なんでもかんでも「共有」、「シェア」

最近、「共有」、「シェア」といった言葉をよく聞きます。Facebook に投稿することを「シェアする」というのは象徴的です。

確かに「分け合う」という言葉には美しい響きがあります。乏しい資源、例えばおにぎりが一個しかないのを、自分もお腹が減っているのに他人と分かち合うというのはある意味理想でしょう。

ただ、どうにも釈然としない使われ方をしているのを見かけることもあります。

古い記事で、しかも重箱の隅を突くような話で恐縮ですが、例えば毎日新聞の「勝間和代のクロストーク」の一文。

ご自身のお子さんがいじめに遭い、学校には弁護士まで立てられて逃げられ、かえって追い詰められたという体験談を共有させていただき、私たちに現場での現実と、対応の必要性を強く再認識させてくれました。

言いたいことは分かるのですが、体験談を聞いただけで体験はしていないのですから、「共有させていただき」はないでしょう。「話を聞かせていただき」などとすべきです。

このように考えると、冒頭のFacebookの「シェアする」もやっぱり変ですね。「今日、これこれこういうことがあった」と投稿する、言い換えれば自分の体験したことを文章にして表現する行為は、やはり「シェア」ではないと思います。

なぜならば、他の人は投稿を読んで「へー、そんなことがあったんだ」と理解することはできても、同じ体験をすることはできないからです。

なんでもかんでも「共有」、「シェア」というのも考え物です。

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