中年の読書

昔、福岡市中央区六本松にあった九大教養部の図書館に「学者如登山」と書かれた額がありました。郭沫若の揮毫によるものです。

「学ぶは山を登るが如し」。

誰だったか忘れましたが、「読書は登山であってピクニックではない」と言った人もいました。登山とピクニックとの違いは道具や訓練を必要とするか否かでしょうが、その観点からすれば、登山型読書はかなり危険なものといえます。特殊な思想に染まって戻ってこれなくなる人もいますしね。

私も以前は登山型に挑戦してずいぶん難しい本も読んだものです。カントの「純粋理性批判」、ヘーゲルの「歴史哲学講義」。いやあ、難しかった。日本語訳ですから言葉の意味は分かるのですが、頭に入ってきません。今では何が書いてあったかすっかり忘れてしまいました。

人生の一時期、身の丈を超える程の本に挑戦するのは必要なことだと思います。言わば「青年の読書」です。理解できれば良し、学者かそうでなくてもひとかどの人物になれるでしょうし、理解できなくても、己の限界を知ることが出来ます。

ただし、中年を過ぎるとそうもいきません。20歳でドストエフスキーを読む人はたくさんいますが、40歳で読む人は専門家を別にすれば殆どいないはずです。少なくとも私には無理です。

なので、これからは「中年の読書」をしようかと思っています。具体的には山本周五郎、司馬遼太郎、池波正太郎、松本清張など。これらの本が簡単というわけではありませんが、哲学書や外国文学と違い特別な努力を払うことなく読めるし、なんと言っても「おじさんの必須科目」みたいなものですから。

私がハナちゃんに勝った瞬間

犬は人間や他の犬と相対すると、瞬時に彼我のいずれが優位かを判断し、我がまさっていると思えば増長し、彼の方が強いと思えば服従すると言います。

数年前の話です。近所の商店街でよく見かける犬がいました。柴犬で名前はハナちゃんだったと思います。というのも、みんなハナちゃんと呼んでいましたので。

ハナちゃんは柴犬ですから大きくはなく、おとなしい性格でした。商店で飼っていたのかお客さんが飼っていたのか知りませんが、よく店の前の鉄柵に繋がれていました。

ある日、私がその前を通りかかると、ハナちゃんが吠えるのです。「オレは犬に吠えられるほど不審者オーラを出しているのか……」と愕然としつつ、さらに半歩近寄ると、ハナちゃんは今度はころんと横になりお腹を見せたのです。

私がハナちゃんに勝った瞬間です。

恐らく、変なおっさん(私)がそばを通るのに脅威を感じて吠えたけど、いよいよ敵(私)が近寄ってきてもうだめだと思い、服従のポーズをとったのでしょう。

犬の場合、かくの如く上下関係はシンプルです。人間の場合はもうちょっとややこしく、強い者が弱いフリをしたり、弱い者が虚勢を張ったりします。さすがは万物の霊長、と言いたいところですが、自分を弱く見せることで利益を得ようとする輩が多いのには辟易します。「弱者権力」などという言葉を聞くにつけ、ハナちゃんみたいな分かりやすい生き方の方がむしろ望ましく思えてきます。

軽自動車は女性向けという風潮

どうも世の中には「軽自動車は女性向け」というイメージがあるように思います。実際、それを意識してデザインやカラーバリエーションを女性向けにしている車種もあります。

ダイハツ工業は2014年8月26日、軽自動車「ミラ ココア」をマイナーチェンジし、(中略)メインユーザーである女性を強く意識して、3種類の外装デザインや全15色のボディカ ラー、9通りの内装色…(後略)

–おじさんには開発できない、新型「ミラ ココア」の「選ぶ楽しさ」

確かに車体が小さい車は比較的運転が容易ということはあるでしょう。小さい方がかわいいという感性も分かります。しかし、私はむしろ女性には軽自動車乗って欲しくないと思っています。軽自動車はどうしたって安全性で普通車に劣るからです。

もし私たちが原始人なら……

唐突ですが想像してみて下さい。今は原始時代で、我々の部族は女25人、男25人の計50人です。隣の部族と深刻な争いが起きており、戦争は避けられません。この場合、

  1. 男だけで戦う
  2. 男も女も戦う
  3. 女だけで戦う

いずれを選択すると最も部族が存続できる可能性が高いでしょう。もちろん、1. ですね。男の方が腕力が強いということもありますが、より重要なのは男は子供を産めないということです。男ばかりが生き残っても仕方ありません。この観点からすれば、2. も比較的不利と言えます。

つまり、何が言いたいかというと、女の命の方が男の命より重いということです。これは頗る特異な主張ですが、私は正しいと思っています。

恐らく、我々の祖先は現実に1. の選択を行っているはずです。3. を選択する人々の子孫が残っているはずはありません。「アマゾネス」は空想の産物です。

車に話を戻すと、だから女性こそ安全装備の充実した少し大きな車に乗って欲しいのです。今の車はパワステやバックカメラが付いているので大きくても運転は容易です。

一方、男性は軽自動車で十分でしょう。その方がエコですし。

オレが死んだら女房子供が困る? 生命保険にでも入ったら良いのではないでしょうか(笑)

「見下し」の経済

英語で「(人を)見下す」ことを何というかご存じでしょうか。

正解は look down on です。

もちろん、despise など他にも近い表現はありますが、日本語の「見下す」というニュアンスに一番合うのは look down on です。ちなみに、ドイツ語では über die Schulter ansehen、直訳すると「肩越しに見る」と言います。

他の言語にも似た表現があることから分かるように、洋の東西を問わず人は見下したり見下されたりしているのでしょう。

バカって言うやつがバカ=真理

ネット上では相変わらず罵詈雑言が飛び交っており、匿名で他人を誹謗中傷するような書き込みを目にすることもしばしばです。

以前は、「この連中は何と品性下劣なのだろう」と思っていたものです。しかし、最近は品性の問題と言うよりも「自分が言われてイヤだったことをネットで吐き出しているだけではないか」と思うようになりました。

その証拠に彼らは二言目には「バカ」と言います。相手が大学教授だろうと大企業の重役だろうと容赦なくバカ呼ばわりです。何のことはない、日頃周囲からバカにされていることを自ら告白しているようなものです。

「見下し」の経済

人々の知能が正規分布に従うとすれば、人口の半分は知能が平均以下であり、広義のバカに当てはまります。人はずっと見下され続けることには耐えられず、どこかで他人を見下してバランスを取ろうとするのでしょう。

「見下し」は一種の貨幣です。

見下されっぱなしの人は「見下し貧乏」、もっぱら見下す方の人は「見下し長者」。見下し見下されるポイントは美醜、貧富、学歴、人種、性別と多岐に及びます。

「そんなに人を見下そうとしてどうする、空しいだけだろう」という正論が聞き入れられることは滅多にありません。「そんなにお金を欲しがってどうする」と言ってみても、人々の金銭への渇望はなくならないのと同じです。

ことほどさように「見下したい」という欲求は強く、「見下されたくない」という欲求もまた強いものです。

しかし、金銭と同じく、それ無しでは生きていけないというものではありません。まずは自分の心の中にこのような醜い部分があることを認め、それをコントロールすることです。

ゲームの何が悪いかというと、「上達」すること

年甲斐も無くテレビゲームが好きです。以下の文は自戒を込めて書きます。

ひと頃「ゲーム脳」という言葉を良く聞きました。大ざっぱに言うと、テレビゲームばかりやっていると脳がダメになってしまい、アホになるという説です。提唱者の森昭雄氏によると、ゲーム脳の人は「表情が乏しく、身なりに気を遣わない。気がゆるんだ瞬間の表情は、ボーッとしているような印象で、認知症患者のものと酷似している」と、さんざんな言われようでした。

この説自体は学説とは認められず、現在は疑似科学の一種とされています。少なくともゲームで脳が壊れることはありません。

それでも悪影響はある

しかし、では、いくらゲームをやっても良いのか、ずっとやり続けて良いのかと言えば、それは違うでしょう。

端的に言って時間の無駄だし、目も悪くなります。それだけなら読書も映画鑑賞も程度の差こそあれ同じと言えますが、決定的に違うのは、ゲームには「上達」という要素があることです。私の考えではこの「上達」が曲者なのです。

上達、結構ではないか、何がいけないのか? と思われるかもしれません。

実際、何であれ上達するというのは嬉しいもので、できなかったことができるようになる喜び、一言で言えば「進歩する喜び」は人間が経験する感情の中でも最良の部類に入ります。

だから、ゲームばかりしていてはダメなのです。

進歩する喜びを知った気になってしまうから。

ヴァーチャルな「進歩」

ゲーム、とりわけ商業的な動機で開発されたゲームは、まずは目新しく、次に上達することでますます面白くなっていき、最後には飽きてやらなくなる、というプロセスがビルトインされています。

「おっ、なにこれ面白そう」→「俺って上手いかも」→「……飽きた」

みたいな感じです。ちなみに「飽きる」というのは重要な機能で、もし一生遊び続けられてはメーカーは次のゲームが売れずに困ってしまいます。

もっとも、ここで問題視したいのは、上に述べたとおり「上達」ないし「進歩」という体験が意図的に組み込まれていることです。

本来、価値のあるスキルほど上達には努力を要するものですが、ゲームの中では簡単に「俺、上手い」という感覚を味わうことができます。そのように作られているのです。

ギャンブルの場合

競馬で身を持ち崩した人から話を聞いたことがありますが、「この馬は父が〇〇、母が△△で、神経質だが瞬発力があり、苦手な右回りのレースが続いたから最近の成績は振るわないが今度の府中競馬場は左回りなので……」とやたら詳しいのです。

パチンコにはまっている人もそうです。釘がどうの、羽根がどうの、この機種は小当たりが続いたらなんとかのサインとか、とにかくいろいろと「勉強」しています。

ある意味大変な「努力」をしているわけです。向上心があると言っても良いでしょう。しかし、それによって彼らが尊敬を得ることはありません。

テレビゲームには競馬やパチンコのような強烈な「報酬」がないので、人生を台無しにするまでの破壊力はありませんが、本質は同じです。

ゲームの中で努力し、上達し、何者かになったような気分を味わう、それが「報酬」ですが、実際には何者にもなっていないのです。

誰かが金儲けのために作ったゲームで向上心を使い果たしてしまうのは実にもったいないことです。ゲームは気晴らしにとどめ、向上心は自分の人生に対して注ぎ込むのが賢明と言えます。

借金が得になる場合

「お金は借りるものではない、借りると損」と常日頃言っていますがもちろん例外はあります。

  1. 安く借りて高く貸す場合
  2. 将来のインフレ率が借金の利率を上回る見込みがある場合
  3. 莫大な借金を可能とする信用力がある場合

の三つです。

1.は単純です。上は銀行から下は町金まで金融業は皆、低い金利で借りて高い金利で貸してサヤを取っているのはみなさんご存じの通りです。

2.も分かりやすい話で、インフレが進行しているときも借りた方が得です。私の周囲も「住宅ローンの返済がラクになるからインフレ賛成」という声で溢れています(笑)。ただ、その場合、貸す側もそれを見込んで高い金利を設定するので、実際に得をするのは困難です。

3.については古代ローマの権力者カエサルを例に以下で述べます。

借金王カエサル

歴史上カエサルを名乗る者は多く、また西洋では皇帝の異名でもありましたが、ここで言うカエサルはもちろんガイウス・ユリウス・カエサルです。

彼は貴公子的な性格で知られ、奢侈を好んだために若い時分から莫大な借金を作っていました。特にお金を使ったのが女性への贈り物だというのは興味深い話です。

また、ある時など海賊に囚われ、20タレントの身代金を要求されましたが、「20タレントでは安すぎる、50タレントにしろ」と逆につり上げたと言われます。1タレントは人一人の体重(約50kg)に相当する金と同じ価値で、本日(2014年8月24日)の金相場(1g=4,663円)から換算すると2億3315万円に相当します。時代によっても価値は変わりますが、50タレントはとにかくもの凄い額です。

カエサルは単に見栄で身代金をつり上げたわけではありません。その方が自分の命がより安全になると考えたのです。彼は家来を解放させ、その家来に金策させて身代金を作りました。もちろん全て借金です。

匹夫の手にかかって横死するよりは、莫大な身代金を払った方がマシと考えたわけです。

債務者の方が威張る

このように借金は膨らむ一方でしたが、最大の債権者はクラッスス(マルクス・リキニウス・クラッスス)という人物で、彼は第一回三頭政治の一頭でもありました。

普通に考えたら、金を貸しているクラッススの方が立場が上なようですが、彼らの関係は全く逆で、クラッススはカエサルの言いなりでした。というのも、カエサルは「ここで私が失脚したら、あなたは貸し金を回収できなくて困りますよね?」とクラッススを脅していたからです。

当時最も権力を持っていたのはポンペイウスで、カエサルは彼に対抗するために自分の言いなりになるクラッススを巻き込んだのです。

もうお分かりでしょう。「借金も財産の内」とは良く言ったもので、莫大な借金も、ある種の人々にとっては有利なカードとなります。

カエサルほどではなくても、人は「〇〇氏の負債が何億」と聞くと、「それだけ貸してくれる人がいるってだけで大したものだ」と思うものです。

ただし、こういった芸当ができるのはごく一部の才能に恵まれた人々だけで、我々凡人がやっても痛い目を見るのがオチです。

間違っても真似しようとしてはいけません。

ある映画がブームになると見る気がしなくなるという心理

PlayStation Store で映画をレンタルした話をしました。支払いは一旦ウォレットにチャージする仕組みで、最低チャージ額は1,000円なので、映画を一本(500円)だけ借りるとお金が余ってしまいます。

どうもSCEの思うつぼにはまるようで面白くありませんが、放っておいても無駄になるので結局もう一本借りました。『アナと雪の女王』です。

内容については特に語ることはありません。ただ、これだけブームに、しかも「作られた」感じのブームになると、どうも尻馬に乗るようでちょっと見ようか見まいか迷ってしまいます。

流行りすぎると見る気がしなくなる、というのは奇妙な心理ですが、多くの人が感じていることではないかと思います。

以前の私は、自意識過剰と言いますか、流行りモノは意地でも見なかったものです(笑)が、最近は角が取れてきたのかあまりこだわりなく見るようになりました。

それで分かったのは、一世を風靡した作品というものは大抵完成度が高く、見応えがあるということです。やはり天の邪鬼は損です。

もっとも、『アナ雪』はそこまでのものとも思えませんでしたけどね。話題作だからといって全部が全部傑作というわけでもないようです。

万引き映像の公開は是か非か

少し前に、漫画古書店の「まんだらけ」が、防犯カメラに映っていた万引き犯を公開すると予告して話題になりました。

が、警察から公開しないように要請があったそうで、結局は公開されませんでした。この件に関する世間の声の大半は「またも犯罪者の人権が守られ、善良な被害者は泣き寝入りか」といったものでした。

庶民の素朴な正義感からすれば、万引き犯は犯罪者であり、犯罪者に人権はないのであって、公開するなとの警察の要請は余計な干渉であり怪しからんというわけです。

たぶん、問題の映像はバッチリ映っていて誰がどう見ても万引きなのでしょう。ですから、ことこの件に関しては冤罪の恐れはないのかもしれません。

しかし、やはり公開はすべきではありません。こういったことがまかり通ると、堰を切ったように他の業者も真似をするでしょうし、そうなると冤罪発生の可能性も高まります。

冤罪でないとしても、「まんだらけ」が犯人を裁いて良いものでしょうか。彼らの憤りは察するにあまりありますが、映像の公開は私刑にほかならず、許されることではありません。

ではどうすべきかというと、当たり前すぎて言うのも馬鹿らしいほどですが、映像を証拠として、警察に捕まえてもらうのが正解です。

実際、「まんだらけ」はそうしたようで、警察は昨日深夜千葉県内の男を任意同行し、取調中とのことです。

「まんだらけ」が正しい判断をしたことは、なによりでした。

テレビ「名車再生!」で性格判断

ディスカバリーチャンネルでやっている「名車再生!(Wheeler Dealers)」が人気です。のみならず、この番組、性格判断にも使えます。もしご覧になっていたら、次の問いに答えてみて下さい。

問い. 名車再生のビジネスにおいて、マイクとエドのどちらがより重要な役割を果たしていると思いますか?



あなたの性格は……


冗談はさておき、多くの人が、この番組を見て、働いているのはエドだけでマイクは何もしていないじゃないかと思ったことでしょう。私もそうでした。

しかし、売れそうな車を見つけて出来るだけ安く買う、買ってくれそうな人を見つけて出来るだけ高く売るというマイクの仕事は、明らかに名車再生のビジネスにおいて不可欠です。

大企業の社員が、下請けから買い叩く、あるいはブランドのおかげで高く買ってもらえるというのとはわけが違います。あくまでフェアに買って、売らなければいけません。まあ、実際には「番組の力」がないわけではないでしょうが、視聴者が「うわー、ぼったくりだな」と思ってしまうようではダメです。

これってかなり難しいことですよね。

よく、寡黙なエンジニアが冷遇されて、何のスキルもないけどよく喋る奴がトントン拍子で出世することがありますが、必ずしも不公平とばかりは言えません。

「陽気なお調子者」も実は大事な役割を果たしているのです。そう、マイクのように。

確実に男性にモテる方法

念のために言っておきますが「女性が男性にモテる方法」です。

雑誌やWebで、よく「異性にモテるためにはどうたら」という記事を見かけますが、男性向け(女性にモテる方法)を男性が書き、女性向け(男性にモテる方法)を女性が書いているのがほとんどで、少なくとも男性にモテる方法については、はっきり言ってトンチンカンな内容が殆どです。

その点、私は男なので男の気持ちは分かっているつもりです。

ずばり、殆どの男にとって最高の理想は「趣味が語り合える女性」です。世の女性は「どうせ男の人って女の子の見た目ばっかり重視するんでしょ」と思っているようですが、実は違います。ルックスが良すぎるのはむしろ、マイナスポイントでさえあります。男は案外ヘタレなもので、相手が美人過ぎると臆してしまって声を掛けられません。

で、趣味ですが、基本的に、男と女では興味の対象が異なります。全員ではありませんが、大抵の男はスポーツやメカに強い興味があります。

想像してみて下さい。今後のサッカー日本代表がとるべき戦術について延々と語る男。水平対向6気筒エンジンの素晴らしさについて嬉々として語る男。

普通は、女性にそんな話をしてもウザがられるだけ、とされているのでいきなり語ってくる男性は稀でしょう。しかし、本心では好きな女性とそれらについて語り合えたら嬉しいと思っているのです。それもかなり

たぶん、女性の側の心理はこうでしょう。「男性と話を合わせるために関心がない分野の知識を仕入れるのは不純」「そこまでしてモテたくない」。

よく分かります。私もレース編みや刺繍には興味が持てません。しかし、お菓子作りには少し興味があります。思うに世間では男女平等が声高に叫ばれる一方で、「~は男がするもの」「~は女がするもの」という固定観念に囚われすぎているのです。

どうしても嫌なら無理にとは言いません。ですが、男っぽい趣味にそれほど抵抗がないなら、ぜひその路線でやってみてください。そして、できれば本心からそれを楽しんで下さい。

女子力磨くより絶対モテますよ。