「クレーム」には不当な要求という意味はない

とある掲示板を見ていて面食らいました。

「~は正当な抗議だから、クレームとは違う」とう書き込みを見たからです。

どうもこの人の中ではクレームという言葉には「不当な」というニュアンスがあるようです。しかし、英語の”claim”は、辞書(ランダムハウス英語辞典)によれば、

…を(当然のものとして)要求する;〈支払い・賠償などを〉請求する;…の所有権を主張する,〈落とし物などの〉返還を求める;〈権利・資格などの〉承認を要求する;〈…するように〉要求する

などといった意味です。別に「不当な要求」というニュアンスはありません。(ただし、claimer は要求ばかりしている人ですから「不当」と見なされることもある)

恐らく、声高に権利を叫ぶことを嫌う日本人の体質が、クレーム=不当というイメージを生んだのでしょう。

もう一つ、普通の日本人が殆どクレームをつけないため、クレームをつけるのは普通ではない人達、例えばヤクザなどが多いということもあります。

なんにせよ、これからの時代、正当なクレームならどんどん言うべきです。問題は正当なクレームと不当なクレームの境界はどこにあるか、ということです。

目印は「権利であるか否か」です。

  • 店員の態度が気にくわない → 正当なクレームではない。良い接客を受けることは権利ではないため。気にくわなければ他の店へ行けば良い。
  • 床に落としたパンを取り替えずに売ろうとした → 正当なクレーム。客は床に落ちてないパンを買う権利がある。

権利を主張しないのが美徳、などというのは間違っています。必要な時、必要な場所で正しくクレームをつけられる人間になりたいものです。

林芙美子のふるさと

北九州市門司区の小森江公園というところに林芙美子の文学碑があります。

林芙美子・文学碑

林芙美子の生誕の地については諸説あり、本人は山口県の下関と言っていたそうですが、門司の小森江という説もあり、また出生届では鹿児島となっています。

この碑は小森江生誕説に拠るものですね。

真相はともかく、

いづくにか吾古里はなきものか

葡萄の棚下に
よりそひて

よりそひて
一房の甘き実を食み
言葉少なの心安けさ

「掌草子」の一節ですが、「よりそひて」と二度繰り返しているところに痺れます。幼少の頃より各地を転々として「自分にはふるさとがない」と感じていたという林芙美子ならではの、心に迫る文です。

小森江公園

小森江公園は桜が満開でした。

臥薪嘗胆の本当の意味

辞書によれば、臥薪嘗胆とは「一度味わった屈辱を晴らしてやろうとして、苦心・苦労を重ねチャンスの到来を待つこと(新明解国語辞典)」です。

ご存じかと思いますが、この言葉、呉王の夫差(フサ)が父王の仇を忘れぬよう薪の上で寝起きしたという「臥薪」と、越王の勾践(コウセン)が敗戦の屈辱を忘れぬよう毎日苦い肝をなめたという「嘗胆」の二つの故事から成っています。

春秋時代、呉と越は仲が悪く、戦乱に明け暮れていました。

呉王闔閭(コウリョ)は戦で受けた傷が悪化し死期が近いことを悟り、名臣・伍子胥(ゴシショ)の進言を容れ、夫差を後継者に指名します。夫差はなかなかの人物で、「臥薪」によって復讐を忘れぬようにするとともに伍子胥の忠告をよく聞いて富国強兵に努めました。

と、ここまでは常識ですね。この後、どうなったか。

呉軍は会稽山に越軍を追いつめ、夫差の復讐は成ったかに見えました。しかし、越にも范蠡(ハンレイ)という知恵者が居て、夫差を上手く言いくるめて和議に持ち込みます。

伍子胥は反対するのですが、夫差は勾践が下僕となることを条件に和睦に応じてしまいます(越王勾践が肝をなめだしたのは、このとき下僕とされた屈辱を晴らすため)。

夫差は、繰り返し越を滅ぼすように説く伍子胥を次第に疎んじるようになります。そしてついに伍子胥は自死を命じられます。彼の「(呉の滅亡を見るため)我が目をくりぬいて都の東門に掛けよ」とは有名な言葉です。

果たして、伍子胥亡き後、呉は弱体化の一途をたどり、ついに越によって滅ぼされるのでした。

要するに、「薪の上に寝たりもしてみたけど、結局復讐を果たせなかった。それどころか、最後は滅ぼされてしまった」という話なんですね。

ことほどさようにモチベーションを保つというのは難しいということです。意志の弱い我々現代人にとって、噛みしめるべき言葉です。

これから消えていきそうな3つの言葉

以前は普通に使われていた言葉が、現在では「不適切」とされる現象はよく見られます。例えば、「釣りキチ三平」のように漫画のタイトルにもなった「〇〇キチ」。「キチガイ」みたいに〇〇が好きという意味ですが、今ではまったく見かけません。

と言うことは、現在普通に使われている言葉も将来問題とされて消えていく可能性があります。

ハイブリッド

消えそうな言葉の筆頭が「ハイブリッド」です。この言葉、日本では「ハイブリッド・カー」のイメージが強く、語感としては悪くありませんが、本来の意味は「雑種」です。

小説「ハリー・ポッター」シリーズで、「人間」と「魔法使い」との混血を「汚れた血(mud-blood)」と呼ぶことが最低の行為として描かれていることからも分かるとおり、西欧では純血主義に対する拒否感が強まっています。それに従って「ハイブリッド」という言葉も使いにくくなっています。

余談ですが、先日購入した新しいMac、SSD と HDD の長所を組み合わせたという”Fusion Drive”が搭載されています。”Fusion(融合)”という言葉を使ったのは、”Hybrid”を避けるためだと思います。

マニア

冒頭の「〇〇キチ」が「〇〇キチガイ」の略だからダメということになって、言い換えとして広まったのが「マニア」です。「釣りマニア」「鉄道マニア」、「オーディオマニア」などなど。

しかし、カタカナなので語感が弱められているとは言え、maniac とは躁病患者のことであって、かなり危なっかしい表現です。

一部で -mania を避けて -phile という接尾語を使う(オーディオマニア→オーディオファイル)ようになっていますが、普及しているとは言いがたい状況です。

まあ、「鉄道ファン」「オーディオファン」あたりが無難でしょう。

ニート

Not in Education, Employment or Training.  NEET.  もともとは、イギリスの政府機関「社会的排除防止局」が文字通り社会からの排除を防ぐために定義した言葉です。しかし、日本では侮蔑と嘲笑とともに用いられ、むしろ排除を進めるための言葉でもあるかのようです。

社会からの脱落者という意味では、「乞食」という言葉があります。乞食(こつじき)は本来は僧侶の修行の一つですが、次第に差別的な意味が加わり、現在では少なくとも人をコジキ呼ばわりすることはためらわれます。

「ニート」もそのうち差別語として問題化されそうです。

コンビニのおでんは美味しい

ちょっとシーズンを過ぎてしまいましたが、最近コンビニのおでんの美味しさに感動しまくっています。

コンビニのおでん

近所のスーパーの総菜コーナーにもおでんがありますが、正直ちっとも美味しくありません。やはりコンビニのやつに限ります。

なぜあんなに美味しいのか……。巨大資本による綿密な研究に基づいた味作りのおかげでしょうか。でも、それではコンビニの弁当はさほどでもない理由が説明できません。

謎です……。

河津桜が見頃

白野江植物公園では河津桜が見頃です。

カワヅザクラ

染井吉野よりちょっと色が濃く、咲く時期は早めです。

桜

例によって、写真愛好家達が桜の木を取り囲んで激写していました。皆が皆、超巨大なレンズを付けた一眼レフです。その中に一人だけコンデジで入っていくのは勇気が要ります(笑)

パンジー 白野江植物園 白野江植物園

パンジーなども地味に咲いていました。

地味と言えば、

008

この朽ち木、なんとなく風情がありますね。日の当たらない場所でひっそりと立っている姿に妙に惹かれます。

ラーメン二郎と古代ローマ

東京ではラーメン二郎が流行っているようですが、九州では全く見かけず、いつか食べてみたいと思っていました。

で、先ほど、行橋市でそれ系のラーメン屋を発見したので初二郎(系)してみました。もっとも、本家や本家からのれん分けした店ではなく、二郎風というだけのエピゴーネンですが。

この店、ラオタ(ラーメンおたく)の方々の批評によれば、盛りは普通よりは多いが本家ほどではなく、味の濃さもさほどではないとのことです。

しかし、私にとっては十分味が濃く、衝撃を受けました。普通はレンゲでスープをすくって飲んだりしますが、このラーメンではそんな気は起きません。

麺が極太で野菜も大量なので、ある程度スープが濃くないと物足りないのは分かりますが、いくらなんでも濃すぎです。

 

外食はたいてい味が濃いものだし、私自身別に薄味が好きというわけでもなく、市販の麻婆豆腐の元では塩気が足りないとさらに塩を振りかけたりする人間なのですが、それでも濃すぎると思ってしまうほどです。塩分、脂肪分が尋常なレベルではありません。

まあ、ごくたまに刺激を求めて食べる分には健康にさほど影響はないのでしょう。

ラーメン二郎

ただ、この「食に刺激を求める」というのが果たして良いことなのかは分かりません。生きるために最低限必要、ではなく、より美味しく健康的に、でもなく、快楽を求めて健康に悪いものを食べると言うのは。

古代ローマの爛熟期には、富裕な人々はごちそうを腹一杯に詰め込んで、入りきれなくなると孔雀の羽をのどに突っ込んで食べ物を吐き出し、また食べたと言います。

同じように、私も含めて現代の日本人は、生きるためという食事の本来の意味を見失いつつある気がします。

御託を並べてしまいました。要は二郎系、ハマるとヤバいということです(笑)

最初にも書きましたが、件の店は盛りも濃さも本家に比べると甘いとのこと、本場のはどんだけやねんと思ってしまいます。

いまさら聞けないどーたらこーたら

人が人に何かをさせようとするとき、二つのパターンがあるように思います。「おだて」と「脅し」です。

「おだて」型は例えば百貨店の婦人服売り場。「スリムでいらっしゃいますから、こちらなどお似合いですよー」などと言っているのをよく聞きます。たぶん、痩せてるのは本当なんでしょう。誰の目にも太って見える人にスリムなどと言うとかえってまずいですからね。どんな人でもどこかほめるポイントがあるもので、店員はそのへんをよく心得ています。

では、「脅し」型はどんなのかと言うと、

女の子がどん引きする男のしぐさワースト5

……みたいなやつです。

お分かりでしょうか。もし自分が無意識にやってることが女性にどん引きされてるとしたら男としては困るわけです。コーヒーカップを持つとき小指が立っている、などですね(笑)

脅してくるタイトルには「釣り」だと分かっていても引きつけられてしまいます。

「今さら聞けないどーたらこーたら」みたいな記事もそうですね。知ってないと恥ずかしいぞ、と脅してくる。ある意味で非常に攻撃的なタイトルです。

私は天の邪鬼なので、脅されると反発して見ないことが多いです。見たいけど見ない(笑)

タイトルで読者を引きつけるのは大切なことですが、一定の節度は保ちたいものですね。

ホットドッグは「しめた!」の意

アメリカのホームドラマ、「フルハウス」が好きでした。

ジョン・ステイモス扮するジェシーの口癖”Have  mercy!”、オルセン姉妹(双子)の演じるミシェルの口癖”Don’t have a cow.”など、「生きた英語」の勉強にもなりました。

“Have mercy!”は「お慈悲を!」という意味ですが、ジェシーは「かんべんしてくれ」というような軽い意味で使っていました。”Don’t have a cow.”の語源は明らかではありませんが、「ケチケチするな」とか「細かいことを気にするな」という意味のようです。

ドラマの舞台はサンフランシスコなので、西海岸でよく使われる”You got it, dude!”もよく飛び出してました。”dude”は「(東部から来た)気取った奴」という意味です。

一番印象的だったのが、ジョディ・スウィーティンが演じたステファニーの口癖の一つ、”hot dog!”です。

(c) Andrew Dunn
(c) Andrew Dunn

“hot dog!”とは、やや古い俗語で、「わあ、うれしい!」、「しめた!」など、喜びを表す表現です。昔、ホットドッグは「手に入れてうれしいもの」の代名詞だったのでこう言うのだとか。

ところが、ステファニーが”hot dog!”というときは、例外なく皮肉としてなのです。「わー、うれしいなー(棒)」みたいな感じ。

なので、私はずっと米口語ではホットドッグは「つまらないもの」の代名詞だと思っていたほどです(笑)

このように、本来の意味から変遷していることが多いのが外国語(日本語もだけど)を学ぶ上で厄介な点ですね。

学ぶと言えば、中学校で、相手の言ったことが聞き取れなかった場合は”I beg your pardon?”と言いなさいと教わりますが、これも文脈によってはかなり喧嘩腰の言い方になるので注意が必要です。

私が見聞した範囲では、「もういっぺん言ってみろ!」のような啖呵として使われるのがもっぱらでした。

もちろん、こちらの声の調子、表情、そして最大の武器「カタコトの発音」(笑)で、喧嘩を売っているのではないとちゃんと分かってくれるとは思いますが、チャットだとまずいかもしれません。

まあ、いまどきチャットなんてしないでしょうかね。

オオイヌノフグリは帰化種

「いぬふぐり」は春の季語です。

手元の歳時記(「ホトトギス新歳時記」稲畑汀子編)には、

早春、まだ他の花の枯れているうちから、野原や道端など至るところに瑠璃色の可憐なこまかい花が、地に低く群がり咲く。正名「おおいぬのふぐり」のことである。

とあります。

瑠璃とはラピスラズリのことですから、紫がかった青ということになります。事実、オオイヌノフグリは四弁で薄いブルーの小さな花を咲かせます。

ところがこのオオイヌノフグリ、実は帰化種なのだそうです。

そして、薄いピンクの花を咲かせる日本古来のイヌノフグリは絶滅危惧種なのだとか。歳時記の編者でさえいぬふぐりと言えばオオイヌノフグリのことと思っている程ですから、文化的にもイヌノフグリは絶滅寸前です。

帰化種に罪はありませんが、日本人の人口が減る一方の今日、いろいろと考えさせられる話です。