確実に男性にモテる方法

念のために言っておきますが「女性が男性にモテる方法」です。

雑誌やWebで、よく「異性にモテるためにはどうたら」という記事を見かけますが、男性向け(女性にモテる方法)を男性が書き、女性向け(男性にモテる方法)を女性が書いているのがほとんどで、少なくとも男性にモテる方法については、はっきり言ってトンチンカンな内容が殆どです。

その点、私は男なので男の気持ちは分かっているつもりです。

ずばり、殆どの男にとって最高の理想は「趣味が語り合える女性」です。世の女性は「どうせ男の人って女の子の見た目ばっかり重視するんでしょ」と思っているようですが、実は違います。ルックスが良すぎるのはむしろ、マイナスポイントでさえあります。男は案外ヘタレなもので、相手が美人過ぎると臆してしまって声を掛けられません。

で、趣味ですが、基本的に、男と女では興味の対象が異なります。全員ではありませんが、大抵の男はスポーツやメカに強い興味があります。

想像してみて下さい。今後のサッカー日本代表がとるべき戦術について延々と語る男。水平対向6気筒エンジンの素晴らしさについて嬉々として語る男。

普通は、女性にそんな話をしてもウザがられるだけ、とされているのでいきなり語ってくる男性は稀でしょう。しかし、本心では好きな女性とそれらについて語り合えたら嬉しいと思っているのです。それもかなり

たぶん、女性の側の心理はこうでしょう。「男性と話を合わせるために関心がない分野の知識を仕入れるのは不純」「そこまでしてモテたくない」。

よく分かります。私もレース編みや刺繍には興味が持てません。しかし、お菓子作りには少し興味があります。思うに世間では男女平等が声高に叫ばれる一方で、「~は男がするもの」「~は女がするもの」という固定観念に囚われすぎているのです。

どうしても嫌なら無理にとは言いません。ですが、男っぽい趣味にそれほど抵抗がないなら、ぜひその路線でやってみてください。そして、できれば本心からそれを楽しんで下さい。

女子力磨くより絶対モテますよ。

単位がめちゃくちゃな記事

またも重箱の隅をつつくような話です。

あえてURLは伏せますが、とあるBMW 420i をレビューするページで奇妙な記述を見かけました。

この420iにおいても、184馬力のパワーと27.4kgのトルク。

27.4kgのトルク? kg は質量の単位です。トルクならば kg・m (より正確には kgf・m)または N・mで表すのが普通です。まあでも言いたいことは伝わるので良しとしましょう。

しかし、次の記述は見過ごせません。

それでいて燃費性能も向上し12.0km/hであった燃費が16.4km/hという素晴らしさ。

km/h は速度の単位です。もちろん、km/l の誤りです。

件のページのあるサイトは個人のブログではなく企業が運営する「メディア」です。誰にでも間違いはあるものですが、仕事でやっているならもう少し頑張って欲しいものです。

日の出

山口県下関の豊功(とよこと)神社で日の出を見てきました。

日の出・豊功神社

この場所は初日の出の名所であり、

さしのぼる朝日のごとくさわやかに
もたまほしきは心なりけり

との明治天皇の御製も残されています。

ただ、今の時期は日が昇る位置に陸地があり、日の出を見るのに最適というわけではないかもしれません。それに、今日は水平線上に靄がかかっていて、本来の日の出の時刻から数分待たなければお日様が顔を出しませんでした。

日の出・豊功神社

とはいえ、美しい日の出には違いありません。右の方に見える二つの島は、満珠・干珠といい、その昔、神功皇后が龍神から授かった二つの珠がこれらの島々となったという伝説があります。

豊功神社

豊功神社はとても小さな神社ですが20台分ほどの駐車場があり、今日のように何でもない日ならばふらりと出掛けて行っても大丈夫です。が、元旦はそうはいかず、車を駐めるのはおろか、徒歩であっても見晴らしの良い場所を確保することは難しいでしょう。何しろ名所ですから。

思わず海原雄山に共感する

昼間、国道を車で走っていると奇妙な渋滞に遭いました。もともとそれなりに交通量の多い道ではありますが、ちょうど午後2時前後でラッシュアワーにはほど遠く、普段なら信号2回待ちも稀なのに、4回待っても動きません。

ああ、これは事故かイベントだな、と思いながらのろのろ進んでいると、原因が分かりました。事故でもイベントでもありません。いや、ある意味イベントかな。

道沿いの牛丼屋に夥しい警官がいたのです。

駐車場にはパトカーが止まっていて、入り口は封鎖されており、店の周囲には鑑識係と思われる捜査官が作業をしています。恐らく、強盗事件でしょう。

白バイ警官が交通整理をしていますが、よく見ると道路は1車線たりとも塞がれていません。ですから本来ならば渋滞になるはずはないのです。

ではなぜ渋滞になるかというと、一部のアホが車のスピードを落として、事件を見物するからです。まったく呆れた物見高さです。

徒歩ならまだしも車で、回りの迷惑も顧みずに道を塞いで自分の野次馬根性を優先させるなど言語道断です。

漫画『美味しんぼ』に出てくる海原雄山の「バカどもに車を与えるな!」という台詞を思い出しました。私もまったくの同感です(笑)

大金持ちになる方法

大金持ちになる方法をご存じでしょうか。まずは以下の問いから入ります。

問い. 紀元1年に1マルクを年利5パーセントで貸した人と、同年から毎年8万マルク稼ぎ続けた人とでは、現在どちらが金持ちになっているか。

まず1マルクを年利5パーセントで貸した人の資産は元本合わせて

1*1.05^2013 = 4.509e+042 (マルク)

ちなみに、4.509掛ける10の42乗は、1京の1京倍よりも大きな数です。

一方、地道に年8万マルク(600万円くらい)稼いでいた人は2013年間飲まず食わずで税金も納めずに貯めても、

80000*2013 = 161040000 (マルク)

にしかなりません。1億6千万マルク。大金には違いありませんが、4.509掛ける10の42乗マルクに比べれば無に等しい金額です。

もうお分かりですね。お金を殖やすには人に貸すことです。地道に稼いでいては殖えません。言い換えれば、給与は算術級数的にしか増えませんが、利子は幾何級数的に増えます。

コインみなさんは言うでしょう、「2000年以上も生きる人はいない」「数字だけ増えても貸した相手に資産がなければ返してもらえない」「年5パーセントは高すぎる」「マルクは廃止された」などなど。

確かにその通りですが、複利というものはある時点から直感に反して急激に増え始めるのは事実です。

恐ろしいのは、マイナスの複利も同じように急激に膨らむということです。つまり、借金は放っておくと取り返しのつかないことになります。

複利の持つ恐るべきパワーに気付いて上手く利用するか、気付かずに人に利用されるかはあなた次第です。

迷惑電話が10回以上

自宅では非通知の電話は着信拒否にしています。

拒否する方法は二つあって、一つは電話会社の側で設定する方法、もう一つは電話機の機能を使う方法ですが、ウチで採用しているのは後者です。

ただ、電話機の機能を利用する場合、厳密には着信拒否ではなく、いったん着信をした上で「……186を付けて番号を通知してお掛け直し下さい」のメッセージを流すのですから、実際は通話したことになります。

従って、相手には料金が発生します。非通知とはいえ電話をかけてきた人に一方的なメッセージ(お掛け直し下さい)を聞かせるのみで一切用件を聞かず、相手に料金だけ負担させるのはちょっとわがまますぎるかなと、この設定を続けることに内心ためらいもありました。

しかし、先日「遠慮は無用」と思わせる出来事がありました。

10回以上も連続して非通知で掛かってきたのです。「……お掛け直し下さい」のメッセージが自動的に流れると切れて、すぐまた掛かってきます。実害はありませんが、かなり不気味でした。

有効な番号かどうかを確かめる目的ならば一度掛ければ十分のはずです。また、非通知なので昔流行ったワン切りとも考えられません。

恐らく、無作為に電話をかけまくり、応答があると知らせる(出来の悪い)ツールかなにかだと思います。上述のようにウチの電話機は非通知に対しては自動応答後にすぐ切断する設定になっているので、応答があった→でも、何らかの原因ですぐ切れてしまった→リトライ、とかそういうことでしょう。

だとすれば、相手はオレオレ詐欺のグループかなにかに相違ありません。少なくともまともな人間ではないことは確かです。

市外通話は一秒でも繋がれば20円から40円もかかるというのに、10回以上もご苦労なことです。

電話会社に非通知の着信拒否を頼むとそもそも通話料が発生しないのに比べて、電話機の機能を用いる場合は相手が通話料を負担することになるので、ある意味、迷惑電話を抑止する効果はこちらの方が高いかも知れません。

時代とともにわいせつの観念は変わる

漫画家・美術家のろくでなし子さんが、自身の性器の3Dデータを頒布したとして、わいせつ物頒布等の罪等の疑いで逮捕されました。

逮捕は突然で、ろくでなし子さんは「私にとって手足と一緒と思っている。データがわいせつとは思わない」と釈放後の記者会見で語ったそうです。

確かに、何をもって「わいせつ」とするかは曖昧です。判例はわいせつとは「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する」ものとしていますが、この定義も到底具体的とは言えません。

1950年代に行われた「チャタレイ裁判」では、文芸すなわち文章がわいせつとされました。裁判所は現在もこの考え(文章もわいせつ物たりえる)を維持していると思われますが、実際上、現在ではどんなに卑猥な文を書こうと摘発されることはありません。時代とともにわいせつの観念は変わります。

では、現在ではどういうものが「わいせつ」なのか。警察も裁判所も基準を教えてくれませんから確定的なことは言えませんが、近年摘発された例を観察して推測することはできます。

要するに「局部の露出があるかないか」です。

実に即物的で情けなくなるような基準ですが、刑法の謙抑性に鑑みれば、「これも見ようによっては卑猥だよね」などと、わいせつの観念がむやみに広がることは避けねばならず、そのためには露出のあり・なしが一番明確なのです。

ろくでなし子さんのデータは局部そのものですから警察としては文句なくわいせつ物に当たると考えたわけです。

逮捕に至ったもう一つの理由は、3Dプリンタ用のデータをわいせつ物として摘発する前例を作りたかったということでしょう。

実はハードディスクに蔵置する2Dのデータも、当初はわいせつ物に当たるかどうかが争われたことがあります。被告側は「コンピューターで扱うデータは 0 と 1 の羅列であり情報に過ぎないから、わいせつ物たりえない」と言ったんですね。わいせつ物というためには形のある「有体物」である必要があるからなのですが、裁判所は、データをハードディスクという「物」の中に置いて、一定の操作をすればわいせつな画像を表示できるのだから、(そのハードディスクが)わいせつ物だ、としました。

で、今回の3Dデータも、「3Dプリンタで打ち出せばわいせつ物ができるから」、「そのデータを記録したメディアが」、わいせつ物だというわけです。

警察側の理屈はおよそこういったことです。しかし、起訴されるかはまだ分かりませんし、されたとして裁判所がどのような判断を下すかも分かりません。私にはろくでなし子さんの「作品」はわいせつには見えないので、もし裁判官も同じなら無罪の可能性もあります。

ただ、わいせつには見えませんが、ろくでなし子さんが今回の逮捕を女性差別に結びつけようとしていることには違和感を覚えます。警察はそういう差別はしないと思います。試しに誰か男性器の3Dデータを頒布してみればはっきりするのですが。い、いえ、教唆じゃありませんよ(笑)

高校で二輪を教えてはどうか

二輪メーカーが運転免許の簡素化を提言しているそうです。一台でも多く売りたいメーカーとしては当然の要望でしょう。しかし、免許取得を簡単にすれば、それだけ運転未熟、かつ交通知識が不十分な状態で公道に出てきてしまう人が増えることになります。メーカーの利害と、社会全体の利害は必ずしも一致しません。事故を減らすためには、むしろ取得に必要な時間数を増やすべきです。

いっそのこと、高校で二輪を教えてはどうでしょうか。

体育の選択科目の一つにするのです。柔道・剣道・二輪みたいに。若いうちに体で覚えた方が安全だし、バイクをたくさん売るというメーカーの願望も叶います。少なくとも生徒は喜びますよ。

もちろん、容易には実現しないでしょう。まず、教習車及び教習コースの確保が難しいし、教員に指導員の資格を取らせるのか、それとも既存の自動車学校などから指導員を招くのか、生徒が怪我をしたらどうするのか、税金を使ってやるのは民業圧迫ではないか、などなど、ちょっと考えただけでも障害は無数にあります。

ですが、やってやれないことはないはずです。最初は一部のモデル校でのみ行い、徐々に広げていくのです。今後、少子化とともに教員も自動車学校の指導員も余るはずですから、その受け皿ともなります。

二輪に限らず乗り物にはなにがしか人を行動的にする効果があります。大げさに言えば、今の日本の停滞した空気に風を呼び込むことにもなります。

学校で二輪を教えるとはずいぶん突飛な考えのようですが、経済に資するのは勿論のこと、交通安全上もメリットがあり、生徒にとっても良い体験だと思うのですが、いかがでしょう。

ニートはアートせよ

ニート(Not in Education, Employment or Training, NEET)が社会問題になっています。この言葉は英国において、教育や雇用、職業訓練から排除されている人達がいる、という問題意識から、それを防ぐ目的で使われるようになったのですが、日本ではむしろ排除を進めるための差別語として使われています。

即ち、社会のお荷物であり穀潰しであり、居なくなった方が良いのだという見方です。確かに、勤労者から見れば、いや、私から見れば、働かずに食っている、のみならず昼間からインターネットの掲示板などで「サッカー日本代表、だらしねぇ」などと自分のことは棚に上げて書き込みをしているニート達に良い印象を持てるはずもありません。

しかし、見方を変えれば彼らは「新・金の卵」とも言うべき可能性を秘めた存在です。

最近は多少景気が上向いたと言われますが、まだまだ世の中はデフレです。デフレがなぜ起きるのかと言えば、結局は需要よりも供給が多いからに他なりません。消費のみを担って、生産を行わないニートの存在は、デフレを解消する力として働きます。

加えて、ニートには時間がたくさんあります。

有り余る時間を使って、アートに挑戦してみるべきです。ニートがアート。言葉遊びのようですが真面目な話です。

思うに、今の世の中は「仕事=物質的な生産」という考えに囚われすぎているのです。確かに、衣食住をまかなう第一次及び第二次産業は私たちの生存の必要条件ですが、生きるために必須ではない詩歌や小説、絵画、音楽も人間を人間たらしめるという意味で社会にとって有益なものです。つまり「非物質的な生産」もまた、立派な産業と言えます。

アートと言いましたが、高尚な「芸術」である必要もありません。生きるために必要ないものなら何だってアートです。くだらない漫画、暇つぶしのようなゲーム、騒々しい音楽、何だって構いません。

社会に必須の製品には確実に需要があるため、潤沢な資本・人海を擁する大企業がしのぎを削ってシェアを取ろうとしています。そこには極めて冷徹な資本主義の論理があり、徒手空拳で立ち向かうのは不可能です。

一方、生きるために必須ではないアートの世界では、時に「無」から「有」が生まれます。何気ない思いつきに途方もない価値があるかも知れないのです。

無論、大半は無価値です。そう簡単に誰でも漫画家や音楽家になれるのなら苦労はありません。だから、「分別ある」人たちはアーティストになるのを諦めて、あるいは最初から志すこともなく、公務員や会社員になるのです。

しかし、今ニートで、近いうちにどっかの役所や会社に就職するアテもない、というのなら、挑戦してみても良いはずです。いわゆる「ダメもと」というやつです。

かのバーナード・ショーは若い頃、手がけたことの10のうち9までは失敗した(When I was young I observed that nine out of ten things I did were failures. )そうです。ノーベル賞文学者にして、10のうち9です。我々凡人は100のうち99までも失敗しても恥ではありません。

今後、我が国が製造業で新興国に対抗するのはますます困難になっていきます。産業としてのエンターテインメントの比重が増すことは確実です。

もし、お子さんが学校にも行かず就職もせずに「漫画家になる」とか「音楽家になる」と言い出したら、決して「そんなの仕事とはいえない」と止めないで下さい。立派に仕事たりえることは上に述べたとおりです。

確かに成功する可能性は高くありませんが、何もやらずにダラダラ過ごすよりははるかにマシです。