すき家は少し値上げしてはどうか

中国期限切れ肉問題でかまびすしい昨今ですが、自分の中では今「牛丼ブーム」です。昔はよく食べていたのに、ここ15年(!)ほどはどういうわけかとんとご無沙汰でした。久しぶりに食べてみると、味よりも安さに驚かされます。

デフレの影響もあるでしょうが、「若者を安くこき使う方法」が進化したことも大きいのでしょう。そう思って店員を観察すると、やはり疲れの表情を隠しきれないようです。接客も心なしか以前よりぞんざいで、カウンターには前の客の食べた丼が放置してあったりします。特に「すき家」。

ブラックぶりがネットでこれだけ話題になると、店員の方でも「ここで働かされてるんだから、この程度のサービスで十分だろう」という意識が生じても不思議はありません。

もはや外食産業がブラック企業的手法で利益を出すのは限界に来ているようです。「金の卵」の若者が少子化でどんどん少なくなるし、社会の目も厳しくなっています。

若者から搾取できなければ、外国人から搾取すれば良いじゃない、ということで実際外国人の店員を見ることもあります。が、中国にはGNPで抜かれ、一人当たりの所得も差が縮まることはあっても広がることはない現在、新興国からの「出稼ぎ先」としての日本の魅力も薄まりつつあります。

私は美味しい牛丼を気分よく食べたいだけなのです。

接客を向上させるには単に時給を上げるだけではなく、教育に時間をかけたり、人員を増やして一人当たりの負担を減らすなど、様々な施策が必要となるのでしょうが、ぜひやってもらいたいものです。

多少の値上げは構いません。そもそもここ数年の激安ぶりが異常なのですから。

バイクのオイル交換

バイクのオイルを交換しました。9,000km で3回目、平均すると3,000kmに1回の頻度で換えていることになります。

四輪の場合、以前は5,000kmで交換と言われていましたが、今は15,000kmくらいもつのはご存じの通りです。しかし、二輪の場合はもう少しサイクルが短く、一般的には3,000kmごとが目安とされています。

オイルの性能が上がっているので、たぶん、二輪でも10,000kmくらいほったらかしで一見変調はないと思いますが、あとあとエンジンの消耗度合いが変わってくるはずです。後悔先に立たずです。

チェーンのたるみやタイヤの空気圧も調整したので、当分快適に乗れると思います。梅雨も明けたようなので週末はどこに出掛けようかと今から楽しみです。

あと何回の晩飯

山田風太郎に「あと千回の晩飯」という本がありますが、私も食い意地が張っているもので、あと何回晩飯が食べられるかしょっちゅう考えています。

平均寿命まで生きるとすると一万数千回の晩飯が食べられる計算です。明日死ぬかもしれぬからそのような皮算用は意味をなさぬ、との批判もありましょうが、何をどのくらい食べるかは人生の一大事ですから、よくよく考えておく必要があります。

回数が限られているから、できるだけ美味しいものを食べるべきなのか、舌が肥えてしまわないように日頃は粗食に甘んじて、偶に美味しいものを食べるべきなのか。

恐らく、後者が良かろうかと思います。毎日が美食三昧だと、感動が薄まってしまいます。私など、幸か不幸かこれまでの人生でロクなものを食べていないので、ちょっとしたことで感動を味わうことができます。「あっ、この肉じゃが、肉が多い」とかですね(笑)

そういう意味で先日の「ハンバーグが美味しくない事件」も、全くの無駄な体験ではなかった、と言えます。

それにしても、あれ、何の肉だったのだろう……

ブルースクリーンの原因を探る

自宅のPC(Windows7)がブルースクリーンで再起動してしまいました。今年に入って2回目の現象で、いささか困惑しています。

とりあえず、BlueScreenViewというアプリで診断してみました。

赤くハイライトされている行が原因と思われるモジュールです。直近のブルースクリーンで作られたミニダンプは ntoskrnl.exe を「犯人」として挙げていますが、このファイルは名前からも分かるようにOSのカーネルで、あまり参考になりません。

そこで、前回のクラッシュレポートを見ると、 ntoskrnl.exe と eqc62x64.sys がハイライトされており、どうやら NIC のドライバが原因らしいと分かりました。とは言え、ドライバは既に最新なので今のところ執るべき手段はなく、様子見です。

今まで調子よく動いていた事から考えると、やはり熱が原因かもしれません。

ハンバーグが美味しくない……

極めて個人的なことで恐縮ですが、さきほど昼ご飯に大手スーパー(名前は伏せます)のハンバーグ弁当を食べました。それがびっくりするほど美味しくなかったことに衝撃を受けたので今これを書いています。

“There is no accounting for tastes.” という諺もあるとおり、味覚というものは主観であって絶対的なものではありません。単に私の口に合わなかっただけという可能性もあります。しかし、私は元々挽肉料理が大好物で、ハンバーグ・ミートローフの類をまずいと思ったことはなかったのです。マクドナルドのハンバーガーも美味しく食べられます。にもかかわらず、美味しくなかったのはよっぽどのことです。

もとより、安いハンバーグには何の肉が使われているか分かったものではない、ということは覚悟していましたが、本気で心配になるレベルでした。普通はソースの味でごまかされるものですが、ごまかしきれていないというか……。

食の安全について考えさせられるひとときでした。

ニートを生む土壌

先ほど近所のピザ屋から電話があり、何かと思えば、以前ウチでピザを注文したときの従業員の対応についてアンケート、とのことでした。

配達に来た兄ちゃんは、ややぶっきらぼうなものの、ごく普通の対応でした。最後に「本日は〇〇ピザをご利用いただきありがとうございました」と、取って付けたように言ったので「ああ、そう言う決まりなのだな」と思ったのを覚えています。

従業員の対応を改善するのは悪いことではありません。

が、この場合、アンケートと言いつつ、最近ピザを注文した世帯を狙い撃ちしているわけで、当然向こうは配達に行った従業員も把握していることでしょう。

つまり、私が「態度が悪かった」とか「ピザが冷めていた」とか「中身がぐちゃぐちゃになっていた」とか言うと、あの配達の兄ちゃんは困るわけです。

ひとごとながら、何とも息苦しいことだなあと同情せざるを得ません。この息苦しさが「働いたら負け」とかいうニート哲学を生むのか、と妙に納得してしまうほどです。

なにも「アンケート」なんかで配達員を締め上げなくても、もし極端に態度が悪かったりすればこちらから苦情の電話を入れます。

対応が「改善」されればピザ屋の利益は増大するでしょうが、恐らくそれが配達員に還元されることはありません。今日、資本家による労働者からの搾取は目に余るものがあります。にもかかわらず、サヨクの関心は憲法9条や集団的自衛権にあるようで、労働者を支援しようとする運動は低調です。

現代の日本で本当に虐げられているのは生活保護受給者でもなければ、在日外国人でもなく、非正規労働者(この「非正規」という言葉が既に差別的で何とかならないかと思いますが、人口に膾炙しているので仕方なく用います)なのですが。

もちろん、「アンケート」には「大変満足した」と答えておきました。良いことをした後は気分が良いですね(笑)

刺青者排除に関する考察

銭湯やプールや海水浴場などで刺青のある人の入場を拒否することの是非がよく問題になります。私の考えは「拒否は正しい」です。

タトゥー、刺青、言い方によって変わる印象

注目すべきは、刺青容認派がこの問題に言及するとき、例外なく「刺青」ではなく「タトゥー」と言うことです。本人が意識しているかは別として、彼らが「タトゥー」という言葉を使うのは「刺青」よりも軽い語感だからです。

さらに言えば、「タトゥー」という外来語を用いることで日本文化を相対化し、日本における刺青への偏見を批判的に捉えようとする意図も感じられます。

確かに偏見はないに越したことはありません。刺青への偏見をなくせという彼らの主張は正しいようにも見えます。が、事はそう単純ではないのです。

やくざ:今そこにある危機

世の中にはやくざと呼ばれる人達がいます。

やくざが刺青をするのはなんのためでしょうか。もちろん、素人を怖がらせるためです。ちなみに若者のファッション・タトゥーも結局は「俺はワルなんだぜ」ということを周囲に知らしめるのが目的と言えます。

素っ堅気の人が体を張った芸術として刺青を入れる例もなくはありませんが、極めて稀です。

想像してみて下さい。スポーツクラブや健康ランドを経営していると、やくざがやってきて「おしぼりを納めさせてくれ」と言うわけです。拒否すると「ウチの若い衆は血の気が多いから何をするか分からんよ」などと脅され、翌日からクラブやランドは刺青のチンピラで溢れ、一般客の足は遠のくのです。

「それならば」と、開明な読者は言うでしょう、「やくざだけを拒否して、ファッション・タトゥーの人は入場させれば良い」と。

しかし、先述したとおりファッション・タトゥーも結局は自らが不良であるという標識なのだし、倶利迦羅紋紋ほどではないにせよ、やっぱり怖いのです。

そして、一番困るのが、やくざから「あいつの刺青は良くて、わしのはいかんのか? おう?」と凄まれることです。

「刺青の人の入場を拒否するのはサベツだ」などと言う人は、そのへんの想像力に欠けると言わざるを得ません。

マオリ族の女性の入場を拒否した支配人は正しい

去年、マオリ族の女性が北海道の温泉で入場を拒否される事件があり、大方の意見は「文化的背景に無理解」というものでした。

しかし、やくざの刺青にも文化的背景はあります。

その刺青の背景を考慮して、あるものは入場可、またあるものは入場不可とすることのほうがよほど差別的です。温泉施設の支配人としては、「刺青のある人は拒否する」というルールを機械的に適用するほかなかったのです。

確かに、海外では普通の人が気軽に刺青をすることもあるし、マオリ族のように民族の誇りと結びついている場合もあります。それはその国の、その民族の文化です。そういう国では刺青のある人の入場を拒否することは「いわれなき差別」として禁じられてしかるべきでしょう。

だからと言って、それをそのまま日本に適用せよというのは、本当に文化的背景に理解ある態度と言えるのでしょうか。否、日本の文化に対する無理解に他なりません。

日本では明らかに刺青は他者に対する威嚇なのです。その現実を無視して「海外では刺青は普通のことだから日本でもそうあるべき」というのはずいぶんと底の浅い議論です。

差別と区別のはざま

かつて刑罰として刺青が行われたことを別にすれば、現在の刺青への偏見はやくざへの偏見です。そして、やくざの存在自体、差別が根底にあります。在日外国人の一部がマフィア化しているのも、同じ理由です。

差別に対抗するために組織を作り、犯罪に手を染め、それがまた新たなる差別を生む。そして、その差別を逆手にとってゆすり・たかりを働く。それがさらなる差別を……。

問題は錯綜していますが、差別が先か、やくざが先かと言えば、差別が先なことははっきりしています。部落差別や民族差別を徹底してなくしていけば、刺青が純粋なファッションとして市民権を得る日が来るかもしれません。

しかし、一番あり得そうなシナリオは、偏見の消滅とともに刺青をする意味もなくなる、というものです。ビビってくれる人がいなければ、誰も痛い思いをして刺青なんてしたくはないでしょう。MRIによる診断が困難になったり、肝炎の感染を招いたりと、刺青は健康にも良くありません。

将来、刺青が市民権を得るか、あるいは消滅するか分かりませんが、それまでは銭湯・プール・海水浴場等で刺青者を排除することは許されるし、また排除すべきであると考えます。

続・バスにゴルフボールを詰める

バスにゴルフボールを詰める話をしましたが、少し説明不足だったかもしれません。

golfball_1

この図のように球を同一平面上に三つぴったりくっつけて並べると、それぞれの球の中心を結ぶと正三角形になりますよね。

球の半径が1ならば、正三角形の一辺は2になります。一辺が2の正三角形の高さは√3です。

golfball_3

上の図の横方向は単純に 球の直径 × 球の数 であり、

縦方向は(球の直径を2とすると)  √3 × 球の数 になっているのがお分かりいただけると思います。

次に上に積んでいく場合です。

golfball_2

このように上に積むと、4つの球の中心を結んだとき正四面体ができますよね。一辺が a の正四面体の高さは、

root6

です。球の半径を r とすると正四面体の一辺の長さは 2r なので、先日書いたように n 個積んだときの高さは

fig2

になるわけです。

でも、入社試験といった少なからず緊張する場面で上記のような考えをまとめるのは難しそうですね。もっと大ざっぱに、( バスの容積 ÷ ボールの体積 ) × 密度 のような計算法を用いるのも一手です。どのみち、ボールの大きさなどは「勘」ですからね。