ラーメン二郎と古代ローマ

東京ではラーメン二郎が流行っているようですが、九州では全く見かけず、いつか食べてみたいと思っていました。

で、先ほど、行橋市でそれ系のラーメン屋を発見したので初二郎(系)してみました。もっとも、本家や本家からのれん分けした店ではなく、二郎風というだけのエピゴーネンですが。

この店、ラオタ(ラーメンおたく)の方々の批評によれば、盛りは普通よりは多いが本家ほどではなく、味の濃さもさほどではないとのことです。

しかし、私にとっては十分味が濃く、衝撃を受けました。普通はレンゲでスープをすくって飲んだりしますが、このラーメンではそんな気は起きません。

麺が極太で野菜も大量なので、ある程度スープが濃くないと物足りないのは分かりますが、いくらなんでも濃すぎです。

 

外食はたいてい味が濃いものだし、私自身別に薄味が好きというわけでもなく、市販の麻婆豆腐の元では塩気が足りないとさらに塩を振りかけたりする人間なのですが、それでも濃すぎると思ってしまうほどです。塩分、脂肪分が尋常なレベルではありません。

まあ、ごくたまに刺激を求めて食べる分には健康にさほど影響はないのでしょう。

ラーメン二郎

ただ、この「食に刺激を求める」というのが果たして良いことなのかは分かりません。生きるために最低限必要、ではなく、より美味しく健康的に、でもなく、快楽を求めて健康に悪いものを食べると言うのは。

古代ローマの爛熟期には、富裕な人々はごちそうを腹一杯に詰め込んで、入りきれなくなると孔雀の羽をのどに突っ込んで食べ物を吐き出し、また食べたと言います。

同じように、私も含めて現代の日本人は、生きるためという食事の本来の意味を見失いつつある気がします。

御託を並べてしまいました。要は二郎系、ハマるとヤバいということです(笑)

最初にも書きましたが、件の店は盛りも濃さも本家に比べると甘いとのこと、本場のはどんだけやねんと思ってしまいます。

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