しだれ梅

梅を見に、北九州市の総合農事センターというところに行ってみました。「農事」とはいうものの、実質的には植物園ですね。

紅梅

本館裏手の梅園です。

しだれ梅しだれ梅

しだれ梅。

紅梅

紅梅は満開です。

白梅

一方、この白梅はまだ二分咲きでした。一般に白梅の方が紅梅より咲く時期が早いと言われますが、品種にもよるのでしょう。

思った以上に手入れが行き届いており、ちょっとびっくりしました。さすが市民の税金がふんだんに投入されているだけのことはあります(笑)

平日でもあり見学者は決して多くありませんでしたが、カメラを持った同好の士が数人見受けられました。皆、私のようなコンデジではなく一眼です。

以前は「一眼など大袈裟で野暮」だと思っていましたが、ここのように一眼の人ばかりのところへコンデジで入っていくのも逆に勇気が要りますね。いっそのこと私も一眼を買ってしまおうかとも思いますが、今使っているRX-100はコンデジとしてはなかなか写りが良く、これで十分のような気もします。

悩みます……。

瀧の観音寺

門司の戸上山の中腹にある瀧の観音寺に行きました。

瀧の観音寺

ご覧の通り、かなりの山奥です。実はここに来る前に間違って別の道に入ってしまい、狭い砂利道でUターンせざるを得ませんでした。このお寺、たどり着くにはかなりの根性が要ります(笑)

瀧の観音寺

バイクを降りて、このような階段を登っていきます。もし人とすれ違ったら、不審者と間違われないように朗らかに挨拶するつもりです。

瀧の観音寺

お地蔵さん。

瀧の観音寺

そして、このお姿が観音様だと思います。

瀧

瀧。水の音がさわやかでした。ちなみに、シャッタースピード優先で 1/5″ にしてみました。

瀧の観音寺

瀧の周りには無数の灯籠や仏像があります。

瀧の観音寺

後ろに目を遣ると、門司の街が小さく見えました。

彦島と尊皇攘夷

あのとき高杉が租借問題をうやむやにしていなければ、彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていただろう

伊藤博文

今日も関門トンネルをくぐって本州へ、と言ってもすぐ近くの彦島です。

ただ、近いのは近いのですが、南端の「彦島南公園」に行くには半島をぐるっと回る必要があり、関門トンネルの出口から 15km ほどの道のりです。

「彦島道路(県道252号線)」は、響灘を眺めながら走ることができ、ツーリング向きでした。

彦島南公園

彦島南公園は梅の名所です。もっとも、今年は寒いためかまだほころんでさえいません。

彦島南公園

遠くに関門橋が見えます。

彦島老の山公園

こちらは別の公園、彦島老の山公園の麓にある風車っぽい建物です。実際何の建物なのかはよく知りません。まさかこれで粉を挽いているわけでもないでしょうし(笑)

幕末、馬関(ばかん:下関の異称)戦争の講和の折、イギリスから彦島を租借したいとの申し出があったと言われています。高杉晋作が「うやむや」にしたから良かったものの、危なく日本の香港になるところでした(冒頭の伊藤博文の述懐)。

今日の日本があるのは、勤皇の志士たちの高い見識と行動力の賜物であることを忘れてはなりません。

防府天満宮

昨日、山口県の防府に行ってきました。

国道2号を下関から防府に向かって走ると、宇部のあたりでちょっと曲がりくねっているものの他は概ね走りやすく、一部は自動車専用道路となっていました。

防府天満宮

防府天満宮。初めて訪れたのですが、立派な参道が印象的です。

防府天満宮 防府天満宮

社殿にあの「がらんがらん」がないのが面白いですね。

その後、すぐ近くにある毛利氏庭園へ向かいました。

毛利氏庭園

毛利公爵のお屋敷です。

毛利氏庭園

庭園には大きな池があり、石橋が渡されています。……が、庭師のおじさんたちが作業中で、軽トラなども停まっていたのであまり写真が撮れませんでした。

例によってバイクで行きました。気温は8度前後で日も照っていたので街中では耐えがたいほどではありませんが、長時間国道を走っていると心底冷えてきます。おかげで、片道90kmの道のりで3回もトイレ休憩しました(笑)

白野江植物公園

白野江植物公園は二輪の駐車場代が無料(四輪は300円、入場料は200円)なので、近頃気に入っています。

今日はちょっと頑張って山頂まで行ってみました。

白野江植物公園-山頂付近

かなりの急坂です。

白野江植物公園

山頂からの眺望。条件が良ければ、国東半島の先にある姫島も見ることが出来るそうです。

水仙

水仙がたくさん咲いていました。

名も無き小さな花

サクラソウかな。恐らくこれは栽培しているのではなく、自生しているものですね。

宇佐市院内

東京に住んでいる伯父と、大分県の宇佐市院内というところに行ってきました。私の曾祖父(高祖父かもしれない)に当たる人がこの町で医者をしていて、伯父や父は子供の頃、よくここへ遊びに来ていたそうです。

その伯父が久しぶりに九州に来て、思い出の地・院内に行きたがっていると聞き、供をすることにしました。父は三年前に他界しましたし、伯父も高齢なので、この機会を逃しては祖先の地を目の当たりにすることも不可能(行くだけなら簡単だけども、「前は、ここに診療所が建っていて……」といったことは永久に分からずじまい)になりますからね。

鳥居橋

鳥居橋という石橋です。大正5年に作られたそうで、なかなか立派です。伯父も懐かしいと言ってました。

鳥居橋

思ったよりも高さがありました。高所恐怖症の人は下を見ない方が良いかも。

この院内には他にもたくさんの石橋があるそうです。今日は時間がなくて回りきれませんでしたが、そのうちまたここを訪れて、今度は全部の橋を見て回りたいと思います。

高塔山公園

若戸大橋を渡って、若松区の高塔山公園に行ってきました。

高塔山公園-眺望

いかにも「工業地帯」という感じに、煙突から煙がたなびいています。上の写真はDSC-RX100の「スイング撮影」を使ってるんですが、手軽にパノラマ風撮影ができて楽しいです。拡大すると、ちょっとディティールが荒れてますけどね。

高塔山の頂上付近には駐車場、売店、展望台が整備され、市民の憩いの場となっています。

河童地蔵尊

展望台の脇に、火野葦平の小説「石と釘」で有名な河童封じの地蔵尊があります。麓にある葦平の旧居、河伯洞も訪れてみたかったのですが、今回は不慣れな土地ゆえ、山だけにしておきました。いずれ行ってみたいと思います。

バイク

バイクは絶好調です。新車だし、インジェクションなので始動は極めて良好、4気筒エンジンは滑らかで良く回ります。

……調子に乗って飛ばしすぎないようにしないといけませんね。

門司港の夜景

夕方、バイクで門司港へ行ってきました。

門司港より下関を望む

門司港から見た下関の町です。

国際友好記念図書館

国際友好記念図書館。

旧大阪商船

旧大阪商船。

三井倶楽部

三井倶楽部。

ニッカウヰスキー・倉庫

そして、これは門司港ではありませんがすぐ近くの199号線沿いにあるニッカウヰスキーの倉庫です。

寒い中被写体を求めてウロウロしたので、少し疲れました。が、この後 3.5km のランニングをし、水泳のレッスンも受けました。張り切りすぎですね(笑)

雨窪古墳

国道10号を小倉から行橋に向かって走っていると、「雨窪古墳」という案内標識を見つけました。どうやら町(苅田町)指定の史跡らしくガイドブック等に記述がないため、今日までノーマークでした。

雨窪古墳

10号線から北九州空港へ向かう道へ入ってすぐの左手にあります。道路から見ても明らかにそれと分かる円墳です。

雨窪古墳

羨道は鉄柵で塞がれています。

雨窪古墳

鉄柵の格子の間から玄室を覗くことができます。かなり大きな石が使われています。このような無名の一小古墳によってさえ、古代の人々の情熱には驚かされます。

良い天気で、古墳見学日よりでした。

雨窪古墳

白鷺がトコトコ歩いてました。のどかですね。

白鷺

法然寺・赤間宿

福岡県宗像市の法然寺、及び旧唐津街道赤間宿の面影を残す町並みを見てきました。

法然寺-山門

法然寺の山門です。

石柱

寄進した人の中に出光興産の創業者、出光佐三の名があります。彼は赤間出身なのだそうです。道理で山門が立派なわけです。

五卿西遷之遺跡

側に「五卿西遷之遺跡」と記された石碑があります。幕末の文久三年八・一八の政変で公武合体派に敗れた尊皇攘夷派の七人の公卿が長州へと落ち延びました。ちなみに以前紹介した長府博物館で、このときの様子を描いた「七卿落ち」の図を見ることができます。後に七人のうち一人は病没し、一人は長州に潜伏しましたが、残る五人は太宰府へと向かいました。この石碑は、その途中一行が赤間に25日間滞在したことを記念するものです。

赤間宿赤間宿

法然寺から少し坂を下っていくと白壁の古い建物がいくつかあります。「赤間宿」と書かれた灯籠があることから分かるとおり、町おこしの一環として整備されているようです。

ただ、江戸時代の宿場の面影を残すとは言っても、写真のような白壁の町屋はごくわずかで、大半は新しい建物でした。ここにかぎらず、全国の「城下町」や「宿場町」は畢竟私有地の集合体に過ぎず、古い建物を壊して新しくしようと住民の勝手なわけです。かと言って、一部の自治体のように景観を保全するための条例を作ると、住みにくくなってしまうのが難しいところです。