大分中津

大分県の中津に行ってきました。

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中津城。黒田如水が建てた城です。

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福沢諭吉旧居。隣にはレストランがあり、「諭吉御膳」というのがありました。お値段1300円。諭吉なのに。
何となくお得な感じがしてきますが、要予約とのことで、今回はスルーしました。

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合元寺、通称赤壁寺です。うん、本当に赤いですね。
ご存じの通り黒田如水は豊臣秀吉から此の地に封じられました。地元の豪族達の中には如水に心服していないものも多かったそうです。そんな地元の侍達がこの壁の前で斬り殺されたそうで、そのときの血痕を隠すために赤く塗られたのだとか。

ところで、帰りに中津駅のホームで特急券を買おうと思ったら券売機がありませんでした。改札口を通る前に買っておかなければいけなかったようです。仕方がないので車内で買ったのですが、車内ではスゴカ(九州版スイカ)が使えないんですね。車掌に1万円しかないと言うと、じゃ1万円の切符を出しとくから駅で精算してくれと。うーむ、めんどくさい。

私は旅慣れていないので、こういった細かいミスが多いです。気をつけねば。

中国を見習え

中国では、10年ほど前から生活保護制度がスタートしたそうです。面白いことに、「透明性を確保するため」に被保護者の個人情報は公開されるのだとか。

やはり中国ではプライバシーの観念が希薄なのだな、遅れているな、と思ってしまいがちですが、果たしてそれだけで済む話でしょうか。

例えば、日本でも、車検を受けたことを示すステッカー(検査標章)は、皆何の疑問も持たずに貼っています。あれだって、次の車検はいつかというプライバシーだと思うのです。実際、ガソリンスタンドで、あれを見て「ウチの工場で車検を受けませんか?」と勧誘を受けることはよくありました。最近はセルフサービスが多いのでそうでもないかも知れませんが。

いやいや、車検の時期が他人に知られても恥でもなんでもないけど、生活保護を受けていることを知られるのはイヤでしょと言われると、確かにもっともです。

しかし、税金で食わせてもらっているのに、それを知られたくないというのは本当に正当な権利と言えるのでしょうか。食わせるなと言っているのではありません。食わせてはもらうけど、その事実は内緒にしてくれというのはどうなの、という話です。
権利と言えないものがいつのまにか権利として扱われ、それによって本来の人権の姿が歪められている気がしてなりません。あれもプライバシー、これもプライバシーでどんどんエスカレートしてしまう。しまいには、役所に情報開示を求めたら、肝心なところは「プライバシー」であるとして墨塗りにしてあるといった有様です。

人権後進国である中国ですが、彼らのやり方からヒントを得てはいけない理由は何もありません。
生活保護受給者の氏名はぜひ公表するべきです。

門司港

門司港に寄ってきました。

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三井倶楽部。ちょっと屋根が切れましたね(笑)

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これってマンションらしいのですが、展望台があって誰でも登れます。ただ、今回はスルー。

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ちんちん電車。懐かしいですね~。一つ前のバス停に「鉄道記念館」があるのですが、これもスルーしてしまいました。このちんちん電車は記念館ではなくてちょっとした公園みたいなとこに保存されてるヤツです。

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国際友好記念図書館。さっきのマンションのすぐそばにあります。

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曼珠沙華。もう秋ですね。

少額訴訟まとめ

昨日、相手方が全額弁済してくれました。これで、6月11日の訴状提出から3ヶ月に及んだ紛争も、完全に解決です。失いかけた金が戻ったというだけで、別に儲けたわけではありませんが、やはり嬉しいものですね。

淡々とやるべし

世の中には情熱を傾けてやるべき仕事と、淡々とビジネスライクに進めた方が良い仕事の2種類があります。少額訴訟は明らかに後者です。たかだか60万(私の場合は10万でした)やそこらの金で取り乱すのは人としてどうかと思いますし、頭に血が上ると思わぬ失敗をしてしまうからです。

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今回の件にしても、前の記事を見て頂くと分かりますが、私自身、相手に対して憤慨するところ無きにしも非ずでした。しかし、憤慨しすぎて言ってはならないことを言ったり、やってはならないことをやってしまっては元も子もなくなります。例えば「ぶっ殺すぞてめぇ」などと口走る、相手の家に押しかけて口論の末、暴力をふるうなどですね。こんなことで三面記事を賑わすのはつまりません。
そこまで行かなくても、わずかな金のために自分の精神的リソースを大量に割り当てるのは賢明とは言えません。
ですから、まるで他人事のように淡々とやるのがベストです。

分からないことは書記官に聞く

簡裁の窓口の人は非常に愛想が良く、こちらとしても緊張せずに済んだのですが、担当になった書記官はちょっと声の調子が怖いというか、あんまり優しそうな感じではありませんでした。

これは想像ですが、裁判の当事者の中にはタチの悪いのも大勢居るわけで、下手に愛想良くして舐められてはいけないからだと思います。
もっとも、手続きに関して分からないことは書記官に聞けばなんでも教えてくれます。イメージ的には「怖いけど実は親切な先生」のような感じです。ただ、もし、筋の通らない要求をすればピシャッと撥ね返されるだろうと思います。そういう毅然とした雰囲気を感じました。

もし訴えられた場合は必ず答弁書を出す

面白いことに、裁判官は事件の内容を殆ど把握していないようでした。法廷で「あなたが請負った仕事の代金を請求するということですね?」と聞かれたので、「いいえ、私は仕事を依頼した方でして、相手方が仕事をしてくれないので、前払いした代金を返還して欲しいという請求です」と訂正すると、裁判官は苦笑していました。

要するに、被告は答弁書を出しておらず、期日にも欠席したので、原告の請求を全面的に認めるのはもう決定事項で、その際、請求原因は割とどうでも良いみたい(というか、書記官まかせ)なのです。

これは考えてみると恐ろしいことで、今回私は前払いした10万円を取り戻すだけで良しとしましたが、「50万円の損害が発生しているのでそれも賠償して欲しい」と言っていれば、それも通ったわけです。
このように、欠席裁判というのはとてつもなく不利ですから、もしあなたが少額訴訟の被告となることがあったら、少なくとも答弁書だけは出すことをお薦めします。

何事も経験

このブログで今回の裁判についての記事を読み返してみると、毎回のように「良い勉強になった」と書いています。これは自分で自分をなだめるために書いたことではありますが、10万円という大してプレッシャーを受けない金額で、訴訟の手続きを一通り経験できたのは本当に良かったと思います。

これが100万、1000万という金額だったら、果たして「淡々とビジネスライク」にできたでしょうか。絶対に無理ですよね。もちろん、その場合は弁護士に依頼するでしょうが、なんにせよ平常心を保つのは困難なはずです。

カネ~、オレのカネ~、オレのあの1000万は、ど・こ・じゃ~

と、亡者のように、あるいは餓鬼のように、夜な夜な呟き続けるかも知れません(笑)

冒頭に書いたように、既にお金は返してもらいました。

相手方にもいろいろと事情があったようです。事業に失敗して資金繰りが苦しい時期だったようで、そんな時に私が「前払い」を持ちかけたものですから、スケジュール的にほぼ無理だったにも関わらず、つい仕事を受けてしまったのだと思います。
こちらからの連絡に応じなくなったのも、「会わせる顔がない」からでしょう。本当に悪い奴なら、5分で作ったような手抜きのデザインを平気で納品するはずです。

なので、気持ちの上でもこの一件はすっかり水に流すつもりです。

ただ、一連の記事の中に、相手に対して礼を失するかもしれない表現(「けしからん」など)がありますが、これらはあくまでその時点での私の偽らざる心情ですから、そのままにしておきます。

勝訴!

今日裁判があり、私の主張を全面的に認める判決を頂きました。少額訴訟ですので、これでほぼ確定です。「ほぼ」というのは、被告には異議申立てをする権利があるからです。もっとも、異議申立てがあっても、審議するのは判決を出した裁判官ですので、結論は変わらないものと思われます。

法廷はラウンドテーブルで、終始なごやかな雰囲気でした。10分前くらいに入室して書記官と雑談したのですが、「相手方はけしからんですね」と言ってました。
前にも書きましたが、裁判所はあくまで中立、一方当事者の味方をすることはないのが建前です。それにもかかわらず、けしからんと言わしめるほど、けしからんわけです(笑)

3分前くらいに裁判官が入室し、一応時間まで待ちます。しかし、やっぱり被告は来ない、ということで時間通り開廷、被告は答弁書も出さず出廷もしなかったので原告の主張を全て認める、との説明があり、わずか5分で終了しました。

祝杯にビール(発泡酒でなく!)とおつまみを買って帰りました。で、プシュッとやりかけた瞬間、裁判所から電話が……

忘れ物でもしたかと思ってちょっと焦りましたが、なんと「判決正本を送達するのに、予納した切手が足りなくなったので、追加で郵送するか、直接取りに来て下さい」とのことでした。
「それなら帰る前に言ってくれれば良いのに」という言葉をぐっと飲み込み、取りに行きました。

そんな感じでどうにか勝訴です。

ただ、書記官も言ってましたが、強制執行は裁判以上に難しいそうです。例えば、銀行預金については支店ごとになるので、「当支店にはその人の口座はありません」ということで取り返せないかもしれません。債務者が銀行に借金していると、「相殺」ということで取り返せないというのもよく聞く話です。

ですが、ここまで来たら完全勝利(全額取り戻し)を狙いたいところです。なんにせよ、出版社のギャラ(被告は著書多数)は差し押さえようと思います。これでヤツは、次からは本が出せなくなるかもしれません。ふひひ。
それに、金融機関は預金を差し押さえられると「事故記録」に載せるので、ヤツはローンなどが一切組めなくなるはずです。クレジットカードも作れなくなります。いわゆる「ブラック」というやつです。

あれこれ考えると、答弁書すら出さなかった相手方の馬鹿さ加減には驚くばかりです。そして、この程度の想像力さえ働かない人間に仕事を依頼した私も、なんと人を見る目が無いのかと愕然とします。

まぁ、しかし、色々な意味で良い勉強になりました。

とりあえず、被告に判決が届いた頃を見計らってもう一度だけ催促してみようと思います。それでダメなら強制執行です。本当は今日貰った判決は仮執行宣言付なので、すぐにでも強制執行できますし、その方が相手に準備(銀行口座を空っぽにするなど)する機会を与えないので有利なのですが、もう一回だけチャンスを与えてみます。甘いでしょうかね……

少額訴訟とFacebookの落とし穴

まだ判決は出ていませんが、被告への送達が無事完了したので中間報告です。少額訴訟をお考えの方、あるいは訴えられたという方は、よかったら参考にして下さい。

訴えた経緯は以前書いた通りです。

ザラ紙に鉛筆書き

まずは訴状の提出です。少額訴訟の訴状の用紙は本来は3枚の複写になっており、一枚は正本、もう一枚は被告に送る副本、最後の一枚は原告の控え、として使われるようですが、私が行った小倉簡易裁判所では、ザラ紙を一枚渡されて、とりあえず鉛筆で書いてきて下さい、と言われました。
少額訴訟は素人向けということで、わかりやすいパンフレットや訴状の「記入例」なども同時に渡されます。
翌日鉛筆書きしたものを持って行くと、「はい、これでOK」ということで、コピー機で3枚コピーしてから提出しました。

恐らく、本来の3枚複写の用紙だと、「書き損じるといけないからもう一枚ください」だの「いや、ダメです」だのとお互いに面倒なので、鉛筆書き→チェック→コピーという運用がなされているのでしょう。

同時に証拠書類(これも3枚ずつコピーしておく必要がある)の提出も行います。窓口の人が「甲第一号証」みたいなハンコをポンポンポンと押してくれます。

手数料は訴額10万円ごとに千円です。さらに、郵券すなわち切手を6千円ほど納めます。これは送達等につかわれるのですが、余った分は裁判が終わった後で返して貰えるそうです。

手続きは迅速だが……

訴状を出したのが6月11日、わずか3日後の6月14日には「呼出状」が届きました。
訴状が提出されると、まず窓口で手数料や切手が足りているか、必要事項は全て記入されているかといった形式的なチェックがなされ、つぎに書記官、最後に裁判官がチェックをして、晴れて受理ということになり、原告および被告に呼出状等を送達するらしいのですが、わずか3日で呼出状が届いたところから見ると、この裁判官によるチェックは少額訴訟ではやらないのかも知れません。世間で「裁判は時間がかかりすぎる」と言われていることを裁判所も気にしているようで、少額訴訟では特に迅速さを重視しているようです。

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で、上の写真がその呼出状です。当然のようにザラ紙です(笑)

ザラ紙ではありますが、「呼出状」だとか「出頭してください」だとか、使われている用語がいちいち怖いのが特徴です。原告の私でさえ、ちょっとドキッとしたほどですから、被告の方はどれだけビビったろうかと想像すると愉快ですが、後述するように被告は愚かにも訴状を受け取らなかったのです。

送達が完了していない?

さて、裁判が7月19日に決まり、内心楽しみにしていました。ところが、数日前になって裁判所から手紙が来て、「被告が『不在』で訴状副本等の送達が完了していない」というのです。
こういう場合、「付郵便送達」を上申する必要があります。また、数日間で手続きを完了するのは不可能なので「期日変更」の申請もしなければなりません。このあたりのことについては「赤の他人の住民票を取った話」でも書きました。

問題は付郵便送達を上申するに当たって添付する必要がある(被告の所在の)調査報告書と、被告の住民票です。首尾良く住民票は取れたのですが、被告の所在調査は現地に出向いて行わなければなりません。私は福岡県在住、被告は横浜ですから、新幹線だと往復で4万円以上かかります。

私としてはこの際お金は問題ではないので横浜まで出向くことに吝かではなかったのですが、念のためまず担当の書記官に聞いてみると、「現地に出向くのが建前ではあるが、あなたの場合、訴額も少ないし、相手は遠方でもあるので、わざわざ行ってもらうのは気の毒……」と妙に理解あるお言葉です。

Facebookは疎明資料に使える

私が「Facebookの投稿を見ると、被告が訴状記載の住所に居ることは明白なんですけどね」と言うと、「それなら、とりあえずそのスクリーンショットをFAXしてください」ということになり、FAXすると、「検討しますね」と言われて、翌日めでたく「昨日ので許可することになったので被告の住民票と併せて正式に提出して下さい」と電話がありました。脛に傷を持つ人は、Facebookで個人情報を垂れ流すのは要注意です

本来、書記官は、というか裁判所は原告の味方でもなければ被告の味方でもなく、あくまで中立です。ですから、「わざわざ行ってもらうのは気の毒」との発言には、やや意外の感を受けました。

たぶん書記官はあまり当事者を現地調査に行かせたくないのでしょう。

というのも、現地調査は普通は法律事務所の職員がやる仕事で、彼らは慣れているし、万一「不審者」扱いされても、名刺を出して事務所に問い合わせてもらえば誤解は解けるからです。
当事者、つまり一般の人が被告の家の敷地に入ってガスメーターをチェックしたり表札の写真を撮ったりしていると、それこそ不審者そのものだし、警察でも呼ばれたら釈明に苦労することは必至です。

原告本人と被告とが鉢合わせしてケンカになってしまう心配もあります。
さらに、調査の結果、被告が居住していることが判明すれば良いのですが、もし「もぬけの殻」だった場合、当然、付郵便送達は認められません。たちの悪い原告だと、「お前が行けっちゅうから行ったんやぞ! 往復4万とホテル代1万、合わせて5万、どないしてくれんねん!」と、なぜか大阪弁で書記官に詰め寄るかもしれません(笑)

それに、そもそも訴状が「不在」で戻ってくること自体、被告がそこに住んでいることを窺わせるに十分です。なぜなら、表札が別人になってたり、明らかに人が住んでいる気配がなかったりすると、「不在」ではなく「宛所に尋ね当たらず」で戻ってくるはずだからです。

そういうわけで、裁判所は意外に柔軟な対応をしてくれますので、似た状況の方はとりあえず書記官に聞いてみて下さい。

あせらず淡々とやるべし

少額訴訟では代理人を立てずに本人訴訟でやるのが普通ですし、裁判所も相手が素人であることは重々承知なので、このように、思った以上に親切です。

ただ、通常訴訟には「公示送達」という手続がありますが、少額訴訟にはそれがなく、必ず相手の居所が分かっている必要があります。

今回手間取ったのも相手が訴状を受け取らなかったからで、もしこれをお読みのあなたが今後訴えられることがあったら、「居留守」は引き延ばし戦術としては有効です。
気の短い原告なら、それだけで諦めてしまうかも知れません。
ただ、2回までは送達を無視しても大丈夫ですが、3回目、すなわち「書留郵便に付する送達(付郵便送達)」が来てしまったらもうダメです。発送の時点で送達の効力が発生し、そのまま手続が進行してしまいます。
「答弁書」を出さず、期日にも欠席すると、「擬制自白」が成立し、原告の言い分が全て認められます。

今回の訴訟もどうやらそのパターンで、既に付郵便送達が完了していますが、相手方(被告)からは何の音沙汰もありません。恐らくまた居留守でしょう。

もしこのまま被告がなにもしなければこちらはそれだけラクに勝てるわけで、それはそれでありがたいのですが、憎たらしい被告が「出頭して下さい」などと書いてある呼出状を見て青くなる姿を想像して密かに喜んでいたのに、そうならなかった(らしい)のは残念です(笑)

延期となった裁判は9月6日とまだだいぶ先です。それに、「○○円支払え」との判決が出ても被告は結局無視するであろうことは容易に想像できるわけで、その先の強制執行にはさらなる困難が予想されます。

まあ、のんびりとやっていこうかと思います。
結果が出たらまたここで報告します。

赤の他人の住民票を取った話

現在少額訴訟をやっています。訴額はわずか10万円だし、こちらは原告なので気は楽です。

しかし、少額とはいえ訴訟は訴訟。やはり、最初に思っていたよりは面倒です。

まず、民事訴訟というものは、訴状の副本を被告に送達して初めて行われます。自分が訴えられていることさえ知らずに被告にされて、知らないから当然期日にも出頭しない→100%原告の言い分が通る、ではさすがにひどすぎますからね。

ところが今回の訴訟では、被告が「不在」ということで送達が完了していないのだそうで、こうなると、「付郵便送達」という手続きに入ります。付郵便送達の場合は発送した時点で送達の効力が発生し、あとは被告が受け取り拒否したり、居留守をしたりしても関係ありません。

ただ、間違った住所にポンと送りつけて、それで送達完了ということになってしまうと被告はたまったものではありませんので、「被告は間違いなくこの住所に住んでいます」ということを疎明する必要があるのです。疎明というのは「証明」ほど厳密ではないのだけど、ざっくり証明するという意味です。

で、その疎明資料と被告の住民票とを添付して「付郵便送達上申書」というのを出さないといけないということになり、被告の住民票を取りました。いわゆる第三者請求です。

自分や家族のならともかく、他人の住民票(の写し)を取るのは初めてです。
被告の住所の区役所に電話してみると、親切にやり方を教えてくれました。要するに便箋でもなんでも良いので必要事項(請求の種別・住所・氏名・請求事由・請求者の住所氏名)を書いて、裁判所から来た手紙のコピーと自分の免許証のコピーを添えて送ってくれとのことでした。それから手数料として300円分の小為替と切手を貼った返信用封筒も同封してくれ、と。

言われたとおりに請求を出したのが先週の金曜です。被告がきちんと現在の住所で転入届を出しているか分からないので、取れるかどうかはフィフティ・フィフティだと思っていました。

しかし、今週の火曜に裁判所から電話があり、担当の書記官から「もう、住民票届きましたか?」と聞かれたので、その時点では届いていなかったのですが、「あ、これは住民票出たな」と確信しました。

というのも、被告の住民票を取るように言われたのが先週の木曜、三連休をはさんでまだ火曜ですから普通に考えたらもう少しかかるはずです。にもかかわらず、「もう、届きましたか?」と気の早いことを言うのは、区役所から問い合わせがあったからだろうな、と。もし、住所が違っていて「該当無し」の場合は、区役所は裁判所に問い合わせるまでもなく私に送り返すでしょうから、問い合わせがあった、イコール、大丈夫だった、と思ったわけです。

案の定、今日無事被告の住民票が届きました。

他にも、期日変更申請書を出したり、変更の通知に対して請書を出したりと面倒なことだらけです。が、わずか10万円の訴訟にあまり労力を裂いてもいられません。淡々とこなしていくしかありませんね。

嗚呼、孺子ハ共ニ謀ルニ足ラズ

嗚呼、孺子ハ共ニ謀ルニ足ラズ。

高校の頃に漢文の授業で読んだ記憶がある一文です。「孺子(ジュシ)」とは若造・青二才という意味です。そのときは気にも留めませんでしたが、後に、この言葉がどういうシチュエーションで発せられたかを知って驚いたものです。

范増

前回お話しした季布と同じく、范増(はんぞう)も項羽に仕えた人です。
范増は、項羽とその叔父の項梁とに強いて乞われてその幕僚に加わったとき、既に齢七十を超えていたと言います。もう歳なので、と断ろうとしたそうですが、項羽らのあまりの熱意についに仕官を決意します。

范増はとても賢い人なので、早くから劉邦の器を見抜き、天下を取るのは項羽と劉邦のいずれかであると見ていました。そこで劉邦を除くことを考え、有名な「鴻門の会」をセッティングします。ここで劉邦を暗殺してしまおうというわけです。

ところが、項羽は劉邦を侮り、殺すまでもあるまいと思って見逃してしまいます。このときに范増の口から出た言葉が「嗚呼、孺子ハ共ニ謀ルニ足ラズ」です。
項羽は才気煥発、身の丈は九尺を超えるというものすごく恐ろしい人です。我が国の織田信長に似たイメージがあります。そんな項羽に向かって青二才呼ばわりしたのですから、范増の硬骨漢ぶりも相当なものです。

失われた美徳

そもそも范増は上にも書いたように項羽に仕えるのに乗り気ではなかったのですが、一度仕えたからには忠義を貫きました。それも今日よく誤解されているような「ゴマすり」の忠義ではなく、自らの命を省みない本物の忠義です。

翻って現代の日本にこのような気骨のある人物がどのくらいいるでしょうか。あまり多くはないはずです。

無論、「忠義」とは封建時代の観念であって、民主主義の世の中では発揮したくともしようがないというのは確かです。ですが、節に殉じるという意味では、このいにしえの徳は、現在でも形を変えて残っていて然るべきです。

分かりやすく言えば、「一度口にしたことは覆してはならない」ということです。もっと簡単に言えば「約束は守りましょう」ということです。

政治家の公約から新聞の見出しに至るまで、言葉があまりにも軽く扱われています。

「言ったことは守る」というごく当たり前のことを着々と実践する、それは自分のためであって、決して人のためではないのです。

正直者は馬鹿を見るか

先年他界した父がいつも言っていたことがあります。

「前払いはするな」。

もっとも、私の方としては言われなくても分かっているつもりでした。

例えば、こんなことがありました。
近所の家電量販店でレーザープリンターのトナー(のカートリッジ)を買おうとした時のことです。店員が、「取り寄せになるので、先に金を払って欲しい」と言うので、深く考えることもなく払いました。確か5千円くらいだったと記憶しています。
ところがそれが大失敗で、1週間たっても届きません。電話であとどのくらいかかるか聞いても、分からないの一点張り。結局2週間くらいかかりました。
さて、そのころはプリンターを酷使していたので半年も経たずして再び同じ店で同じカートリッジを買うことになりました。前回で懲りているので注文時には金を払わず、「品物が届いてから払います」ときっぱりと言いました。するとどうでしょう。翌日には「ご注文の品が届きました」と電話がありました。

金を払った後よりも、払う前の方が明らかに対応が良いのです。

これは考えてみれば当たり前のことです。業者は金を貰うために仕事をしているのです。言い換えれば、金を貰うまでが仕事、ということです。1度目は、店員にとって「金は既に受け取っているので適当にあしらっておけば良い」客だったのです。2度目に注文したときは、店員はまだ金を受け取っていませんから、私の機嫌を取る必要があったのです。

父の遺訓を忘れる

このような世間の「現金さ」を少しは分かっているつもりだった私は、基本的には前払いを拒否してきました。

ところが、今年に入ってついやらかしてしまいました。
先日もご紹介した「EZTimeline」のデザインをデザイナーに依頼する際に「前払い」してしまったのです。
正直言って、前払いしてしまうと手抜きされるかもしれないな、とは思っていました。しかし、金だけ取って一切なにもしてくれないというのは想定外でした。納期を過ぎると相手は電話にも出なくなりました。
仕方がないので、内容証明郵便で契約を解除する旨通知し、その後、少額訴訟を提起しました。現在、裁判所からの連絡待ちです。

信用はプライスレス

このような仕儀に至ったことは残念ではありますが、良い勉強になったとも思っています。一つは上に述べたとおり前払いはいけないということです。ただ、単純な売買契約と違って、デザインのような「請負契約」の場合は、後払いでは逆に請負人(デザイナー)が極端に不利になってしまいます。結局のところ、「前金としてまず半分、残りは仕事が完成してから」というのが妥当でしょう。いずれにせよ、全額前払いなどというのは非常識だということです。

実は、今回「前払いでも良いですよ」と言ったのは私の方です。と、言いますのも、相手のデザイナーはそれなりに有名な人で、著書も多数有り、多忙な人だからです。たぶん断られるだろうと思っていたので、つい父の遺訓も忘れて「前払い」をちらつかせてしまったのです。

ですから、今でも私はその人の才能を高く買っているし、欺されたとは思っていません。むしろ、「前払いするから」などと無理に仕事をやらせようとして悪かったなと思っているくらいです。恐らく、フリーランスのデザイナーは、キャパを超えて仕事を入れてしまいがちなのでしょう。それでも、お得意様の仕事や高額な案件はなんとか完遂しようとするでしょうが、私のような素人の一見さんの仕事、それも金は既に貰っている仕事は、後回しになって当然です。

しかし、しかしです。

後回しだろうと手抜きだろうと、引き受けたからにはプロフェッショナルの誇りにかけてやり遂げてくれる、と信じていたのですが……

今回、一番勉強になったのは、前払い云々よりも、約束を守らないことがどれだけ損なことかと気づかされたことです。
そう、損なのです。彼(デザイナー)は「仕事をせずに金だけ取れてもうかった」わけではありません。逆です。信用という観点からすれば大損しているのです。現に私の信用を失っただけでなく、裁判沙汰になったことでこれからもっと多くの人の信用を失う可能性が高いのです。

一事が万事と言います。彼はそうやって少しずつ約束を破っては自分の可能性を狭めていってしまう、そういうタイプの人なのでしょう。折角の才能を持ちながら。惜しいことです。

季布の一諾

その昔、楚の項羽の配下に季布という武将がいました。季布は子供の頃、「自分は頭も良くないし、何の取り柄もない。これからどうやって世に出ようか」と考え、「よし、自分は『正直』でやっていこう」と決めたそうです。それからというもの正直一路、約束したことはどんな些細なことでも守り抜き、季布が引き受けたなら絶対に大丈夫だという意味で、世に「季布の一諾」と言われました。
楚が滅んで漢が興ってからも重く用いられ、河東郡の太守に任ぜられたということです。

約束を守る。

この、本来当たり前の事柄は、しかし、突き詰めていけばそれほどの価値があるのです。何があっても約束を守る。一時的に損をすることがあっても、守り続けていれば、積み上げた信用は千金万金にも値するのです。

件のデザイナーは、このような信用の大切さに気づいていないのでしょう。私は彼の姿を反面教師として、約束だけは守ろう、そして、無理なことは引き受けまい、と肝に銘じることが出来たぶんラッキーです。