態度の悪い店員

滅多にないことですが、スーパーやコンビニの店員の態度を不快に思うことがあります。

今日もそんなことがありました。1,135円を払おうとして、千円札一枚と百円玉一枚、そして十円玉が3枚ないことに気づいて五十円玉一枚、プラス五円を出しました。するとレジのおばさんにつっけんどんな調子で「この十円いらない!」と言われました。

どうやら五円と間違って十円玉を出したようで、確かに余計な十円です。しかし、ものには言い方というものがあります。「十円多いですよ」でもなく「この十円はいりませんね」でもなく「この十円いらない!」です。

まあ、レジのおばさんの虫の居所が悪かったのかもしれません。

しかし、このように不快な対応をされると自然とその店へは足が向かなくなります。店長や正社員はそのことをよく知っているので、客をぞんざいに扱うことはまずありません。態度が悪いのはほぼ例外なくパートやアルバイトです。

パートやアルバイトの人は、客に丁寧に接しても給料は一円も増えません。一方、店長は客がまた来てくれるか否かが自分の利益に直結しますから、自ずと対応は良くなります。

中間は正社員で、アルバイトと同じように接客の質は給料とは関係ないと短絡的に考えていればそれなりの接客しかしないでしょうし、店舗やグループ全体の利益を増やせば自分にも還ってくるという視点があれば経営者並みの接客となるでしょう。もちろん、出世という利益もあります。

もしかすると人は言うかもしれません。「アルバイトなら、客に親切にしても疲れるだけでなんの意味もない」と。

意味はあります。

良い接客をすれば店が儲かるだけでなく、あなたへの人物評価も上がります。それは勤務の査定という狭い意味だけでなく、文字通り「世間の見る目」が変わるのです。

逆に評価が下がることもあります。私が件のレジのおばさんを見る目は間違いなく「くそババア」です(笑) 一事が万事で、他の人も大方そうに違いなく、そのおばさんへの世間の評価はくそババアということになってしまうのです。

案外、人は人をよく見ているものです。

なんでもかんでも「共有」、「シェア」

最近、「共有」、「シェア」といった言葉をよく聞きます。Facebook に投稿することを「シェアする」というのは象徴的です。

確かに「分け合う」という言葉には美しい響きがあります。乏しい資源、例えばおにぎりが一個しかないのを、自分もお腹が減っているのに他人と分かち合うというのはある意味理想でしょう。

ただ、どうにも釈然としない使われ方をしているのを見かけることもあります。

古い記事で、しかも重箱の隅を突くような話で恐縮ですが、例えば毎日新聞の「勝間和代のクロストーク」の一文。

ご自身のお子さんがいじめに遭い、学校には弁護士まで立てられて逃げられ、かえって追い詰められたという体験談を共有させていただき、私たちに現場での現実と、対応の必要性を強く再認識させてくれました。

言いたいことは分かるのですが、体験談を聞いただけで体験はしていないのですから、「共有させていただき」はないでしょう。「話を聞かせていただき」などとすべきです。

このように考えると、冒頭のFacebookの「シェアする」もやっぱり変ですね。「今日、これこれこういうことがあった」と投稿する、言い換えれば自分の体験したことを文章にして表現する行為は、やはり「シェア」ではないと思います。

なぜならば、他の人は投稿を読んで「へー、そんなことがあったんだ」と理解することはできても、同じ体験をすることはできないからです。

なんでもかんでも「共有」、「シェア」というのも考え物です。

最近の若い者はダメか

「最近の若い者は」と嘆いてみせると、たいてい「その台詞が出るのは歳を取った証拠」、「ピラミッドの内部にも同じことが書かれている」といった反応が返ってきます。

なるほど、年寄りが若者の言動に馴染みがたいものを感じるのは古今東西同じということなのでしょう。

しかし、「だから、嘆いてみても仕方が無い」という結論に至るのは論理的にも正しくないし、社会を良くするわけでもありません。

むしろ、最近の年寄りの「物わかりの良さ」が却って若者を軟弱にしているように思えてなりません。冒頭に書いたように「ピラミッドの内部にも……」などという台詞が出ること自体、「物わかりの良い大人」に見られたいという下心がある証拠です。

年寄りはもっともっと若者を押さえつけるべきです。そうすればこそ、若者はそれをはねのける強さを持つはずです。

そういう意味では、ニワトリが先か卵が先かで言えば、ニワトリが先です。つまりダメなのは最近の年寄りの方だと言えます。

ところで、私の身の回りではダメどころか感心な若者が多く、「俺があのくらいの歳のころはもっとフラフラしてたけど、最近の子はずいぶんしっかりしてるな」と思うこともしばしばです。

まあ、これについては若者がしっかりしているのではなくて、しっかりした若者が世の中に出てくるというだけでしょうね。

つまり、ダメな若者はニートかなにかになって家で母親に悪態をついているのでしょう。しかし、社会からは彼らの姿は見えません。なので、目に映るのは感心な若者ばかりになるという寸法です。

例えば幕末。旧体制は簡単に新しい世代に政権を明け渡したでしょうか。否、明治維新は激越なる闘争の末に成ったのです。当時の若者は、自分たちが生まれる前から存在していた鉄の檻、幕藩体制を打ち砕いて新しい世の中を作ったのです。

今日、我が国は幕末に劣らず停滞しています。

若者には、下手に空気を読んだり、塩分を控えたりせず、もっと血の気を多くして社会を変革していって欲しいものです。

太宰府天満宮

大宰府周遊の三回目は天満宮です。

太宰府天満宮

参道にはお店が立ち並び、名物の「梅ヶ枝餅」をはじめ、様々なお土産を売っています。なかなかの繁盛ぶりです。

五卿迭蹟

「五卿迭蹟」と読めます。金泥が鮮やかです。「赤間宿」にも似た様式の碑がありました。文久三年八・一八の政変で京都から長州へ亡命した七人の公卿のうち一人は病没し、また一人は長州に留まりましたが、他の五人は赤間を通って大宰府に辿り着きました。五人は後に赦免され、明治政府の要職に就きました。

太宰府天満宮太宰府天満宮

豪華な拝殿ですね。

太宰府天満宮

朱塗りの橋は俗に「縁結び橋」または「縁切り橋」などと呼ばれ、意中の人と一緒に渡ると縁を結んだり切ったりできるという便利な代物です。

菅原道真・歌碑

東風ふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ

あまりにも有名な歌です。解説の必要はないでしょう。

 

都府楼跡

太宰府の名所を巡っています。

都府楼

大宰府政庁の跡です。

地名にもなっている通り、かつて此の地に「大宰府」が置かれており、この礎石群はそのときの名残です。地元では都府楼跡と呼ばれています。

都府楼址

あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今さかりなり

寧楽は奈良のこと。万葉集に記された小野老のこの歌は大宰府で詠まれたそうです。

礎石

現在はこのような礎石が並ぶだけですが、朱に塗られた柱が立ち並んでいた往時を想像すると趣深いものがあります。

都府楼跡・石碑

石碑は「都督府古趾」となっています。

非常に天気が良く、シートを広げてお弁当を食べている家族連れも多く見られました。その中を一人、黒い皮ジャンを着て一眼レフで写真を撮ってまわる私はかなり怪しかったかもしれません(笑)

観世音寺

今日は太宰府に行ってみました。今回も写真が多いので三回に分けます。

観世音寺

まずは観世音寺です。天智天皇の開基になるこの天台宗の古刹は、有名な太宰府政庁の数百メートル隣にひっそりと建っています。天満宮などに比べると人も少なく、落ち着いて拝観できます。

観世音寺

このお寺、「天下三戒壇」の一つとされています。戒壇とは、僧侶に戒律を授けるために設ける壇のことです。

観世音寺・梵鐘

国宝となっている梵鐘。

朽ち木

この朽ち木も良い味を出していますね。

津屋崎古墳群

現在、福岡県福津市の一部となっている津屋崎。ここの古墳群を世界遺産に登録しようとする動きがあるようです。さっそく行ってみました

津屋崎古墳群

海岸沿いを走る国道495号線を福岡側へ進むと、確かに津屋崎の辺りでこのような小高い丘が随所に見られます。

「登録」のためでしょう、きちんと草刈りされているので古墳マニアならずとも一目で分かりますね。

津屋崎古墳群

こちらは前方後円墳。

津屋崎古墳群

奥の鳥居が見えますでしょうか。このように田舎の風景に古墳が溶け込んでいます。

津屋崎古墳群

あざみ

アザミが咲いていました。

CB1100はどうだろう

大型自動二輪一応大型自動二輪の免許を持っているのですが、400cc のバイク(CB400SF)に乗っています。

CB400SFは中型としてはパワーのある方で、普通に考えれば私にはこれで十分です。

が、友人・知人からは「何で大型乗らないの?」「もったいない」と言われまくっています。

確かに、せっかくなので乗りたい気持ちはあります。

問題は足つき

問題は「足つき」です。CB400SF のシート高は 755mm、これならば私(172cm)でも両足のかかとがつきます。

ところが、大型となると大抵もっとシートが高く、中にはアフリカツインのように 870mm というえげつないまでの高さのものもあります。

まあアフリカツインは極端な例であるにしても、800mm を超えるものはつま先立ちになることは必定です。とても乗れる気がしません。

CB1300は重すぎる

どうにか乗れそうなのものの一つが CB1300 です。ちょうど、今乗っている CB400 をそのまま大きくしたような、兄貴分のようなバイクです。CB1300 のシート高は 780mm。かかとは軽く浮くかもしれませんが乗れないほどではないでしょう。

ただ、CB1300 のネックは重さで、270kg あります。出力は100馬力以上で、白バイにも使われています。やはり、私には過ぎた代物です。

CB1100なら……

一番良さそうに思えるのは CB1100 です。

CB1100
CC BY 2.0 (c) 246-You

いかがでしょう。かっこよさは申し分ありませんよね。それにシート高は CB400 より 1cm 高いだけの 765mm です。膝を伸ばせばかかとがつくでしょう。

最高出力は 88 馬力。かなりのものですが、大型としてはまだしもマイルドと言えます。

重量は 245kg。CB400SF(私のは ABS モデルなので 200kg)より 2 割以上アップです。取り回しが大変になりますが、やってやれないほどではないと思います。

重量だけから言えば、ドゥカティのモンスター 696 (186kg)のようにかなり軽い大型バイクもありますが、私はできれば国産で、それも 4 気筒が良いのです。CB1100 はその条件を満たします。

残る問題はお金ですね。ABS モデルが税込みで 1,109,160 円と、買えないほどの値段ではありませんが……。

悩みます。

やたらハンガリー語のスパムが来る

以前、アラビア語のスパムが来た話をしました。さすがにその後はありませんが、ハンガリー語のスパムがやたら届きます。

ハンガリー語のスパム

ご覧の有様です。(上のスクリーンショットはハンガリー語だけ抜き出したもの。実際にはもちろん日本語や英語のメールの方が多い)

昔公開していたフリーウェア(というかフライトシムの追加機体)がドイツ語圏で人気だったらしく、何度かドイツやスイスからスパムではないちゃんとしたメール(要望など)が来たこともあるのですが、その際に私のメールアドレスがヨーロッパ、特に東欧に広まってしまったようです。

ハンガリー語のスパム

しかも、ご丁寧にHTMLメールだったりします。言葉はサッパリわかりませんが、リゾートホテルかなにかの宣伝のようですね。

ちなみに、サッパリわからないのになぜハンガリー語と判断できるかというと、機械翻訳で「翻訳元」の言語を色々変えてみると、ハンガリー語にしたときに意味の通る文に翻訳されたからです。

例えば、

Felejtse el a vezetékezést!

Remember to use a harness.

です。あっけないほど簡単に翻訳できます。もはや欧米諸語同士の機械翻訳は実用レベルに達しているようです。

スパムが届くメールアドレスは仕事には使っておらず、またプライベートでも今は使っていないので、廃止する手もあります。しかし、当時の知り合いがそのアドレス宛にメールしてくることがあるかも知れない思うと踏み切れません。

まあ、まずないとは思うんですけどね。去る者は日々に疎しと諺にもあるとおり、一度疎遠になると、なかなか再び連絡を取り合うようにはならないものです。

一方、スパマーたちは当分私のことを忘れてくれそうもありません。皮肉にも。

ヘルメットは落としてはいけない

ツーリングの余談です。

粗忽なもので、ヘルメットを落っことしてしまったことが何度もあります。今回のツーリングでも駐車場でポトリと落としてしまい、周りの人が「あっ」と驚き、かつ気の毒がってくれました。

当の本人である私は「?」という感じで、ヘルメットなんて少々傷がついても大して気にしていませんでした。傷があっても機能には何ら影響しませんから。

しかし、今回考えを改めました。

例えば、バイク本体の傷は、他人にはどうでもよいことでしょうが、持ち主にしてみればとても気になるものです。バイクに乗らない方は車で想像してみて下さい。

何百万円もする車やバイクと、いくらでも替えの効くヘルメットとは同列に語れないと思われるかもしれません。しかし、ヘルメットもモノによってはそれなりに高価で、実際、今愛用しているやつは5万円以上しました。金額的にはちょっと良いデジカメくらいの値段です。ちなみに私はデジカメを落っことしたこともあります(笑)

ただ、デジカメは落とすと機能に影響があるのに比べ、ヘルメットは外観的に多少年季が入ってしまうだけで機能には問題ありません。だから気にしなかったのですが、これは愛着の問題ですね。私はもう少し、道具に愛着を持つべきなのでしょう。

もう一つ。

うっかりヘルメットを落とすような間抜けはうっかり事故る可能性が高い、という推測が成り立つということです。こっちの方がより重要ですね。

不注意な性格は一朝一夕に改まるものではありませんが、少なくとも改める努力はすべきでしょう。金輪際、ヘルメットは落としません。