「写真は撮らないで」と言われてしまった

書くべきか否か迷ったのですが、書いてみようかと思います。

先週末のことです。大分県の耶馬溪にある羅漢寺に詣でました。曹洞宗の名刹で、長い石段を登った先にある岩窟内の仏の数々には圧倒されます。

ただ、室町時代の建立という山門に掲げられた「カメラなどの文明の利器のことは忘れて云々」という表示は、内容の是非はともかく、その材質や書体が余計なもののように感じられてなりませんでした。なんにせよ、この時点で気がつくべきでした。

山門をくぐり、本堂のそばへ行くとこの寺の由緒を記した掲示板があります。私はいつもそうするのですが後で読むために掲示板をカメラで撮影しようとすると、(おそらくは僧侶から)「写真は撮らないでくださーい」と声をかけられたのです。

山門にあった文言からして写真撮影が歓迎されないのは予感していたので、羅漢像などは撮らないように気をつけてはいました。しかし、屋外であり、特に神聖とは思えない掲示板の撮影までが禁止とは意外、否、不満でした。

不満ではありましたが、「仏は撮っていない、掲示板だけだ」などと言い訳しても恥の上塗りかと思い、とりあえず「はい……」と返事をして、そのあとは見て回る気持ちも失せ、すぐに山を下りました。

撮影する権利と撮影を拒否する権利との相克

一般に、写真を撮影するときはその場の管理者の指示に従う必要があります。撮影を禁じられた場合は撮影してはならないことは言うまでもありません。被写体が人間である場合は肖像権が発生しますし、物体であっても例えば自宅の外観などをみだりに撮影されない権利はあると言うべきでしょう。昨今では「撮影してはいけない」場所やモノについての認識が(十分とは言えないまでも)浸透し、人の顔などが写りこんでいるとモザイク処理をすることも増えてきました。

しかし、誤解してはならないのは禁止が原則ではないということです。

肖像権や意匠権、住居等の管理権を根拠に撮影を禁止することはできますが、それらは例外であって、あくまで原則は「撮影は自由」なのです。

こう書くとずいぶん勝手なことを言っているように思われるかもしれません。そう思った方は言論の自由とのアナロジーで考えてみて下さい。誰がどこで何を喋ろうと本来自由です。無論、他人の名誉を毀損する場合は例外ですし、極端な話、脅迫罪に当たる場合すらある。しかし、それらは例外であって、原則は「何を喋ろうと自由」であることは大げさに言うと憲法で認められた権利です。

そうは言っても、実際喋られると迷惑、黙れ、という場所もあります。例えば図書館ですね。私が「写真を撮らないで」と言われてしまった羅漢寺もあるいはそういう場所なのかもしれません。どうあれ、その場の管理者が撮ってくれるなというのであれば、従うべきです。

ですから、禁止に従うことに吝かではないのですが、一つ言いたいことがあります。件の羅漢寺は巨大な駐車場を備え、リフトも完備され、羅漢像の前で「縁結びのお守り」を200円で売っています。私には厳しい修行の場というよりは観光地に見えました。観光地では記念撮影が半ばセットのようなものです。禁止するならばするできちんとした根拠を示し、掲示も「文明の利器のことは忘れて……」などと曖昧にせず、明確に「禁止」と書いて欲しいものです。

みなさんはどう思われますでしょうか。

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