続・Googleは分割されるべき

読売新聞に興味深い記事があります。

ドイツの新聞最大手アクセル・シュプリンガー社のマティアス・デップナーCEOが、公開書簡の中でGoogleの巨大さに警鐘を鳴らしたことを紹介する記事です。

グーグルは恐ろしい。業界内でこのことを口にする勇気がある人はほとんどいないので、自分が最初にはっきりと、正直に言っておきたい

詳細はリンク先を見て頂くとして、実は私も似たようなことを3年前に書いています。

Googleは、Webにアップロードされたリソース(典型的にはhtmlで書かれた文書)に留まらず、ありとあらゆるデータを収集し、「自分のもの」としています。

世界中の書籍を「プレビュー」できるという Google Books。全世界を網羅するストリービュー。

大変便利です。便利だけれども、何か釈然としないものを感じます。

恐らく、前世紀の終わりに生まれ、Googleによって育まれた「検索」という新しい産業は、今後無くなることもなければ禁止されるべきでもないのでしょう。

それに、幸いなことに Google は”Don’t be evil.”を社是とし、実際、大抵の局面で社会との軋轢を最小限にし、万事そつなくやっています。

しかし、それを Google の「善意」のみに依拠しているのは、実は大変危険なことです。いつ彼らの気が変わるか分かりません。某国からお金を受け取って某島は某国の領土とマップに表示しないとも限らないのです。

デップナー氏も指摘するとおり、Googleはあまりにも巨大になりすぎました。

何らかの規制が必要です。例えば銀行には事業支配力が過度に集中しがちなことが歴史的によく知られているので、各国は銀行業にさまざまな規制を設けています。

検索も同じことです。

少なくとも、現在のように「検索」と「広告」を一つの会社が行うのは禁止するべきと考えます。

いつ潰れるとも知れぬガソリンスタンドのプリカ

先月の下旬、「今、ガソリンをリッター155円で売っている店は増税後160円で売るだろう」と予測しました。

ところが、155円で売っていた近所の店では、今日見ると162円となっていました。

155 * 1.03 = 159.65 だから四捨五入しても160円にしかならない、おかしい!

……と思ってしまいがちですが、今回は「地球温暖化対策税」の増税も重なった上、石油の元売り価格は毎日変動しているので、頭から便乗値上げと決めつけるわけにもいきません。

面白いことに、その162円の店から数百メートルの場所に149円の店があります。ただし、プリペイドカードに限る、という例のあれです。しかも、1万円しか使えず、お釣りはプリカで出てくるという極悪仕様です。

ただ、他の店より安いのは確かで、この際我慢して利用してみようかなと、少しだけ心が動きかけています。が、この世で最も信頼できる日本銀行券を、いつ潰れるとも知れぬガソリンスタンドのプリカに替えるなど愚の骨頂という気もします。

悩ましいですね。

レストランで食べ物の写真を撮るのは是か非か

近所に美味しいたこ焼き屋さんがあります。大将がバイクを誉めてくれたので(笑)、そこを通るときには必ず寄ることにしています。

だしたこ

ちなみにこれは「だしたこ」といって、その名の通り出汁につけて食べます。大阪では一般的な食べ方で、私はソースたこ焼きより好きです。そのへんのフードコートで食べるものとはひと味違います。

食べ物の写真を撮るのは是か非か

で、食べ物の写真を撮るのは是か非か。レストランなどでは写真を撮ると嫌がられる、あるいは最初から禁止ということもあるようです。上の写真も一応大将に撮って良いか聞いてから撮りましたが、客に聞かれれば良いですよと答えざるを得ないでしょうし。

ましてや、70D です。APS-C だからそんなに大げさじゃない、とこちらは思っても、一眼レフですから普通の人から見れば十分大げさです。

まあ、ここの大将とは顔見知りだし、今日は他にお客はいなくて、帰り際には大将もお店から出てきてしばしバイク談義に興じたほどですから、許される範囲内だったとは思います。

しかし、一見の客が黙ってパシャパシャ撮り始めたらどうでしょう。やはり少し感じ悪いかもしれません。

まずは大手チェーンか個人経営かが最初の分かれ道で、チェーン店では周囲に気を配りつつ手早く撮影、個人店ならば何度か通って顔見知りになった上で、許可を求めてから、といった感じでしょうか。

ただ、食べ歩きのブログなどをやろうとすると同じ店に何度も通うのもなかなか難しいですしね……。

評論家気取り

知り合いが「ラーメンが旨いとか不味いとか評論家気取りで書いてるブログがあったから、『アホくさ』とコメントしたら速攻で削除された」と嘆いていました。

いや、そんなコメントしたらそりゃ削除されるだろうと思う反面、自分はラーメンの一杯も作ったことがないくせに、偉そうに他人の「作品」を批評する人間への反感も理解できます。

生半可な知識で評論家を気取るのは、傍から見ていてあまり格好の良いものではありません。

この問題、「誰もが情報を発信できる時代」が始まってまだ間もないがゆえの混乱の一つの例と言えます。もう何年かすると「こういう場合は撮ってOK、こういう場合はNG」といった線引きがはっきりしてくるのでしょう。

銀行の言う「平日昼間」とは

銀行のATMからお金を下ろすとき、平日昼間は手数料無料で、それ以外の時間帯は105円(4月以降は108円)ほどかかります。

では、平日昼間とは何時から何時まででしょうか。

全ての銀行について調べたわけではありませんが、例えば三井住友銀行では、8:45 ~ 18:00 です。他の金融機関もたいてい同じです。この45分からというのが曲者で、朝一番に銀行へ行き、「8時過ぎてる、よし、無料だ」と思ったら実は有料だったという罠に陥りがちです。

1万円下ろして108円とられたら、1.08% です。普通預金の金利0.02%の50倍強です。バカになりません。

世の中には払って良いお金と、払うべきでないお金があります。たとえ他人から見たら無駄に思える買い物でも、本人が金額に見合う価値があると思うならそれはそれで良いのです。

しかし、交通違反の反則金、レンタルビデオの延滞料などは、本来払わなくて良いお金です。もちろん、違反や延滞をした後でゴネて払わないということではありませんよ。そもそも違反や延滞をしなければ良いという意味です。

ATM の時間外手数料もそう。できるなら払わずに済ませたいものです。

人間、魔が差すということがある

テレビや新聞は、相も変わらず物騒な事件を報じています。皆さんは、別世界のことのように感じるでしょうか、それとも、自分にも起こりうるとお思いでしょうか。

誰しも、「犯罪者」というと自分とは全く違う人種と考えがちです。しかし、その犯罪者も最初に何かやらかして「犯罪者」になってしまうまでは真人間だったのだし、本人も自分は犯罪者ではないと思っていたはずです。

かく言う私も、まだ何もやらかしていないので自分では真人間だと思っています。人並みに正義感もあるつもりです。犯罪報道を聞いて「何と怪しからん!」と憤ることもしばしばです。

ですが、人間、「魔が差す」ということがあります。

これからの人生で、怒りのあまり人を突き飛ばすということが無いとは断言できません。そうすれば立派な暴行罪です。相手が怪我をすれば傷害罪、打ち所が悪くて死んでしまえば殺人罪です。

企業家は商法違反や不正競争防止法違反のリスクがありますし、公務員ならば、収賄の誘惑があることでしょう。

パトカー
(c) MASA CC BY-SA 3.0

万引きの誘惑

そこまで大それた罪でなくても、やらかしそうなことは他にもあります。

世間で多いのは万引きですね。これは食うに困ってやむにやまれずやるよりも、経済的に全く必要ないにもかかわらずやってしまうケースが多いそうです。いわゆる盗癖というやつです。私は金に困ってはいないし、今までの人生で万引きの誘惑に駆られたこともないので、これに関しては大丈夫でしょう。

ただ、将来もし一文無しになってしまえば、貧すれば鈍すでどうなるか分かりません。

怖いのは交通犯罪

一番危ないのは、やはり交通犯罪です。

早い話、車で人を轢いてしまった場合です。たとえ不可抗力に近い状況でも、加害者の「過失」が擬制され、業務上過失致死傷に問われるのが普通です。

酒を飲んでいたり、自賠責が切れて(自賠責が切れていると任意の加入期間が残っていても保険が下りない)いたりすると目も当てられません。特に飲酒運転で人身事故を起こした場合は実刑になるし、多額の賠償を請求されるしで人生が終わってしまいます。

運転するときは一歩間違えば奈落、と肝に銘じておかなければなりません。

私が過去に犯した罪

最初に自分は真人間だと書きましたが、では、今までの人生で本当に何一つ罪を犯していないのか、ちょっと考えてみました。ただしスピード違反などは「犯罪」ではないのでノーカウントです。

一つありました。

若い頃、同僚のタバコを一本、無断で拝借したことがあります。

無断はまずいですよね、無断は……。タバコを一本黙って貰う行為は、立派に窃盗罪の構成要件に該当します。ただ、あまりに軽微(当時は一本10円もしなかった)なので可罰性がないという理屈で、結局お咎め無しとされる場合が多いようです。つまり、そのレベルまで摘発していては警察・検察・裁判所などがパンクしてしまうので、ということです。

余談ですが、昔、蜂須賀侯爵が皇居に参内した折、控えの間で目の前に(誰かが置き忘れた)タバコがあったので一本拝借したそうです。そこへ明治天皇が通りかかり、「蜂須賀、血は争えんな」と仰ったのだとか。蜂須賀家の祖、蜂須賀小六は盗賊だったという伝説にからめた冗談に、侯爵は恐縮することしきりだったそうです。

タバコのみって、吸いたくなるとどうしようもなくなるんですよね。でも、それは言い訳ですね。

ちなみに、ここ10年ほどは禁煙を続けているのでタバコの誘惑もありません。しかし、私の心の中にある「このくらい良いだろう」という気持ちをそのままにしておいては、また似たようなことをやるかもしれません。

核融合は再生可能エネルギーか

古新聞を整理していると、懐かしい言葉を見つけました。

RPS法

8年前、2006年の記事です。現在では「再生可能エネルギー」と言うところを、当時は「自然エネルギー」と言っていたんですね。

「自然エネルギー」も「再生可能エネルギー」も意味するところはだいたい同じですが、現在では法律(再生可能エネルギー特別措置法)もマスコミも後者を使っています。さらに、「自然エネルギー」でGoogle検索しても、最初に「再生可能エネルギー」が出てきます。石油も石炭もウランも自然界に存在するものを利用しているには違いないので、より明確に「再生可能」と定義し直したのでしょう。

枯渇性資源であるウランを使う現在の核分裂炉が「再生可能」ではないことは論を待ちません。ですが、核融合炉だとどうなるんでしょうね。ほぼ無尽蔵の水素を用いることから「再生可能エネルギー」に含めるのか、それとも含めないのか。

法律ではともかく、言葉として考えると、再生可能とは必ずしも無限であることを意味しないはずです。太陽光だって有限なわけですからね。

であるならば、少なくとも人類が生存する間、枯渇することがないと期待される核融合エネルギーは「再生可能」と言って良いと思います。

人口が減り続ける時代、日本が生き残るには

3年前の記事で、日本の人口の推移を予測しました。それによると、平成25年10月の日本の総人口は127,290,000 でした。

総務省統計局の人口推計・平成25年10月報が出ているので、答え合わせをしてみましょう。

人口推計・平成25年10月報

平成25年10月1日現在、総人口、つまり外国人を含めた人口は、概算値ですが 127,300,000 とのことです。

私の予測、127,290,000 とは1万の差です。まずまず正確に計算できていたようにも見えますが、微分方程式で求めることができるのは出生と死亡による変動であって、一時的に日本に滞在する外国人は考慮に入れておらず、にもかかわらず「日本人人口」ではなく「総人口」を計算に用いたのはミスでした。

以前の記事に書いた「国民の頭脳を活用」して人口減の時代に対応せよ、という考えは今も変わっていません。

まずは教育を変えていくべきです。

現在の教育制度は工業化社会に最適化されています。端的に言えば「勤勉で従順な工場労働者」を育てるものです。他人と違う考えを持つことが排斥されるのは、工場では誰かが思いつきで新しいことをやると、ラインがストップしかねないからです。

しかし、もうそういう時代ではないはずです。

必要なのはイノベーションを起こせる人材です。これからの日本は、学校でも社会でも「他人と違うことを言うと誉められる」という文化を持つようにならなければいけません。

主人、旦那、亭主、ハズバンド

ANN のニュースを見ていると「韓日キムジャンお祭り」が東京港区の韓国大使館で開かれたそうです。キムジャンとはこの時期にキムチを漬ける風習のことだそうです。日本で開かれている以上、韓日となっているのは奇妙ですが、これは今回は言いますまい。

一番気になったのは、安倍総理大臣の夫人・昭恵さんへのインタビューです。

「(今日は三つも作れて)主人に食べさせたいと思います」
との発言の字幕が、
に食べさせたいと思います」
に変えられていました。

kimuchi

この手の言い換えは余計なお世話であるだけでなく、「主人」なる語が不適切だというメッセージでもあります。おそらく、夫婦の間に主従があることになる、という理屈からでしょう。

確かに、究極的には男尊女卑の思想が反映されていると言えなくもありませんが、現在のところ、夫を主人と呼ぶのは特に良家の奥さん方の間では普通のことです。

ああ、「良家」も平等に反する不適切用語かも知れませんね。「奥さん」も女を家の奥に閉じ込めておく思想だとかなんとか。

女性が他人に自分の夫を指して言う語としては、「夫」の他に、「旦那」、「亭主」などがありますが、「旦那」は使用人等が主人を敬って言う語でもあり、「主人」と同様の問題を抱えています。「亭主」はちょっと蔑んだニュアンスがあるので使いにくいし。

ちなみに、英語の “husband” も、古ノルド語の “husbondi” から来ており、hus は家、bondi は主という意味です。

本当にその言葉が不適切ならば、即ち、不適切であるとの意見が多数を占めれば、自然と使われなくなるはずだし、使えば非難されるのも仕方がないでしょう。

ですが、「主人」は未だそうなっておらず、命脈を保っています。テレビ屋が勝手に言い換えるのは「静かな言葉狩り」に他なりません。

「いつでも、どこでも、写真シェア」の落とし穴

東芝の FlashAir という製品が気になっています。

FlashAir

無線LAN付きフラッシュメモリというもので、デジタルカメラに入れて使うとスマホやタブレットから写真が見えるのだそうです。

元から無線LAN付きのデジカメもありますが、FlashAir を使えばどのカメラでも写真を共有できるようになります。とは言え、スマホのカメラを使った方が手軽さは確実に上なわけで、低価格のデジカメが駆逐されつつある状況を変えるほどの力は無いかも知れません。

それでも、高級デジカメは残っていくでしょうし、それらで撮った写真を簡単にオンラインストレージにアップロードしたり、SNS に投稿したりといった用途には、FlashAir は便利です。

落とし穴

ただ、ここまで便利になってしまうと一つ心配なのが、写ってはいけないものが写っている場合があることです。拳銃のように法に触れるものが写っていたのなら自業自得ですが、困るのはプライバシー関係ですね。氏名や顔は日本では多くの人が非公開にしているし、住所や電話番号やクレジットカードの番号を公開したい人はいないでしょう。

いや本当に、うっかり写ってる、ということがあるんです。

最近のデジカメは極めて解像度が高いので、拡大するとびっくりするほど細かいところまで写ってしまっています。ありがちなのが、車のボンネットなどツルツルした面に写りこんでいる場合です。それどころか、写っていなくても特定されてしまう情報もあります。最近のスマホやデジカメはGPS機能が付いているものが多く、設定によっては撮影場所の緯度・経度が写真に埋め込まれます。つまり、自宅やら愛人宅(笑)やらがバレてしまうのです。

著作権や肖像権にも注意

白状すると私もやらかしそうになったことがあります。9月に沖縄に行ったとき、うっかりと首里城の内部の写真を撮ってしまっていたのです。撮影禁止の表示を見落としていました。みんな当然のように撮っていたし、係員が制止する様子もなかった、ということもあります。

法的に言えば、建造物の外観を撮影することは著作権の侵害にはならないのですが、敷地内の撮影は管理者の指示に従う必要があります。

まあ、旅行の記念として個人で楽しむ場合は良いのだろうと思います。しかし、SNS やブログに投稿するとなるとグレーですね。危うく、「撮影禁止を無視する極悪非道なヤツ」として炎上するところでした。

さらに言えば、たまたま写りこんでいる通行人の肖像権を侵害している可能性もあります。ちなみに、これについての私の考えは、特に必要が無い限りモザイクは入れない、です。いかがわしい場所に出入りしているとか、やってはいけないことをしているというわけでもないのに、全部が全部、顔をモザイクにするのはやり過ぎです。

ですが、考え方は人それぞれですので、私が必要ないと思っても、写っている本人からモザイクにしてくれと言われることがあるかも知れません。その時にはもちろん速やかに対応するつもりです。

ちょっと話が逸れました。

スマホに押されてカメラ専用機が売れないと言われますが、インターネットのブロードバンド化によってアウトプットの場を得た「写真」という趣味は、むしろ昔より広がりを見せています。美しい写真、面白い写真を撮れる人はヒーローです。

そういう意味で、冒頭にも述べたようにハイエンドのデジカメは伸びる余地があるし、FlashAir も売れるでしょう。

ただ、面白い写真を撮ろうとするあまり、一線を越えてしまって炎上することのないように気をつけないといけませんね。

移民受け入れよりも先にやるべきこと

少子高齢化が叫ばれています。我が国の人口は、平成19年以降はっきりと減少に転じました。

平成18年 127,770,000
平成19年 127,771,000
平成20年 127,692,000
平成21年 127,510,000
平成22年 127,380,000

これらは各年の10月1日時点での人口の概算です。今年(平成23年)の10月値は(当然)まだ発表されていないので、推測してみましょう。

ある時点の人口を N 、時間を t とすると、次の微分方程式が導かれます。

t で両辺を積分すると、

 (A は積分定数)

従って、

t = 0 とすると logN0 = A なので、

e は自然対数の底です。

さて、平成21年の値が 127,510,000 で、平成22年の値が 127,380,000 なので、定数γは

これを当てはめてると平成23年の10月値は、

およそ 127,324,000

と予測できます。
同様に計算を繰り返すと、平成24年には127,300,000、平成25年には127,290,000 となります。

うーむ、じりじりと減っていきますね……。
なお、この予測では過去一年間の減少が自然減のみで、且つ今後も自然減しか起きないと仮定しています。

国民の頭脳を活用すべし

小学校のころ、先生が「日本は資源のない国だから、頭を使って稼ぐしかない」とよく言っていました。そのときはおっさんの繰り言くらいに考えていたのですが、今にして思えば実に的を射た意見です。

人口減それ自体はまだしも、人口構成が頭でっかちに、つまり年寄りばかりになってしまうのはかなり深刻な事態です。

とは言え、「大変だ、大変だ」と騒いでみても何も始まりません。少しでも出生率を上昇させる努力が必要なのは勿論ですが、もう一つ重要なのは今現在の国民の能力をフル活用することです。

確かに年を取ると考える力は衰えます。しかし、そこをなんとか頑張ってみるのです。60を過ぎても、70を過ぎても、人間考え抜けば何か知恵が出るものではないでしょうか。

何も難しいことを考える必要はないのです。

例えば、そのへんのホームセンターで「ちょうつがい」を買うと、取り付けるための木ねじも一緒に付いてきますよね。これはもともと(100年以上前に)アメリカのスタンレー社が始めたことで、それによって売り上げがぐっと増えたそうです。
「いや、昔はその程度で良かったかも知れないけど、今はあらゆるアイデアが出尽くしてるから無理だよ」とお思いでしょうか。確かにそういう面もありますが、要は心がけ次第です。コロンブスの卵です。

日本には、高い知能と教養を持ちながら、今ひとつ生かし切れていない人が多くいます。これは考えようによっては、膨大な資源が眠っているに等しい状態なのです。

これからは、あらゆる業種の人々が今よりもさらに頭を使って、それぞれの業界で世界をリードするくらいにならなければなりません。

明治政府が富国強兵をスローガンとしたのと同じように、今、私たちは頭脳立国を国是とし、文化として組み込むべきです。

大変困難な道ですが、やってできないことはない筈です。移民の受け入れなどはその後の話です。

参考文献:
総務省統計局 人口推計
Modelling with Differential Equations by David N. Burghes, M. S. Borrie