萩で撮った写真で載せ忘れていたのがありました。
これです(笑)
夏みかんアイスクリーム。11月も末なのに。
夏みかんは萩の名産です。味はかなり酸っぱかったです。暑い時期、歩いて観光してまわって疲れたときなどに食べると清涼感があって良いかもしれません。
が、なにぶん今は晩秋、あるいは冬と言って良い季節です。さすがに冷たすぎました。茶店のお姉さんも怪訝そうな顔をしていました。
萩旅行の後半です。
良く晴れて、筋雲が見える日でした。
面白い地形ですね。中央右の小山の麓に萩城趾があります。
お堀には鯉が泳いでいます。
城址に入るには210円かかるせいか、中には殆ど人がいません。
銃眼を備えた海側の塀。
有名な反射炉は、城跡からは松本川を渡って5キロほど行ったところにあります。
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萩を見て回るには「中央公園駐車場」に車を駐めると便利です。
有り難いことに二輪は無料でした。後ろの建物は萩市立図書館です。
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萩には電車で何度も行っていますが、山陰線は本数が少なく陸の孤島という印象でした。今回初めて車というかバイクで行ってみて、思いの外早く着いたので拍子抜けしました。
中国道美祢東インターから絵堂までの「小郡萩道路」は無料ですし、交通量も多くありません。車だとかなり行きやすいですね。
今後、「花燃ゆ」の人気次第では観光客がわんさと訪れるかも知れません。
久しぶりに山口県の萩市に行ってきました。来年の NHK 大河ドラマ「花燃ゆ」では吉田松陰の妹が描かれるそうで、旗や幟がたくさん立っていました。
松下村塾です。さすがにここには幟は立っていませんでした。
それにしても、このような小さな学舎から高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋といった俊英が巣立ったという事実には驚きを禁じ得ません。
豪商、菊屋家などが並ぶ一角。立派な白壁です。
猫発見。
凡そ皇国に生まれては、宜しく吾が宇内に尊き所以を知るべし
吉田松陰が親戚の子の元服にあたって与えた「士規七則」の一文です。
明らかに、松陰は明治以降の日本国粋主義の源流の一つです。そして、彼が妹を娶せた久坂玄瑞もまた、勤皇の志士達の中でも最も先鋭的な一人です。
私は長いこと NHK の大河ドラマは見ていません。しかし、いわば右翼の神様である彼らと、二人を結ぶ松陰の妹・文(ふみ)が、どう描かれるのかには少し興味があります。
世間では国粋主義とフェミニズムとは水と油のように言われますが、実は意外に親和性があると思っているからです。
お国の大事と聞くからは 女ながらも武士の妻
まさかの時には しめだすき
長州に伝わる祝い歌の一節です。
「花燃ゆ」の脚本家は二人、いずれも女性だそうです。フェミニズムに偏りすぎては怖いおじさん達に凄まれ、国粋主義に傾けば怖い自由の闘士達に怒られるという難しい仕事でしょうが、お手並みを拝見したいと思います。
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もう少し萩の写真があるので、例によって2回に分けます。
岩国の錦帯橋に行ってきました。
まずは一般的なこのアングル。山の上にお城(岩国城)が見えます。
下から見ると幾何学的な構造美に感心させられます。
橋の下からお城を覗くという趣向。向こう岸に桜がたくさん植えられています。満開の季節にはさぞや見事でしょうね。
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ついでに近くにある周防大島にも行ってみました。こちらは初めてです。
……と、その前に腹ごしらえです。
この辺の名物である貝汁にしようかとも思ったのですが、お腹が減っていたのでラーメンにしました。スープに魚介の風味があり、なかなかの美味でした。
さて、周防大島です。
ご存じの通り、「大島」と呼ばれる島は全国にいくつもあります。恐らく一番有名なのは伊豆大島でしょうが、瀬戸内地方で大島と言えば、周防大島のことです。(正式には屋代島というそうです)
島には橋で行けます。ご覧のように古風なトラス式鉄橋で、車道の他に歩行者用の道もあり、中学生などが自転車で渡っていました。
写真は島側から本土を向いて撮ったものです。
このように橋を通る道と交差して地下通路が作られています。横断歩道などでこの道が渋滞すると橋の上が車でいっぱいになってしまうからでしょう。
こちらは本土側。のどかな漁村の雰囲気です。
瀬戸内の穏やかな海が印象的でした。
旅行から帰ってきました。今回は友人が車を出してくれて、私は乗っているだけで良いのでラクでした。そのぶん、彼は疲れただろうと思います。ありがとうございます。
目的地は先日書いたとおり箱根です。
やや曇り気味で霧も出ていましたが、どうにか富士山を眺めることが出来ました。
その後、ロープウェイで大涌谷へ。ご覧のように日が傾きかけているというのに観光客でごった返していました。外国人が多く、耳慣れない言語が飛び交っているのも印象的です。
宿では最近珍しく部屋で夕食をとることができました。メインディッシュの野菜鍋です。もちろん、この後肉も入ります。質素なようですが、野菜高騰の折、結構なご馳走と言えるかもしれません。ヘルシーですし。
刺身や焼き物も美味でした。
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翌日は、関所跡や箱根神社を回り、私の飛行機の都合を考えつつ、小田原、鎌倉、横浜へと徐々に羽田に向かって進みます。
小田原城にいた猫。
江ノ島は駐車場がいっぱいなので断念し、横浜で山下公園をしばし散策してから、最後は空港で解散しました。
このブログでは、日帰りどころか、行って帰っても半日かからない場所まで「旅行」というカテゴリに含めていますが、今回は久々に旅らしい旅でした。
予約投稿です。今週末は箱根に行きます。
と、いうわけで2,3日更新を休みます。
福岡県直方市にある水町遺跡に行ってきました。弥生時代から古墳時代にかけての遺跡です。
このように横穴墓がいくつも見られます。この日は特別展示ということで、学芸員の方が付きっきりで説明してくれました。
横穴墓の中です。入って良いと言われたので入って撮影しました。フラッシュを焚いています。
横穴墓群を上から。
横穴墓から出た須恵器・土師器(はじき)です。これも触って良いと言われたので触らせて貰いました。思った以上に軽いのが印象的でした。
こちらは上の横穴墓群の裏手にある横穴で、時代としては少し新しいもののようです。
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この横穴墓は時代としては古墳時代にかかっていますが、「古墳」とは呼ばないそうです。なぜかというと、「墳」とは盛り土のことであり、横穴は「墳」ではないからです。古墳とは時代区分ではなく様式に着目した呼称なのですね。
温泉、行ってきました。大分県国東市国見町にある「あかねの郷(さと)」というところです。
かなりの山奥にあり、最初はこんなところに本当に旅館があるのかな? と思ったのですが、着いてみるとなかなか立派な建物で、温泉も特別広くはありませんが良い感じでした。
この日は台風が通過するということで、他には殆ど客もおらず、ある意味ゆっくりと湯に浸かることが出来ました。2日目の朝などは風雨の強まる中、敢えて露天風呂の方に行くなど、酔狂をしてみました。雨が降り込むので少しぬるかったですけどね……。
風雨と書きましたが、風はさほど強くはありませんでした。最近は注意を喚起するために「非常に強い台風」「猛烈な台風」といった表現をよく使うようです。しかし、「非常に強い」というわりには大したことないという印象を与えてしまっては、かえって油断を招くのではないでしょうか。
ともかく良い骨休みにはなりました。
予約投稿です。明日、明後日(12・13日。これを書いているのは11日です)とツーリングの予定だったのですが、台風が来てしまいました。
仕方がないので、車で行ってきます。
そういうわけで、少なくとも1日、ブログを休みます。旅の疲れが出たら2,3日になるかも。
先日から紹介する、すると言いながらしていなかった新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群は、かつての福岡県津屋崎町、現在の福津市にあります。
この古墳群、なんとユネスコの世界遺産暫定リストに載っているのだそうで、市としては正式登録に向けて頑張っているところのようです。
12号墳。6世紀前半の築造です。民家のすぐ側で、しかも住人以外通らないような小さな道の先にあるので、入っていくかかなり迷いました。道の切れ目と古墳との間に林があり、墳墓全体を捉えようとすると木が入ってしまうのが残念です。
写真中央の円墳は20号墳。5世紀。左に小さく見える鳥居の後ろの小山は22号墳。現在前方部は失われていますが、前方後円墳です。
その鳥居です。他の古墳は草刈りが行われているのに対し、22号墳は鬱蒼たる木々に覆われているのは、この鳥居で分かるように神域とされているからでしょう。
25号墳。5世紀。この日は風が強く、草がなびいています。
30号墳。6世紀中頃。かなりきれいな形を保った前方後円墳です。手前のコスモス畑が詩情を誘いますね。
24号墳。6世紀前半。前方後円墳です。
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おまけ。
すぐそばにある、万葉歌碑です。この歌については、以前書きました。