中国を見習え

中国では、10年ほど前から生活保護制度がスタートしたそうです。面白いことに、「透明性を確保するため」に被保護者の個人情報は公開されるのだとか。

やはり中国ではプライバシーの観念が希薄なのだな、遅れているな、と思ってしまいがちですが、果たしてそれだけで済む話でしょうか。

例えば、日本でも、車検を受けたことを示すステッカー(検査標章)は、皆何の疑問も持たずに貼っています。あれだって、次の車検はいつかというプライバシーだと思うのです。実際、ガソリンスタンドで、あれを見て「ウチの工場で車検を受けませんか?」と勧誘を受けることはよくありました。最近はセルフサービスが多いのでそうでもないかも知れませんが。

いやいや、車検の時期が他人に知られても恥でもなんでもないけど、生活保護を受けていることを知られるのはイヤでしょと言われると、確かにもっともです。

しかし、税金で食わせてもらっているのに、それを知られたくないというのは本当に正当な権利と言えるのでしょうか。食わせるなと言っているのではありません。食わせてはもらうけど、その事実は内緒にしてくれというのはどうなの、という話です。
権利と言えないものがいつのまにか権利として扱われ、それによって本来の人権の姿が歪められている気がしてなりません。あれもプライバシー、これもプライバシーでどんどんエスカレートしてしまう。しまいには、役所に情報開示を求めたら、肝心なところは「プライバシー」であるとして墨塗りにしてあるといった有様です。

人権後進国である中国ですが、彼らのやり方からヒントを得てはいけない理由は何もありません。
生活保護受給者の氏名はぜひ公表するべきです。

Canvas3D によるルービックキューブ、そして日本の教育について

Canvas3D によるルービックキューブのその2です。
前回は話を簡単にするために、「クリックされた面さえ分かれば回転させるのは容易」と書きましたが、実際は少し問題がありました。
と、言うのも、ドラッグされた方向(2次元)と、3次元の各軸とのなす角を知る必要があるからです。

cube2.png図をご覧下さい。細い矢印がX軸、太い矢印がドラッグ方向です。キューブの中心に原点があります。X軸は(3次元の)単位ベクトルで表すと(1,0,0)です。これを2次元に投射すると、カメラの位置によって様々な値を取り得るのですが、今回はその計算は省略して、とりあえず、図のように下向き45°で表示されているとしましょう。この場合、1/sqrt(2) = 0.707 ですから、X軸のベクトルは2次元で表すと(0.707, -0.707)です。
ドラッグ方向のベクトルは、開始点を (x1, y1)、終了点を(x2, y2)とすると、( x2 – x1, y2 – y1 )ですね。ここでは仮に(5,5)としておきましょう。

さて、この二つのベクトルのなす角を知るには「内積」を求めるのが一般的です。まずは、ドラッグ方向を単位ベクトルにしておきましょう。

a = sqrt( 5*5 + 5*5 )
= 7.07

xn = x / a
= 0.707
yn = y / a
= 0.707

ですから、(0.707, 0.707)ですね。

ベクトル A( xa, ya ) と B( xb, yb )のなす角は、

acos(〈A,B〉/ ||A||・||B||)

で求められます。acos はアークコサイン、逆余弦です。〈A,B〉が内積。
||A|| と ||B|| は、A と B のノルム、即ちベクトルの大きさであり、この場合はあらかじめ単位ベクトルに直しておきましたから必要ありません。

〈A,B〉 = xa * xb + ya * yb
= 0.707 * 0.707 + 0.707 * (-0.707)
= 0

この内積は二つのベクトルが平行なときに1、直交するときに0になりますので、この場合、ドラッグ方向はX軸に対して垂直、即ちX軸を中心に回転させようとしている、とめでたく判定できたわけです。
仮に内積が1に近い値ならば、X軸に対して水平、即ちZ軸を中心に回転させようとしているとわかります。

日本の教育

前回、この部分の説明を軽く流したのは、「内積」なんて高校で習うんだし、いちいち説明しなくても良いだろう、と思ったからです。
でも、よく考えてみると、こんなの忘れてますよね。実際私もこの間まで忘れてました。

なぜ忘れるのかというと、二つのベクトルのなす角を知ったからといって嬉しくも何ともないからです。「ふーん」としか思わない。

ですが、自分で3Dゲームを作ろうとすれば、嫌でも覚えざるを得ないし、たぶん、一生忘れません。

ですから、高校生にも、プログラミングさせたら良いのです。「数学なんて、何の役に立つの?」という子供の素朴な疑問に対する答えは、現代に於いて、「プログラミングに必要」というのが最も説得力があります。

日本の教育は詰め込み型だと批判されています。それに対して、詰め込みのどこが悪い? という再批判もあります。いずれにしろ最低限のことは詰め込まなければならないでしょう。かけ算九九を無理やり覚えさせるのはかわいそうなどといった議論は取り上げるまでもありません。
しかし、教育というものはある程度まで進むと、本人の自主性がなければ効果が上がらなくなります。殆どの人がベクトルの内積を忘れてしまうのも、何の役に立つか分からないからです。

資源の乏しい我が国に於いては、ITは今後最も有望な産業です。我が国を支える人材を育成するためにも、教育にプログラミングを取り入れるのは重要です。
ただ、先生方は苦労するかもしれません。歳を取ってからプログラミングをマスターするのは容易ではないからです。しかし、やって出来ないということはないはずです。聖職に身を捧げたならば、そのくらいの努力はして貰わなければなりません。

菅続投で構わない

英語の諺に “Do not swap horses when crossing a stream.” というのがあります。「川を渡っているときには馬を替えるな」。落っこちたら危ないですからね。

これは旅の心得を述べたものではなく、「国家が困難な状態にあるときには、政権を交代させるべきではない」という意味です。なぜそれが分かるかというと、1864年のリンカーンの演説が初出だからです。ちょうど南北戦争が熾烈を極めていた時期です。lincoln
© Gregory F. Maxwell (GFDL-1.2)

翻って我が国の現状を顧みると、これまた極めて困難な状況にあります。まさに川を渡っている最中のようなものです。しかるに、震災以降政権交代を求める声が益々大きくなってきました。つい先日は菅総理に不信任案が提出されましたし、それが否決された現在も「菅降ろし」の動きは続いています。

ですが、なぜ菅総理が辞めなければいけないのか、私にはどうも分かりません。なにか特別落ち度があったわけでもないし、今辞めても、小沢・鳩山の一派を利するだけです。

確かに、菅さんは名宰相とは言い難いかも知れません。リンカーンと比べるなど片腹痛いと言われれば、その通りです。しかし、そのリンカーンも実は、議会の承認なしに軍を増員するなど、かなりきわどい政策を行っていました。
もし、今の日本の政治家なら「憲法違反の独裁者を許すなーッ!!」とか言って政局化していたことでしょう(笑)

菅総理に望むのは、震災復興に必要な予算・法律を粛々と通していくこと、そして、どうしても内閣が持ちそうもないときは思い切って衆議院を解散することですね。

それまでは、菅続投で構わないと思います。

最悪なのは、「菅降ろし」の圧力に屈して、民主党の誰かに「禅譲」してしまうことです。それだけは避けて欲しいものです。

続・移民の受け入れよりも先にやるべきこと

前回の後半はかなり舌足らずになってしまいましたので、若干補足します。

「頭脳を活用」とは

一口に「頭を使う」と言っても色々あります。他人を陥れ、踏みつけにしながら出世を図る、そのようなことに頭を使う人も大勢います。しかしながら、私の言う「頭脳の活用」は無論、そのような意味ではありません。

足を引っ張り合うのではなく、新しい需要を生み出す方法について皆で頭をひねってはどうか、ということです。

思い返して欲しいのですが、5年前には iPhone などこの世に存在していませんでした。従って「iPhone が欲しい」と思う人もいませんでした。つまり、タッチパネルを備えたスマートフォンの需要は殆どありませんでした。ですが、「夢想だにし得なかった」かと言えば、必ずしもそうではありません。技術的には十分可能だったにもかかわらず日本の企業にはそれを実現しようとする意欲がなく、Apple社にはその意欲があったのです。

日本経済を再び浮揚させるには、あらゆる業界で Apple 並の、否、Apple 以上のイノベーションを起こさなければいけません。なにしろ、我が国の誇る「資源」は「頭脳」しかないのですから。

教育を変えよ

まずは、教育を変えなければなりません。
現在の教育は、産業社会、とりわけ「製造業の経営者側にとって便利に使える奴」を生み出すことに最適化されています。コツコツと言われたとおりに休まず働く従業員。
しかし、ただでさえ人余りの世の中で、そういうタイプはもうそれほど必要ないのです。それこそ賃金の安い移民に置き換えられてしまうのがオチです。
新しい製品、新しいサービスを次々に考え出し、世界をリードしていくような人材を育てなければいけません。

具体的には、記憶力重視から問題解決力重視への転換です。極端な話、試験にPCを持ち込んで良いこととし、自由にインターネットで検索して答えを導くようにするのもアリではないかと思います。無論、最近起きた事件のようにYahoo知恵袋で質問して答えを待つというような横着はできないように技術的に工夫する必要はあるでしょうが。

また、教員の質も向上させねばなりません。教壇に立つための条件として修士号の取得を義務づけるのも一つの方法でしょう。あるいは法科大学院に倣い「教育大学院」を創設し、その修了を以て教員たる資格とすると尚良いかもしれません。

イノベーションを支える文化

「日本人は模倣に長けてはいるが、創造性に乏しい」とは、よく言われることです。しかし、これは「追いつけ追い越せ」型経済の下では模倣が一番効率が良かったからそうしてきたまでのことで、日本人の本質を言い当てているとは思えません。

やや左翼臭い言い方ですが、封建時代の道徳は封建支配に都合良く出来ていました。親には孝行せよ、主君には忠義を尽くせ等々。
同じように近代以降の道徳は(崩壊しつつあるものの)産業社会にとって都合の良いものになっています。朝早く出社して夜遅くまで残業するのが良い社員であり社会人である、という風に。

これらは一概に否定すべきものではなく、それぞれの時代を支えた「文化」でした。

今、私たちは、多大なる苦痛を伴いつつもその文化を新しい時代に合ったものへと変容させなければなりません。

とにかく自分の頭で考える。産業であれ学問であれ芸術であれ、それぞれの持ち場で、新しいアイデアを生み出すよう努めることが美徳とされる文化。

それこそが、これからの日本に必要なのです。

人に嫌われることによって出世する方法

仙谷官房長官が嫌われまくっています。
テレビを見ていて、この人、誰かに似てるな……と思ったら、昔の上司でした。しかも、顔かたちだけじゃなくて「性格」が似ているんです。

ええ、ものすごくイヤな奴でした(笑)

なにしろ、盆暮れの付け届けが大好きで、送らなかったら催促する、というような男でした。私は基本大人しい(?)人間なのですが、一度へそを曲げるとテコでも動かないという頑固なところもあり、その催促が非常に不快だったので、意地でも送りませんでした。

そしたら、まぁ、陰険な嫌がらせの数々、ここに書くのもアホらしいので書きませんが、まだ若かった私は結構悩んだものです。しかも、そいつ、憎たらしいことに、妙に出世が早いんですよね。

当時は、「こんな人から嫌われるようなことをして、何の得があるんだろう?」と不思議だったのですが、最近になって、「ああ、あれはあの人の戦略だったんだな」と思うようになりました。

人に好かれようとするのではなく、敢えて嫌われるようなことをする。それによって、自分に逆らう奴をいぶり出すことができるわけです。そして、まんまといぶり出されたのが私です(笑)

周りの者を押さえつけ、敵対者は叩きつぶし、のし上がっていく、そういう戦略です。

この恐怖政治の方法論を忠実に実行しているのが、仙谷ではないかと思います。
例の尖閣ビデオ問題にしてもそうですね。従来の常識からすれば当然公開されていたものを敢えて非公開にし、逆らう人間が出てくるのを待っていたのです。

そして、案の定、YouTubeで問題のビデオを公開する人が現れるやいなや、「情報流出」であると断じ、公務員の統制を強化する動きを始めました。

共産党の志位書記長が喝破した通り、「情報流出」は傍論にすぎず、本来論ずべきは、非公開とした政府の判断が正しかったか、であるにもかかわらず、です。

世間では、民主党政権が尖閣ビデオを非公開としたのは中国の顔を立てるためだったというのがもっぱらの声ですが、私はこのような引き締めの意図が大きいのでは、と想像しています。

いずれにしろ、怪しからん話ではあります。

まぁ、しかし、この仙谷式処世術(?)、非常にイヤな感じですが、権力争いに於いてはかなり有効な手段ですよね。日本人の多くは、こういうテクニックにあまりに疎いために、損ばかりしている印象があります。

やられっぱなしではかないません。私も仙谷らを見習って、これからは、嫌われまくりながら出世してみようかと思います。ふひひ。

大人物とは何か

一見愚なる者が、実は賢であることが多々あります。

トマス・アクィナス

中世最大のスコラ学者と言われるトマス・アクィナスは沈思黙考する性質で、若い頃、仲間の神学生たちから「黙り牛」と綽名されていたそうです。
雄弁を重んじる西洋では無口は白痴と同義、「黙り牛」とは、かなり侮った呼び方です。

しかし、ある教授はアクィナスの器を見抜き、「やがて、この雄牛の咆哮が欧州を震撼させるであろう」と語ったと言われます。
而してアクィナスは後に『神学大全』を著し、まさしく、キリスト教世界に巨大な足跡を残しました。

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©Forum concoursvaches.fr: CC BY-SA

小渕恵三

聖アクィナスとは畑も世界史的な知名度もずいぶん違いますが、私が敬服する人物の一人に、故小渕恵三元首相がいます。

彼は、当時から反日的だったニューヨークタイムズに、「冷めたピザのような男」と評されましたが、「冷めたピザもおいしい」と切り返したのには感心したものです。

また、小渕さんは昭和12年の丑年生まれで、正確な表現は失念しましたが、「俺は丑年だから、歩みはのろいが着実に前進するんだ」という趣旨の発言をしています。

「黙り牛」を彷彿とさせる話です。

彼は凡人だったかも知れませんが、昭和から平成へと世の中が変わる時期に、内閣官房長官、首相を歴任し、確実に歴史に名を刻みました。彼が首相に在任中、景気も一度は上向きかけたのです。道半ばにして病に倒れたことが悔やまれます。

ちなみに、私も丑年です。歳は聞かないでください(笑

大山巌

日露戦争の奉天会戦は、史上希に見る大会戦でした。
日本側の司令官、大山大将が、前線を視察したときのことです。

ある砲兵士官が、顔に青筋を立てて矢継ぎ早に命令を下していました。大山大将は彼を呼び、
大砲(おおづつ)というものは、上に向けるほど遠くへ飛ぶのでごわすかな?
と、問うたそうです。
あまりの悠長さに、砲兵士官はさぞ面食らったことでしょう。しかし、それこそが大将の狙いだったのです。極度の緊張によって前線の指揮官たちの視野が狭まっていると感じ、敢えて間抜けな質問をすることで、我に返らせようとしたわけです。

大山大将が、日露戦争の勝利、ひいてはその後の日本の発展に与って力があったことは言うまでもありません。

今の日本は

このような大人物がなかなか現れず、秀才型ばかりが幅を利かせているのが、今の日本の不幸です。

鳩山前首相の小物ぶりを思い出してください。彼はあれでもスタンフォード大の博士なんです。
あるいは、現在の官房長官である仙谷由人。彼も東大在学中に司法試験に合格した秀才中の秀才です。

確かに頭は良いのかも知れない。しかし、彼らの言動を見ていると首をかしげたくなることばかりです。

「秘書のやったことにして責任逃れをするなど以ての外」と言っていた鳩山は、自身の金にまつわる疑惑を、臆面もなく秘書のせいにしました。

仙谷に至っては、オフレコながら「日本の属国化は今に始まったものではない」とまで言い放ったことが暴露されました。どうやらこの男の頭の中では日本は既に中国の属国のようです。

大山大将は、若い頃から切れ者だったそうですが、年を取ってからは切れ味を抑えることに努め、茫洋たる人格を自ら育てたと言われます。
あまり切れすぎるのは良くない、人間が小さくなる、という考え方は、薩摩の士人に共通するものでした。ですから、愚直なまでに質実な性格を良しとしたのです。

これこそ、今の日本に必要な思想ではないかと思います。

確かに、英雄待望論に堕してしまう危険はあります。
しかし、歴史の節目にはやはり、器の大きな人物がどうしても必要なことも事実です。

鳩山や仙谷では明らかに不足です。

みんなの党はやめた方が良いかもしれない理由(それ以上に民主は絶対にダメな理由)

先日は「みんなの党」をやたらと持ち上げて投票をお勧めしましたが、実はネガティブな要素もあります。

それは、構成員の考え方にばらつきが多いこと。党議拘束を行わないことには、所属議員が各自の信念に基づいて行動できるというメリットもありますが、党の主張と矛盾した行動をとる議員が出てきかねないというデメリットもあります。

また、弱小政党の悲しさで、あまり選り好みしていては人が集まらないので、少しばかり考え方が違っても擁立する、ということになりがちです。

特に「悪名高い」のが後藤啓二氏で、この人は児童ポルノの規制強化を主張しており、また、漫画等のいわゆる「二次元」にまで規制を及ぼすことも要求しています。

彼は弁護士なのですが、リベラルすぎるような人が多い弁護士の中では珍しいですね。

このように、各論ではにわかに賛同しがたい主張も若干見受けられます。しかし、背に腹は代えられません。

今度の参院選で民主党に単独過半数を与えることは、外国人参政権に対してもはや何の歯止めもなくなってしまう、ということです。

「参議院が否決しても衆議院が再可決したら法案は成立するから、参議院は意味がない」という人がいますが、とんでもないことです。
再可決には三分の二の賛成が必要なのです。これは大きな違いです。参議院で否決されることが確実な「筋の悪い」法案は、そもそも衆議院でも可決されにくい、ということもあります。

既に何度も述べてきたとおり、私は外国人参政権に反対です。
民主主義の根幹である選挙権が、さしたる議論もなく変質される。本当に恐ろしいことです。
同じ考えの方は、ぜひご家族やご友人にも呼びかけて下さい。

みんなの党が嫌なら、自民でも良いのです。なんなら公明でもかまいません。

追記:
公明はダメでした。公明も外国人参政権に賛成しています。よく調べずにいい加減なことを書いてしまい申し訳ありません。

今度の選挙で民主・共産・社民には絶対に投票しないことが決定的に重要です。

「みんなの党」に投票すべき7つの理由

1.民主を牽制する党が必要

とある掲示板で「二大政党制はアングロサクソンの妄想に過ぎず、ついこの間までの自民党のようなゆるやかな一党支配が実はもっとも望ましい政体である」と説く人を見掛けました。
一理ある考え方です。しかし、現実には一党支配は終わり、政権交代が起きました。二大政党制であれ、多党制であれ、国民は今後も政権を交代させていくだろうし、また、そうあるべきです。自民の一党支配は許さないけど民主の一党支配は許す、というのでは辻褄が合いません。

つまり、次は民主以外に投票するのが筋、ということです。

もっとも、政権交代させるためには総選挙(衆議院選挙)を待たなければなりません。菅首相は短気な人らしいですから、突き上げを食って「えーい、解散!」となってくれれば良いのですが、まずは次の参院選で民主党を勝たせすぎないことが大切です。牽制者となる有力な政党が存在すれば、仮に民主党が第一党であっても好き勝手には出来ず、それは国民にとって利益となります。

その牽制の役割を担うことを自ら任じ、また期待されているのが「みんなの党」です。

2.自民ではない

牽制者というだけならば、党勢衰えたとは言え、もっとも有力なのは自民党でしょう。谷垣さんは少し頼りないですが、自民には小泉進次郎のような面白い若手もいます。
ただし、いちいち挙げませんが、自民にはかなり問題のある政治家が何人かいます。何しろ、55年体制が始まって以来の政界の「膿」が溜まっているのですから。

もっとも、その膿の中でも一番酷い塊だったのが小沢一郎なのですが。
選挙のためならどんなことでもするという最悪の伝統を受け継ぐ小沢一郎が抜けた今の自民党は、力は失ったものの、その意味ではかなりマシな党になっています。

ともあれ、自民アレルギーで、金輪際投票用紙に自民党と書きたくない、という人は「みんなの党」に投票すると良いでしょう。

3.「子ども手当」は亡国政策

最悪なのは、民主党政権が固定化することです。そして、その固定化のために彼らが打った布石が、子ども手当や高校無償化など、国民の目の前にニンジンをぶら下げる政策です。

たしかに、子ども手当を貰えると助かるという人は多いでしょう。
しかしながら、出稼ぎの外国人の、それも海外に住む子供に対してまで支給するというのは常軌を逸しています。

「みんなの党」は、子ども手当に反対しています。

4.左翼でも宗教でもない

自民党政権時代、野党と言えば左翼でした。
社民党の前身の社会党は「北朝鮮による『拉致』は警察による捏造」などと言っていたような党です。共産党はコミンテルン日本支部として始まりました。
他にといって、公明党は変な宗教だし、保守党だのなんだのは自民党のエピゴーネンに過ぎません。

まさに、碌な野党がないので仕方なく自民に投票する、という状況でした。

しかし、今は違います。
「自民はイヤだし、左翼も宗教も嫌いだし、仕方がないから民主に投票する」必要はありません。
そういう場合は「みんなの党」に投票しましょう。

5.外国人参政権に反対

民主主義の究極的な形を夢想することが許されるならば、広く外国人に対しても参政権を認める、ということも考えられなくはありません。
しかし、現在の日本は、否、人類は、そこまで進化していないのです。

「いや、○○の国では外国人にも選挙権を認めてるよ」と言う人もいるでしょう。

断言しますが、それはあくまでその国に忠誠を誓った人に対して参政権が与えられているのです。

翻って、我が国は「国家に忠誠」を求めることがタブーになっている希有な国です。そして、現在、外国人参政権を強く求めているのはいわゆる特別永住外国人です。彼らは日本に忠誠を誓うのが嫌だからこそ帰化を拒んできたのです。
また、韓国では一部で外国人参政権が導入されていることがよく語られますが、これは、「公安委員会が認めた外国人に限る」という極めて欺瞞的なものです。実際にはほとんど認められていません。
「韓国も外国人に参政権を与えたのだから、日本も与えよ」というのは、詭弁であるだけでなく、悪質な内政干渉です。

尚、現在議論されているのは国政ではなく地方参政権ですが、だから外国人に与えても良い、ということにはなりません。地方選挙も国政に重大な影響を与えるからです。

「みんなの党」は外国人参政権に反対しています。

6.二股膏薬ではない

自民から離脱した政治家の作った新党はいくつかあります。が、どうも信用ならないところが多く、とりわけ疑わしいのが、舛添要一の「新党改革」です。
桝添曰く「菅さんが『一緒に政界再編をやろう』と言うなら、あらゆる可能性を模索する」とのことですが、この民主への露骨な擦り寄りは、民主を支持するしないとは別の次元で、人間として軽蔑せざるを得ません。

実は「みんなの党」の渡辺代表も自民から離脱した一人なのですが、彼が離党したのは2009年の1月、民主党が政権を獲るずっと前です。
後になって泥舟に乗っていたことに気づいて逃げ出し、しかも、民主党に擦り寄りつつある桝添と、どちらが信用できるかは明白でしょう。

「みんなの党」は民主党との連携を否定しています。

7.政権を獲る可能性はない

皮肉なことに、「みんなの党」が政権を獲る可能性は全くないことが、この党へ投票すべき最大の理由となります。

ここまでずいぶん「みんなの党」を持ち上げてきましたが、私自身、この党を全面的に信用しているわけではありません。逃げを打つように見えるかも知れませんが、少し違います。

実際、もし、「みんなの党」が政権を獲ったならば、どんな政策が行われるやら分かったものではありません。期待はずれは民主以上だった、ということにもなりかねません。

しかし、そんな心配は無用です。「みんなの党」が政権を獲る可能性はゼロです。

大切なのは、民主党の思い通りにならない勢力が一定の議席を占めることです。


©Miya: CC BY-SA

そのような勢力は、自ずと民主党を監視する役割を果たします。つまり、民主党の政策のおかしなところ、ダメなところを鵜の目鷹の目で探し出し、批判するわけです。それで良いのです。

監視者を欠くならば、どんな清廉な為政者も堕落は避けられません。ましてや、民主党は腐敗の代名詞のような小沢一郎が牛耳っている党なのです。菅代表は小沢と距離を置く姿勢を取っているとされますが、それも選挙をにらんだポーズに過ぎない可能性が高いのです。

民主党を支持しない人はもちろんのこと、ある程度支持する人も、子ども手当の野放図な支給が続けられ、外国人参政権によって日本が蚕食されるのを望まないのであれば、今度の参院選ではどうか賢い選択をしてください。

落ちたものを自分で拾おうとせぬ長妻大臣

毎日新聞の記事の中で長妻昭厚生労働相に関する次のような文章が目にとまりました。

(前略)
もっとも、長妻氏の官僚へのこわもてぶりに変わりはない。大臣室に局長らを集めた際、机の書類が床に落ちたことがあった。「上に立つ大臣は取っちゃいけない。君たちが拾わなきゃいけないんだよ」。長妻氏はそう告げた後、自分で拾いはしたものの、「本当は私とあなた方はそういう関係です」とみなにクギを刺した。

私は以前、仕事でパキスタンに半年ほど居たことがあるのですが、そこでの強烈な記憶がよみがえりました。上の記事とそっくりな話です。

(日本人の)同僚Aが机の書類を床に落とし、現地の技術者B(ボーイではない)に拾うように言ったのです。Bは、ついっと部屋を出て行き、別の男Cを連れてきて、Cにそれを拾わせました。

実に不自然な光景でした。

そもそも自分で拾わなかったAが悪いのです。力関係のあるところには、かならずこのようなつまらない威張り方をする人間があらわれるものです。
落ちたものを拾えと言われたBはプライドが傷ついたのでしょう、自分より身分の低い(インドのカーストとは違うが似たような制度か)者を連れてきて、心理的な平衡を保とうとしたわけです。

話は日本に戻ります。

公務員は国民に奉仕するものであって、個人に奉仕するものではありません。官僚が政治家に従わなければならないのは公務に於いてのみです。私的なことをさせる「召使い」ではないのです。(そう言えば、自民党には官僚になくした指輪を探させていた奴も居ましたね。今はちゃっかり民主党に鞍替えしていますが)

上の発言を見る限り、長妻はこの点を完全に履き違えています。

政治主導は大いに結構ですが、政治家と官僚を全人的服従関係として理解している長妻には、(大臣はもとより)政治家としての資質が備わっているか疑わしい、と言わなければなりません。

悪いのは民主党だけではない

最近、どうも政治づいてしまって恐縮です。
なんとも青臭いとは思うのですが、偽らざる気持ちであることも確かです。

またもや政治の話です。

先日、鳩山首相は新たに入庁した公務員たちへの訓示で、「ばか者が首相では国がもつはずがない」と発言したそうです。
10年間にわたって母親から月に1500万円もの贈与を受け続け、定められた租税を納めずにおきながら、「知らなかった」で済むと思っているような男をバカと呼ばずになんと呼ぶのでしょうか。

このような人物が首相の地位にあることは実に情けなく、国民にとって不幸なことです。

世間では、民主党と自民党、どっちが良いとか悪いとかそういう議論が喧しいですが、事の本質はそういうことではありません。

鳩山も小沢もかつては自民党にいました。その意味では彼らの悪さ加減は自民が育んだとも言えます。そして、彼らは現在たまたま「民主党」という船に乗っているだけで、権力さえ得られるなら、どんな党でも平気で渡り歩くのです。

悪いのは鳩山、小沢、その他の腰巾着共であって、民主党という容れ物ではありません。無論、今現在自民党の中にいて、鳩山・小沢らと敵対関係にある政治家の中にも、随分酷いのがいます。

誰を、またどの党を選べばよいのか分からない、という状況です。

ですが、ともかくも、今後当分の間、民主党にだけは投票してはいけません。そうです、消去法です。

「いやいや、自民が最悪だから消去法で民主が選ばれたのではなかったか」とおっしゃる方も居るでしょう。
私個人には民主党という選択肢はありませんでしたが、確かに一理ある考え方です。
ですから、前回民主党に投票した人のことをとやかくは言いません。繰り返しますが、次は民主だけはやめましょう

最悪の中から少しでもマシなのを探す、というのは決して楽しいことではありません。が、我々有権者は飽かず倦まず、根気よく消去法を続けていきましょう。

 

暮遲し悲憤慷慨已まざるを

追記:

「民主以外に投票しましょう」と呼びかけるのは、確かに戦術としては稚拙かもしれません。反民主の「集結軸」として特定の政党を支援する方が有効であるのは間違いないでしょう。
しかし、上で述べたかったことは、そういう駆け引きではなく、「現政権の好き勝手にはさせない」という確固たる意思を全有権者が持つべきだということなのです。
「ヘンなことをすればいつでも政権交代させますよ?」と、時の政府に緊張感を与え続けなければいけないのです。
そういう風に国民の意識が向上すれば、自ずと政治のレベルも上がっていくはずです。