デジタル放送の録画に関して、著作権団体と器機メーカーとの駆け引きが続いています。現状のコピーワンスがあまりにも使い勝手が悪い、ムーブに失敗してしまうと文字通り元も子もなくなってしまう、と言う点では認識は共通していて、EPNという特定の受信機に限って再生可能な方式でいくのか、それとも所謂ダビング10を導入するのか、その場合録画補償金はどうするのか、といったことが焦点となっています。
世代管理のできないEPNは権利者側の大反対で見込み薄とのことで、ダビング10が導入される公算が大となっていますが、この方式、確かに10枚もコピーできれば十分のようにも思えるものの、孫コピーは一切できないという点でユーザーとしてはなんとも気持ち悪い代物です。加えて権利者団体はダビング10のもとでも録画補償金制度が維持されることを当然の前提としており、同制度の縮小ないし中止を求めるメーカー各社とは真っ向から対立しています。
私たち消費者としては、孫コピーできるに越したことはないし、録画補償金制度にはどうも釈然としないしで、どうしてもメーカーの方を応援したくなります。
が、しかし、ここでは別の視点で考えてみたいと思います。
確かに、権利者団体は、あれもこれもと録画補償金の対象を増やそうとする一方で、がんじがらめのコピーガードを求め、非常に強欲に振る舞っているように見えます。しかも、文化庁等から天下った「理事」とやらがロクに仕事もせず甘い汁を吸っているらしい……。本当に奴ら、ロクなもんじゃねぇ!
と、このように悪者にされがちな権利者側ですが、実は、私は彼らに大いに同情しています。権利者達は、メーカーの猛烈な攻撃を受けているのです。これは戦争みたいなものです。
順を追って説明しましょう。
コンテンツと録画器機とは経済学でいうところの補完財に当たります。補完というと補い合って一人前、仲間、というイメージですが、実際は正反対で両者は敵同士なのです。どういうことかというと、一方の製造者は他方の価格を下落させることによって自らの製品の需要を増すことができるのです。
例えば、自動車とガソリンとは典型的な補完財ですが、ガソリンが安くなればなるほど自動車が売れるのは容易に想像できます。逆に、自動車が安くなればガソリンが売れます。
同様にコンテンツが安価になればなるほど録画器機は売れて、メーカーは儲かるのです。極端な話、コンテンツが全て無料の世界、自由にコピーできる世界こそがメーカーにとって最高の理想です。
何を当たり前のことを、と思われるかも知れません。しかし、考えてもみて下さい。自分の不利益がそのまま相手の利益となるような「敵」がいて、彼らが物凄い勢いで攻撃してくるのを。しかも、彼らは豊富な物量を擁しており、中立だと思っていた第三国(消費者)もどうやら敵方に付いたようです。
ツラいですよね。怖いですよね。権利者たちはまさにそのような恐怖に晒されているのです。(ここでは”権利者”と”権利者団体”を故意に同一視していますが、これは議論を簡単にするためで、もちろん、現実には両者の利益は完全に同一ではありません)
この著作権団体と録画器機メーカーの戦い、今のところメーカー側が巧く攻めているように見えます。権利者側はあまりにも戦い方が下手です。
「録画補償金」はどう考えても筋の通らない制度であって、たかだか総額数十億という規模に過ぎないにもかかわらず、著作権団体=守銭奴というイメージを作り出すのに一役かってしまっています。これに固執するのは実に愚かなことです。
やはり面倒でもコピーするたびにお金を払うようにすべきです。そのかわり、100枚でも200枚でも(枚数に応じた)金額さえ支払えばコピーできるようにする。技術的保護手段が十分強力で、金額が適正ならば、海賊版を防ぎ権利者に十分な利益をもたらす筈です。そもそも、我々消費者が孫コピーなどするのは極めて稀なことで、問題は、必要とあればいつでもそれができるという安心感が欲しいだけなのです。複製が必要ならお金を払う、ということが当たり前になれば、お金を払わずに複製することに対する罪悪感が自然と形成されます。友達にちょっとコピーさせて、などと頼みづらくもなります。
まぁ、言うは易しで実際に上記のようなことを実現するのは非常に困難ではありましょうが、幸い、最近はあらゆることがオンライン化しつつありますので、コピーの再生にはオンラインで買ったキーが必要、という形にすれば不可能ではないのではないでしょうか。
いずれにしろ、筋の通らない録画補償金を払わせられつづけるのだけは御免です。そのようなことになれば、全ての消費者がデジタルコンテンツにそっぽを向くようになり、遠からず文化の衰退を招くでしょう。