蜩や忠魂の碑を仰ぎみる
蜩や忠魂の碑を仰ぎみる
萩に行ってきました。言うまでもなく、吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文らを輩出した維新揺籃の地です。
JR東萩駅の様子。モノクロ映画から抜け出したかのようです。
松本川。
吉田松陰を祀る松陰神社。
由緒。
神社の敷地内にかの「松下村塾」の建物があります。
伊藤博文の旧宅。神社のすぐそば、200M程の距離です。
中の様子。
脇には博文公の銅像がありました。
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本記事のタイトルは、松陰が親戚の子の元服にあたって与えた「士規七則」の一節です。松陰神社には「至誠館」という宝物殿があり、この「士規七則」を初めとした様々な文物(一部は複製)が展示されているのですが、残念ながら撮影が禁止されていたのでお見せすることは出来ません。もし機会があれば現地まで足を運ばれてご自身の目でご覧になって下さい。尊皇がまるで悪いことのように言われる昨今ですが、現代の日本人が勤皇の志士にいかに多くを負っているかを考える良い契機になります。
汗を拭き汗を拭きつゝ萩の道
出張で小倉へ行ったので、帰りに手向山に寄ってきました。
山といっても高さ70Mくらいの小高い丘のようなところです。
頂上にはこのような広場があります。
そして、有名な宮本武蔵の碑。
この碑は彼の養子であり小倉藩の家老となった宮本伊織が建立したものです。この山は宮本家の所領であったと言います。
かなり新しいものですが、武蔵に敗れた小次郎の碑もあります。
佐々木小次郎と言えば、昭和初期までは憎たらしい爺さんとしてイメージされていたようですが、吉川英治の「宮本武蔵」以来、目元涼しい美青年として描かれることが多くなったそうです。この碑文も美青年説に拠って書かれていますね(笑)
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眺望の方はこんな感じでした。
生憎、ちょっと天気が悪かったので、どの写真もいまいち精彩がありませんが……。
ちなみに、登ってから頂上でしばらく休憩し、下りるまでの間、人っ子一人会いませんでした。
昨晩、Mac OS X の最新版(10.7)がリリースされたので、早速インストールしてみました。
Mac App Store を利用したのは初めてだったのですが、あまりの手軽さに驚きました。文字通り数回クリックするだけ。それでいて、ちゃんと課金はされているわけです。これは iTunes Store と並んで(というか、iTunes の方がメイン)、Apple の強力な集金マシーンとして機能しているに違いありません。
ちょっと脱線になりますが、実は先日 PlayStation 3 を購入しました。ですが、PSN の方にはクレジットカード情報は入力していません。この間あんな事があったばかりですからね。まぁ、実際はそこまで神経質になる必要はないとは思いますが、少しでも不安を感じると、利用する気がうせてしまうのが人情というものです。
そう考えると、ソニーが失ったものは大きいと言わざるを得ません。
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さて、Mac OS X 10.7 に話を戻すと、一番驚いたのは、マウスホイールを回したときのスクロールの方向が今までと逆になったことでした。iPhone 等での操作と似た感覚にするためだと思いますが、さすがに使いにくいので、早々に「システム環境設定」で元に戻してしまいました。
それから、私は CapsLock で IME を切り替えているのですが、そのためのユーティリティー、「PCKeyboardHack」が使えなくなってしまいました。作者の方によると、このアプリをアップデートするには OS のカーネルのソースコードが必要なのだそうで、10.7 対応版が出るのはしばらく先になるそうです。
それ以外には、それほど戸惑うようなことはなかったように思われます。Launchpad や Mission Control といった新しい UI も、概ね気に入りました。
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総じて変化とは受け入れがたいものですが、私の錆びついた脳には、OS のアップデートは丁度良い刺激かもしれません(笑)
業者ブログは手軽な反面、バックアップや移転がしづらいのが難点です。
ここSeesaaでも(移転前はSeesaaに置いていました)、テキストはMT形式で書き出すことが出来ますが、画像等を含めた一般的なバックアップの手段は提供されていません。
仕方がないので、
まず、上のようにログから画像等のURLを抽出し、
Irvineでダウンロードしました。
Irvineは久しぶりに使いましたが、JWordのツールバーかなにかをインストールしようとするので要注意です(-_-)
雲の峰崩るゝ如く父歿す
つい先ほど、父の葬儀を終えました。
こういう場所にあまり細かいことを書くものではないと思うので、一つだけ今回気づいたことを挙げてみます。
葬式というのは、ご存じの通り次から次へと細々とした行事が続きます。以前の私は、そうやって忙しくしていることで悲しみが紛れるからだと思っていました。
しかし、実際に経験してみると、葬儀社の手配、病室で看取った後の霊安室への移動、そして安置所へ……といった風に、通夜・葬式が始まる前から緊張に晒されるものなのですね。
そして、お寺さんへのお布施や戒名料(うちは浄土真宗なので本当は法名料)を幾らにしようか考えたり、出棺前の参列者への挨拶など、世間知らずの私には荷が重いことばかりでした。
それらをどうにかやり終えた今、奇妙な達成感のようなものがあります。これも一種の「癒し」なのでしょう。
初七日は繰り上げということで今日やってしまったので、次は四十九日です。
病院へ續く坂道釣鐘草
英語の諺に “Do not swap horses when crossing a stream.” というのがあります。「川を渡っているときには馬を替えるな」。落っこちたら危ないですからね。
これは旅の心得を述べたものではなく、「国家が困難な状態にあるときには、政権を交代させるべきではない」という意味です。なぜそれが分かるかというと、1864年のリンカーンの演説が初出だからです。ちょうど南北戦争が熾烈を極めていた時期です。
© Gregory F. Maxwell (GFDL-1.2)
翻って我が国の現状を顧みると、これまた極めて困難な状況にあります。まさに川を渡っている最中のようなものです。しかるに、震災以降政権交代を求める声が益々大きくなってきました。つい先日は菅総理に不信任案が提出されましたし、それが否決された現在も「菅降ろし」の動きは続いています。
ですが、なぜ菅総理が辞めなければいけないのか、私にはどうも分かりません。なにか特別落ち度があったわけでもないし、今辞めても、小沢・鳩山の一派を利するだけです。
確かに、菅さんは名宰相とは言い難いかも知れません。リンカーンと比べるなど片腹痛いと言われれば、その通りです。しかし、そのリンカーンも実は、議会の承認なしに軍を増員するなど、かなりきわどい政策を行っていました。
もし、今の日本の政治家なら「憲法違反の独裁者を許すなーッ!!」とか言って政局化していたことでしょう(笑)
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菅総理に望むのは、震災復興に必要な予算・法律を粛々と通していくこと、そして、どうしても内閣が持ちそうもないときは思い切って衆議院を解散することですね。
それまでは、菅続投で構わないと思います。
最悪なのは、「菅降ろし」の圧力に屈して、民主党の誰かに「禅譲」してしまうことです。それだけは避けて欲しいものです。
NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国」をこきころすこの記事、もの凄く気になるところが一カ所あります。
そう、
「まして戦国の世においておや」
です。
もちろん、正しくは「おいてをや」です。
気になる……。
ドラマの方は見ていないので何とも言えませんが、一般に最近のNHK大河は若い人に媚びるようなところがあってイヤだという人が多いようです。
ここは一つ、逆に超硬派の時代劇を作るとヒットするかも知れません。が、細かい考証ができる人が現場にいない、時代劇特有の所作を役者が知らないといった具合で難しいのでしょうか。