三日で 1,200km 走破

連休の中日、5月4日は風の強い日でした。

ツーリングで行った島根県の一畑薬師の山の頂上付近にある駐車場はもの凄い風で、お年寄りが押し戻されて後ろ歩きになっていたほどです。バイクが風に煽られて難儀しました。

もっとも参道は木が風を遮るのか、比較的静かでした。

一畑薬師

味のある灯籠です。

鳥取砂丘

前後しますが3日には鳥取砂丘にも行きました。やはり風が強く、他の観光客もみな逃げ腰です(笑)

5日は匹見峡を通りました。去年ここに行こうとして道に迷ったことを書きましたが、今回はみんなに付いていったので大丈夫でした。

匹見峡

匹見峡

作りかけの橋脚が目に付きます。島根は観光県なので、道路整備には力を入れているようです。

このほかに余部鉄橋(現在はコンクリート)などにも行っています(強風に煽られて列車が転落した事故を記憶している方も多いでしょう。この日もかなりの強風でした)。新しいバイクでの初のロングツーリングでしたが、期待以上の走りでした。二泊三日で走行距離は 1,200km ほどになりました。人によっては「もう、しばらくバイクはいいかな」となるところかもしれませんが、私の場合ますます乗りたくなってきます。

週末はお土産を届けに実家まで一走りしてこようかと思います。

妻が50万稼いではいけないのか

少し前に国会で安倍首相が「私が50万、妻が25万(稼ぐと)……」と発言し、賛否両論(多くは否)が巻き起こりました。どうも世間では彼を「苦労の足りぬボンボン」と見ているようで、「総理は50万どころかもっと貰っているだろう」、「25万円も貰えるパートがどこにある」等々、仮定が現実離れしているという批判が多く聞かれました。

しかし、本来この発言は「実質賃金が下がっている」との批判に対して、「景気回復によりパートが増えたことで一時的に平均が下がっているにすぎない」と反論しようとしたものです。

全ての人がフルタイムで働く必要はない

パートが増えても意味がないという人もいますがそうではありません。賃金と仕事の内容が見合えば時給700円でも働きたい人はいるだろうし、割に合わないと思えば働かないまでです。

安倍首相の説明が当を得ていたかは別として、たとえ賃金の低い仕事であっても働き口が増えるのは端的に良いことです。

更に言えば、賃金その他の雇用条件は可能な限り当事者間で自由に決められるようにすべきです。最低賃金の引き上げは、減税と並んで聞こえの良い政策ですが、実際のところ上げれば上げるほど社会的余剰(social surplus)は減ってしまいます。パイが小さくなるのです。

全ての人がフルタイムで働く必要はありません。パートが増えることは選択肢が増えるという意味で社会にとって有益です。

妻が25万は「多すぎる」のか

私が引っかかったのはむしろ「妻が」という部分です。なぜ夫の半分しか稼がない、あるいは稼げないことが当然のように語られ、誰も突っ込まないのでしょう。ポリティカル・コレクトネスに喧しい欧米の指導者ならこう言っていたはずです。

「家族のうち一人が50万円稼ぎ、他の誰かが25万円稼げば……」

別に、このような回りくどい言い方をしろというのではありません。言い切るべきところは言い切った方が良い。ただ、夫が外で働き、妻は家庭を守る、働くにしてもせいぜいパート、というモデルは既に過去のものとなりつつあります。

夫が50万稼ぐなら妻も50万、あるいは妻が100万稼いで夫は何もせず養って貰う(笑)、そういう夫婦があっても良いはずです。

後ろ向き思考の蔓延こそが問題

憂慮すべきは、「主婦がふと思い立って25万円も稼げるはずがない」というシニカルな意見が大勢を占めていたことです。

なるほどそれが現実的にはなかなか難しいということは分かります。しかし、不可能ではないはずです。

どうも、若い人を中心に「ムリムリ、ぜったいムリ」、「どうせ、できるわけない」式の発想が広がっているように思えてなりません。長く続いた不景気の弊害は、国富が流出したことでもなければGNPが伸び悩んでいることでもなく、若者に後ろ向きの思考を植え付けたことかもしれません。

仮にもうしばらく不景気が続くとしても、個人として成功することは常に可能です。若い人には「ムリ」かどうかとりあえずやってみることを勧めます。

バイクで日本一周の野望

明けましておめでとうございます。

去年のことですが買ったばかりのバイクのマフラーをチタンに換えました。マフラーの交換は見た目と音を楽しむもので、馬力の向上などはほとんど望めません。ただ、純正に比べて10kg近く軽いので動力性能は確実にアップしているはずです。

ZERO SS

帰ってきてすぐに撮った写真です。まだエキパイに焼け色が付いていませんね。

ZERO SS

純正はまず1と4、2と3が合わさって、次にその2本が合わさるタイプの集合管でした。このモリワキ製のチタンは1と2、3と4が合わさるという素直な構成になっています。

合わさり方には意味があり、シリンダーごとの爆発間隔を考慮して音が打ち消し合うようになっているはずですが、変わってしまって大丈夫なのでしょうか。まあ、音に関しては以前乗っていた400ccのものより静かでものたりないほどなので大丈夫なのでしょう。

ZERO SS

このタイプのサイレンサーは最近流行らず、もっと小さく目立たないものが主流です。少しでも車体の重心に近く配置しマスを集中化するためなのだそうです。ですが、私はこういう長いやつが好きです。

実は前のバイクにもこれと同じモリワキのZERO SSを付けていました。型式まで同じというのは芸がないかとも思いましたが、カタログを見ていて一番かっこいいと思えるのがこれでしたので心の声に従いました。

CB1300SB

2ヶ月で2000kmほど乗りました。写真は大分県の杵築へ行ったときのものです。本当は去年の秋、このバイクで日本一周したかったのですけどね。納車が10月の末日と少し遅くなったことで断念しました。暖冬とはいえ北日本はかなり寒いでしょうし、ならし運転もせずに長旅に出かけるわけにもいきません。

もっとも、最近のバイクや車はならし運転は必要ないそうですが人間の方も慣れる必要がありますからね。

鎮国寺

福岡県宗像市にある鎮国寺に行ってきました。

鎮国寺

宗像大社のすぐ側ということでしたが、入り口を見つけるのに少し苦労しました。辿り着いてみると、山の中腹の広々とした場所に多くの伽藍が立ち並ぶかなり大きなお寺でした。

鎮国寺

これは舎利殿でしょうか。

鎮国寺

庭の手入れも行き届いています。鯉がたくさんいますね。

鎮国寺

發句

庭の隅地蔵菩薩と石蕗の花

 

大興善寺、杵築城、熊野磨崖仏

佐賀県にある大興善寺は藤や紅葉で有名です。巨大な有料駐車場が完備されており、オフシーズンは100円、オンシーズンは300円が必要です。先週私が行った時には100円で済みました。つまり、まだ見頃ではなかったということですね。

大興善寺

しかし、この緑から赤へのグラデーションもなかなか趣があります。

大興善寺

大興善寺

翌日は、大分県の杵築へ向かいました。

杵築城

お城は模擬天守であり、形状も必ずしも正確に復元しているわけではないようですが、旧天守台がこの場所にあったことだけは確かです。川べりの高台にある小さなお城には風情があります。

帰りには豊後高田市にある熊野磨崖仏に詣でました。

熊野磨崖仏

駐車場から山道を登っていくと、

熊野磨崖仏

このような急な石段が現れます。かなり足下が悪いので注意して登らなくてはなりません。

熊野磨崖仏

そして現れる仏様。

熊野磨崖仏

ふくよかなお顔が印象的でした。

バイクで物見遊山

バイクを買いました。CB1300スーパーボルドール、新車です。

CB1300SB

大きな車体のわりには足つきは良く、ハンドル位置も高いので、楽な姿勢で乗ることができます。ただ、やはり取り回しは重いですね。

パワーの出方は以前借りて乗ったFZ1に比べるとマイルドで、決して猛烈ではありません。が、いくらでも余力を残している感じで、レスポンスは極めてリニアです。

さっそくツーリングに出かけました。

瑠璃光寺・五重塔

まずは山口県にある瑠璃光寺・五重塔です。かなり遠くからも見え、圧倒的な存在感を示しています。防長が毛利氏に支配される以前、大内氏の時代の建築です。

さらに足を伸ばして、島根県の匹見峡にも行ってきました。

バイク

後ろのバイクは一緒に行った友人(女性)のハーレー・スポーツスターです。遠近法の関係で小さく見えますが実物はデカいです。

裏匹見峡

なかなかに紅葉が見事でしたが、驚いたのはこの道路です。後ろに小さく国道488号線と書かれた標識が見えています。そう、なんと国道なのです。しかも、この先で落石のため全面通行止めになっており、引き返さざるを得ませんでした。国道なのに……。

紅葉

どうやら我々は人が滅多に訪れない「裏匹見峡」に迷い込んでしまったようです。有名な「表匹見峡」にたどり着けなかったのは残念でしたが、ある意味貴重な経験と言えるかもしれません。

長崎・グラバー園

長崎は美しい町ですね。

グラバー園

有名な「グラバー園」からの眺望です。この日(10月25日)は快晴で、思わずジャケットを脱ぐほどの陽気でした。

グラバー園

この小さな建物は旧ウォーカー邸です。この丘にはグラバーの他にも数家族が住んでいました。西洋人は高燥の地を好むと言いますが、本当のようです。

グラバー園

現在はご覧のようなエスカレーターや動く歩道が何カ所も設置されていますが、グラバーが住んでいた当時は毎日の上り下りが大変だったことでしょう。

グラバー像

そのグラバーの銅像です。

グラバー邸

グラバー邸。特徴的なポーチと煙突、そして左側に見えている温室が印象的です。

EOS_1379

西洋建築なのに鬼瓦が付いています。こういう折衷様式も興味深いですね。

「知覧」の誕生

前回書いた「論争」のまとめに歴史社会学者の井上義和氏のコメントがあったことから氏の著書(共著)である『「知覧」の誕生』を手に取りました。

この本では、戦後しばらくは顧みる者もなくただ茶畑が広がっていた知覧の飛行場跡が次第に「特攻戦跡」となっていく過程が考証されています。注目すべきは「特攻とはどのようなものであったか」ではなく、戦後の「戦跡化」に焦点が当てられていることです。

他にも、「朝鮮人特攻隊員のイメージの変容」や、「戦闘機」に執着するミリタリー・ファンの存在など、10人の若手学者による考察が興味深い切り口で行われています。

詳しい内容は実際に本を手にとって読んで頂くとして、ここでは個人的に引っかかった部分を挙げておきます。

特攻隊員たちは、戦争状態のなかで敵を殺す任務を担ったという意味で、加害者としての側面を有していた。それと同時に、必ずしも自ら望んだとはいえない自爆攻撃を受け入れざるをえなかったという意味では、被害者でもあった。しかし、この加害と被害の両義性は……(後略)

本書の中では数少ない、特攻それ自体に言及した部分(79ページ、第二章「〈平和の象徴〉になった特攻」より、執筆は山本昭宏氏)ですが、俄に首肯しがたいものがあります。

「加害者でもあり被害者でもある」という言い方は、「AがBに対して、またBがAに対して互いに加害者であり被害者でもある」という場合に使うのが普通ですが、上では、「A(特攻隊員)はB(敵)に対して加害者であり、同時にC(特攻を命じた上官)に対して被害者である」というように主体が三つあり、それぞれの加害性及び被害性は程度も性質も異なります。

更に言えば、国際法上、戦時下にあっては正規軍の将兵が敵を殺害しても罪に問われることはありません。なるほど、上で言う「加害」とは罪に問われるか否かとは別の話でしょうが、そうだとしても、敵に対する加害者性は戦争である以上全ての将兵が有するものであり、特攻隊員固有のものではありません。敵にとっては爆弾や魚雷で攻撃されようと体当たりであろうと同じ「害」であるはずです。

ごく広い意味での「両義性」があるのは確かですが、特攻隊員の「加害性」に注目することに意味があるとは思えません。

本書の語り口は実証的、分析的で、決して右傾化を糾弾するといった内容ではありません。しかし、それでも幾分かは特攻の美化への危惧が見て取れます。確かに、隊員の遺書を読み、生き残った人の話を聞くなど、特攻とは何だったのかを知ろうとすればするほど「至誠に心うたれる」というような、美化してしまう「力学」が働くような気がします。

もう少し考えを深める必要がありそうです。

特攻とイスラム過激派の自爆テロ

イスラム過激派の自爆テロと特攻隊とを同一視する言説ほど、日本の保守派を憤慨させるものも珍しいでしょう。

しかしながら、両者がどう異なるのかを突き詰めて考えていくと区別は必ずしも明瞭ではなくなります。七生報国、八紘一宇の信念は、一神教と多神教の違いはあれどイスラム教に劣らず宗教的ですし、戦争、即ち集団による闘争の一部として行われる点、攻撃を行った者が英雄視ないし神聖視される点でも同じです。

違うとすれば、イスラム過激派の自爆テロがしばしば民間人を標的とすることです。

以前の論争でも、私は特攻と原爆投下を対比して後者を民間人に対する攻撃であるとして厳しく指弾しました。米国の言い分によれば日本軍は上海や重慶を無差別爆撃しており、抗議する資格が無いとのことですが、それによって原爆投下が正当化されるというのもおかしな話です。

原爆にしろ、焼夷弾あるいは通常の爆弾による爆撃にしろ、米軍の空爆は民間人を標的としていました。このことはいずれ歴史によって裁かれねばなりません。

私の見るところ、欧米人の、特攻や自爆テロに対する嫌悪感と、2つの原爆を含む日本空爆に対する罪悪感の希薄さは、黄色人種に対する差別意識という一つの線で繋がっています。自分たちよりも劣った命と見るからこそ、特攻が、あるいは自爆が、「卑劣」であるという発想が生まれるのです。

もう一つ、言っておかなければならないことがあります。それは我々が「特攻とイスラムの自爆テロは違う」とムキになるのも、結局は彼らに対する差別意識に淵源しているということです。

特攻隊員に対しては、我々は時代は違っても自分と同じ顔で同じ言語を喋る同じ日本人だという意識があり、だからこそ「貴い犠牲」と感じるのです。イスラムの自爆テロに対して何ら共感せず、むしろ嫌悪するのは、彼らの肌が褐色であり、異なる言語を喋り、異なる神を信じているから、というのが全てではないにしろ大部分と言えます。

そして、このように他国民、他民族の命を自分たちのそれより劣ったものと見なす心理こそが、憎悪の発生源であり、且つ憎悪そのものなのです。

特攻から少し話がそれました。次回は書籍『「知覧」の誕生』の感想を述べます。

特攻の「意味」

少し前に太平洋戦争末期のいわゆる特攻に関してTwitter上でちょっとした議論をしました。そのときの発言についてはこちらにまとめられています。Twitterというメディアは互いの発言を十分に咀嚼しつつ語り合うのに向いておらず、どうしてもやや噛みあわない感じになってしまいますが、概ね言いたいことが言えたように思います。

あれから2ヶ月半経って自分なりに考えを深め、また『「知覧」の誕生』という書籍にも目を通しましたので、これから数回に渡ってそのことについて述べます。

特攻は無意味だった?

発端は私の発言、「特攻隊員の苦悩に思いをいたし、感謝を捧げることと、特攻を生んだ権力構造をそのまま肯定することとは違う」に対して、長 高弘さん(@ChouIsamu)が、「何の意味も無く死んだ人に捧げるべき感情は「悲しみ」や「憐み」や「悼み」であって「感謝」では無い」とコメントをされたことでした。

正直に言うと、「感謝」という言葉は深く考えて出たものではなく、私自身完全にしっくりきていたわけではありません。長さんをはじめ多くの人がこの「感謝」に違和感を持ったようです。

私としてはこの時点では「感謝」という言葉には特にこだわりは無く、むしろ長さんの発言の「何の意味も無く死んだ」という部分に強い反発を感じました。特攻隊員への冒涜だと思ったのです。

誰にとっての「意味」か

もっとも、ひとくちに特攻の「意味」と言っても、それが指すところは語る者によって異なります。

当事者 第三者
味方
主観的 肯定的 勇敢な死 大義に殉じた 理性的な選択
否定的 ロボットのよう 犬死に ファナティック
客観的 肯定的 損害大 戦果大 有効な作戦
否定的 損害小 戦果小 不合理な作戦

まず、特攻の意味を主観的に捉えるか、客観的に捉えるか。そして、それぞれについて肯定的・否定的な捉え方があり得ます。

さらに、当事者と第三者で、また、当事者でも敵(連合国軍将兵)と味方(日本軍将兵)とでそれぞれ違った「意味」を見いだしていたはずです。特攻を目の当たりにした米兵の中には彼らの理解の外にある行動に日本軍への敵愾心を募らせた者も多かったと言います。

特攻隊員個人にとっての「意味」

最も当事者性の高い特攻隊員個人にとって、特攻の意味とは何だったのでしょうか。遺書などに残された「笑って死ぬつもりです」だとか「お国のために死ねるのなら本望です」といった言葉を検閲に対する建前に過ぎないと考える者も居れば、ある程度本心が含まれているとする者、100%本心だとする者も居ます。

死にたくないというごく自然な心情を吐露することに対して当時の社会が抑圧的であったことは確かです。その点を重く見れば建前だったということになります。ただ、そういった外部からの抑圧だけでなく、自分自身でも「これは崇高な使命なのだ」と強く思い込もうとしていた、言い換えれば「死は鴻毛より軽し」という思想を内面化していたと捉えるならば、半ばは本心であったとも言えるかもしれません。

ただ、このように「本心であるか疑う」こともまた、特攻隊員への冒涜ともなりうるのが悩ましいところです。

「戦果」は客観的に計測し得るが……

特攻作戦の客観的な「意味」とは即ち「戦果」です。これについては定量的な研究がなされており、Wikipediaに拠れば、米軍の全損傷艦船の48.1% 全沈没艦船の21.3%が特攻によるものであったということです。ただし、この数字自体は客観的と言えますが、「だから特攻作戦は有効だった」ということになれば、途端に主観的な評価へと転化し得ます。

このように特攻の「意味」は互いに入り組んだ多層的なものとして捉える必要があります。

第三者による主観的な意味づけということに関して言えば、後世の我々日本人はもちろん、世界各国の人々が誤解も含めて様々に「カミカゼ」を解釈しています。次回はこのことについて述べます。