昔、福岡市中央区六本松にあった九大教養部の図書館に「学者如登山」と書かれた額がありました。郭沫若の揮毫によるものです。
「学ぶは山を登るが如し」。
誰だったか忘れましたが、「読書は登山であってピクニックではない」と言った人もいました。登山とピクニックとの違いは道具や訓練を必要とするか否かでしょうが、その観点からすれば、登山型読書はかなり危険なものといえます。特殊な思想に染まって戻ってこれなくなる人もいますしね。
私も以前は登山型に挑戦してずいぶん難しい本も読んだものです。カントの「純粋理性批判」、ヘーゲルの「歴史哲学講義」。いやあ、難しかった。日本語訳ですから言葉の意味は分かるのですが、頭に入ってきません。今では何が書いてあったかすっかり忘れてしまいました。
人生の一時期、身の丈を超える程の本に挑戦するのは必要なことだと思います。言わば「青年の読書」です。理解できれば良し、学者かそうでなくてもひとかどの人物になれるでしょうし、理解できなくても、己の限界を知ることが出来ます。
ただし、中年を過ぎるとそうもいきません。20歳でドストエフスキーを読む人はたくさんいますが、40歳で読む人は専門家を別にすれば殆どいないはずです。少なくとも私には無理です。
なので、これからは「中年の読書」をしようかと思っています。具体的には山本周五郎、司馬遼太郎、池波正太郎、松本清張など。これらの本が簡単というわけではありませんが、哲学書や外国文学と違い特別な努力を払うことなく読めるし、なんと言っても「おじさんの必須科目」みたいなものですから。