエラーが出てしまいます。
仕方がないので、いったんツイッターに投稿したものを保存して再度アップロードすることにしました。
これだと、ツイッターのアプリがうまい具合に縮小してくれます。
やはり、出先からのブログ更新は難易度が高いですね。
明日は、四国にまで足を伸ばしてみようと思います。
竹原に来ています。
さっきから iPhone で写真をアップロードしようとして悪戦苦闘しているのですが、サイズが大きすぎるとのエラーが出てしまいます。
仕方がないので、いったんツイッターに投稿したものを保存して再度アップロードすることにしました。
これだと、ツイッターのアプリがうまい具合に縮小してくれます。
やはり、出先からのブログ更新は難易度が高いですね。
明日は、四国にまで足を伸ばしてみようと思います。
休みが取れたので、急遽一泊で広島県の竹原に行ってみることにしました。だいたい旅行の時は予約投稿しておくのですが、今回はちょっと時間がないので無理です。
旅の様子は後日報告します。
余裕があれば、現地から iPhone で投稿を試みるかも。
ここに書くのが遅くなりましたが、先週の日曜に国東半島へツーリングに行ってきました。14人のグループです。
まずは中津城に寄りました。やはりというか、大河ドラマの黒田勘兵衛ゆかりの城ということで旗や幟が立っていました。お城の写真はありふれているので、隣の中津神社の写真です。
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国東半島をぐるっと回って山の方に入ります。
途中で見かけた名も知らぬ山寺です。風情があります。
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その後、英彦山のあたりを通って安心院(あじむ)のワインセラーに寄りました。もっとも、飲むわけにもいかないので、お土産を買っただけです。
かなり険しい山道が多く、他の人は大型バイクだし腕も良いのでついていくのが大変でした。ただ、どうも地理に疎いもので、どの辺を通ったのか正確には分かっていません。
帰り着いてから、「野峠はどうだった?」と聞かれて「えっと、どの辺が野峠だったかよく分かりません!」と答えてみんなに笑われました。
まあ、でも、そのくらいの方がかわいげがあって良いんじゃないでしょうか(笑)
たまたま近くを通りかかったので、木屋瀬(こやのせ)という昔の宿場町に立ち寄りました。
江戸から長崎へ向かう長崎街道のうち、筑前国にあった宿場を筑前六宿といい、以前に紹介した赤間宿もその一つです。今回の木屋瀬の方が有名で保存状態も良いですね。
古い塀の前で。
懐かしい形のポスト。もっと宿場らしい写真を撮れればよかったのですが……。
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他にも、郷土資料館があり、また、古民家の幾つかは年に一度公開されるようです。ただこの日はもちろんそうでなく、資料館を訪れる時間もなかったので、早々にこの地を後にしました。いずれまた時間を取って行ってみたいですね。
バイクがあると物見遊山が捗ります。
先日の阿蘇に引き続いて今日(18日)は国東半島の先にある姫島に行ってきました。
豊後高田を過ぎてからは、このように海岸線を走ります。景色は良いし道は空いてるしでツーリングには最適です。
伊美港から船に乗ります。
バイクごと運んでもらうこともできますが、ご覧のようにあまり大きな船ではないし、地元の人達の生活航路ですから邪魔になってはいけないと思い、今回は人間だけで乗りました。
結果的にこれが正解で、見ていると車はかなりの急坂をバックで入れないといけないので、慣れないと手間取りそうです。バイクの場合バックできないので中でUターンすることになります。
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20分ほどで島に着きます。港を出てすぐのお土産屋さんで自転車を借り、島の中を回ってみました。
観音崎と呼ばれる岬です。
大帯八橋社。朱に塗られた門が南の島らしい風情ですね。脇には日露戦争凱旋碑がありました。島からも出征した人たちがいたのでしょう。
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島の東部にある灯台にも行きたかったのですが、借りた自転車は変速機がついていない、いわゆるママチャリでスピードが出ないし、帰りの船の時間との兼ね合いもあって諦めました。
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イザナギ・イザナミが天沼矛で海をかき混ぜ、矛から滴り落ちた潮が島になったという、あの「国産み」の神話で、「女島」として記されているのが姫島だと言われています。小さいけど古くから知られた由緒ある島です。
阿蘇に行ってきました。随分と久しぶりです。
行きは高速を使わず、大分県の日田を通って行きました。険しい山を這うように走ります。その昔、漢を興した劉邦が張良の策を容れて蜀へ向かう桟道を焼き払ったと史記にありますが、それを彷彿とさせるほどです。
大観峰からの眺め。外輪山に囲まれた地形であることがよく分かります。
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麓へ降りて、「阿蘇神社」へ向かいました。
地味ながらも風格のある門です。ただ、写真で見ると扁額の「ざぶとん」が片方無くなっているのが気になりますね(笑)
注連縄もかなり太く立派なものです。
神社の池に生えていたこの花、水芭蕉に似ていますが、和名をオランダカイウといい、園芸ではカラー (calla) と呼ばれるそうです。よく見ると蠅がとまっています(笑)
写真が多いので、続きは後日。
大宰府周遊の三回目は天満宮です。
参道にはお店が立ち並び、名物の「梅ヶ枝餅」をはじめ、様々なお土産を売っています。なかなかの繁盛ぶりです。
「五卿迭蹟」と読めます。金泥が鮮やかです。「赤間宿」にも似た様式の碑がありました。文久三年八・一八の政変で京都から長州へ亡命した七人の公卿のうち一人は病没し、また一人は長州に留まりましたが、他の五人は赤間を通って大宰府に辿り着きました。五人は後に赦免され、明治政府の要職に就きました。
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豪華な拝殿ですね。
朱塗りの橋は俗に「縁結び橋」または「縁切り橋」などと呼ばれ、意中の人と一緒に渡ると縁を結んだり切ったりできるという便利な代物です。
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東風ふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ
あまりにも有名な歌です。解説の必要はないでしょう。