名児山

大汝少名彦名(おほなむちすくなひこな)の神こそは 名つけ始(そ)めけめ 名のみを名児(なご)山と負ひて わが恋の千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰めなくに

万葉集に収められた大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌です。この歌に詠まれた名児山が福岡県津屋崎町(現在は合併して福津市)にあると、ものの本で知ってから一度訪れてみたいと思っていました。

今日、ようやく行く機会を得たのですが、いざ行ってみるとどれが名児山なのかよく分かりません。

奴山公民館

上の奴山(ぬやま)公民館の近くと聞いたのですが、それらしい山は幾つかあり、特定できません。現在の地名とは異なるので、Google Map も頼りになりません。

名児山

というわけで、たぶんこの山だと思うのですが、違ったらごめんなさい(笑)

ただ、「あんずの里」という農林漁業体験実習館があり、その敷地内に万葉歌碑があるとのことで、山の特定は諦めてそちらに向かいました。

万葉歌碑

ありました。野菜などの直販所からちょっと石段を登ったところです。比較的新しいものに見えたので、最近になって市の教育委員会が整備したのでしょう。

歌を通釈してみます。

大国主の神と少名彦名の神が名付けたのだろうが、名児山(和む山)とは名ばかりで、わたしの恋に悩む心は千分の一も慰められない。

といった意味になろうかと思います。「名児山というくらいだから心和む山であるべき」という発想も面白いですが、一番驚かされるのは「千重の一重も」という表現です。千分の一という極めて小さな数を観念している点、科学史的にも興味深く、感情表現に数値を用いているのは今以て斬新です。

大伴坂上郎女は大伴旅人の異母妹で、家持の叔母にあたる人です。額田王と並んで、才色兼備の万葉歌人として知られています。この歌も、才女として歴史に名を刻んだ彼女の面目躍如たる出来映えと言えましょう。

レーシックその後

その後と言ってもまだ2週間ですが、経過報告です。

視力は常に変動している

一つ分かったのは、人の視力は常に変動しているということです。「レーシックの手術後、視力が安定しない」と訴える人が多いようですが、実は、手術の前後に拘わらず、誰でも夕方より朝の方が視力が高い傾向にあるそうです。

実際、私は視力検査表を壁に貼って3メートル離れて自己診断しているのですが、僅か数分読書しただけで、視力が 2,3 ポイントも落ちてしまいます。

一日目を使うことによって、夕方にはピントを合わせる筋肉がくたびれてしまうのでしょう。

次の日には回復するから大丈夫、と言いたいところですが、一定以上目を酷使すると回復が追いつかず、結果目を悪くしてしまうというのが真相と思われます。

ドライアイ対策

調整力の低下と並んで問題なのがドライアイです。

手術の翌日の検診では両目とも 1.5 だったものが、一週間後の検診では、それぞれ 1.2 くらいに落ちていました。ドライアイの影響です。レーシックを受けた後はドライアイになりやすく、なってしまうとフラップの端がひび割れて(!)、一時的に視力が落ちるようなのです。心配はいらないと言われたものの、つい心配してしまうのが人情です。蒸しタオル(これも良い)を始め、いろいろとドライアイ対策をしてみたのですが、良い方法が見つかりました。

マグカップをふーふーするのです。

大事なことなのでもう一回書きますね。

マグカップをふーふーです。

マグカップではなく、ティーカップでも湯飲みでも良いのですが、熱い飲み物をふーふーすると湯気が顔にかかりますよね。これが覿面に効きます。実際、ふーふー法を実践した後、先述の視力検査表を見ると、明らかに視力が向上しています(本当)。

律儀に本当に熱い飲み物を使っても結構ですが、私はただのお湯をふーふーして、冷めたら捨てています。

片目1.0あれば十分

私は困った性分で、テストと名がつくと無駄に頑張ってしまう習性があります。特に視力検査に関しては、幼い頃からのトラウマもあって、普通では考えられないほど必死になります(笑)

ぼんやりとしか見えていなくても、わっかの開いている向きがなんとなく分かればすかさず答えますし、さらに悪いことに、半ば無意識で最初に両目で見て覚えてしまうのです。

それに、クリニックの方でも本人が見えていると言うものを「いや、見えてないでしょ」と訂正する動機はありません。何しろ、「よく見えるようにする手術」をしたわけですから。

そういうわけで、私の場合、手術後の視力検査の結果は少し差し引いて考えなければいけません。

もっとも、例えば、運転免許の視力検査では、片目がそれぞれ 0.3 以上、両目で 0.7 見えていれば合格です。片目 1.0 以上は確実にあるので、自分としては十分です。

近視の戻り

もう一つ、「近視の戻り」と言われる一旦良くなった視力がまた落ちてしまう現象ですが、これについては楽観しています。というのも、この10年というもの、同じ度のメガネ(フレームは替えた)を使って、矯正視力はまったく落ちていなかったからです。

従って、裸眼視力も低いながら安定していたわけで、これ以上近視が進むことはないでしょう。

 レーシック、受けるべきか、受けざるべきか

Wikipedia によると、レーシック手術によって深刻な後遺症が起きる確率は 1% 未満とのことです。「未満」とはいえ、自分の身に降りかかることを思えば、小さな数字ではありません。

ですから、今、レーシックを検討している方は、どうか自己責任で決めて下さい。

どちらかというと受けたい、という人は、とりあえず検査を受けてみるのが良いかも知れません。私もまずは検査だけと思って予約したのですが、実際クリニックに行ってみると、「角膜の厚さは十分」、「角膜の歪みも少ない」、「度数は中程度で、まったく問題ない」と良いことばかり言われ、わずか2日後には手術をしていました。

向こうはできるだけ手術を受けさせたいのですから、あまり鵜呑みにしてもいけないのでしょう。しかし、医師は医師で、手術に失敗して訴訟でも起こされると非常に困るわけで、もし、検査でなにか支障があった場合は、きっぱりとそう言ってくれるはずです。

それに、医師の指示をきちんと守れば後遺症の起きる確率はさらに下がります。例えば、炎症を防ぐ目薬を1日4回点眼するように言われます(2週間。その後、薬を変えて1ヶ月ほど点し続ける)。中には面倒くさがって1日1回とか2回しか点さない人もいるかもしれない。あるいは、1週間くらいで点すのを止めてしまう人もいるかもしれない。そういう人もいる中での 1% 未満なわけです。

むしろ怖いのは……

上に述べたように、レーシックの安全性は比較的高いと思われます。堀江貴文氏のように、頭が良く、情報に敏く、自己愛の強そう(笑)なタイプの人も受けていることからも分かります。

むしろ、私の年代で注意すべきなのは糖尿病網膜症でしょうね。

レーシックで失明した人は殆どいませんが、糖尿病で失明した人はゴマンといます。

しかも、自覚症状がないので、気づいたときには手遅れになりがちです。

それから、白内障。

40歳を過ぎると、誰でも多かれ少なかれ水晶体が濁ってきます。そして、80代では100%の人が白内障になります。その間、いかにして進行を遅らせるかです。前にも書きましたが、私はPC用のメガネを使っています。このメガネ、可視光線の波長が短い方(ブルーライト)だけでなく、紫外線もカットします。つまり、サングラスとしても使えるわけで、日差しが強い日には外出時も掛けています。

マグカップふーふー法といい、PC用メガネといい、以前よりも目をいたわるようになったのも、レーシックによる心理的効果と言えるかも知れません。

それに、PC用メガネには、思わぬ副次的効果がありました。寝付きが良くなったのです。

恐らく、ブルーライトには睡眠サイクルを狂わせる作用があり、メガネでそれをカットすることによって、安眠できるのだと思います。まぁ、プラシーボ効果かもしれませんが、結果的によく眠れるので、助かっています。

アジサイ、花菖蒲

また、白野江植物公園に行ってきました。

この公園、いつ行ってもなにかが見頃を迎えています。とは言え、さすがに6月の中旬は少し寂しいですね。

ドクダミ

可憐な花びらと、立派な花穂が印象的なドクダミ。これは植えてあるのではなく自生しているのだと思います。

アジサイ

アジサイ。少し色が薄いですが、これも清楚な感じがして良いですね。

ガクアジサイ

こちらは、山道を少し登ったところのもの。

ツツジ

平地ではツツジもすっかり終わってしまいましたが、山ではまだ咲いていました。

花菖蒲

入り口付近の花菖蒲。もともとこの公園は個人の邸宅だったそうで、奥にちらっと見える建物はその頃建てられたものです。現在はギャラリーなどとして使われているようです。

レーシック受けました

今月の7日にレーシックを受けました。右上の近影ではメガネをしていませんが、実はかなりの近視(両目とも 0.06)でした。

手術はものの10分

予約していた時間のちょっと前にクリニックに着きました。「手術同意書」に署名捺印して渡し、若干の説明を受けた後、いよいよ手術です。

なんて言うんでしょうか、いかにも「患者」という感じの前から羽織る緑色の服。あれを着せられ、頭も緑の帽子で覆って、スリッパを履いて、まずは手術室の隣の部屋で目の麻酔を受けます。麻酔と言っても単なる目薬です。「ちょっとしみるかも」と言われましたが、別段何も感じませんでした。

そして、オペです。「点滅する赤い光を見ていて下さい」と言われたので、それはそれは一生懸命見続けました。よそ見をしてレーザーがズレたら困りますからね(笑) もっとも、白目の部分を圧迫して、ある程度動かないようにする上に、万一眼球が規定以上動いたらレーザーは自動的に止まるようになっているそうです。

痛みなどは殆ど無く、手術中、レーザーが見えることもないのですが、気になったのが「音」です。パチッ!パチッ!パチッ!と、「レールガンでも発射するのかな?」という程の凄い音がします。医者も、患者があの音を気にするのは分かっているようで、事前に「はい、今からちょっとレーザーの音がします」と言っていました。

まぁ、しかし、こちらとしては俎の上の鯉です。どうにでもしてくれ、と諦観して、赤く点滅する光を見続けると、噂通り10分足らずで手術は終了しました。

視力検査がトラウマに

思えば長い近眼歴(?)でした。最初に視力の低下を自覚したのは小学校4年の頃です。その頃はいい加減なもので、学校の検診では、医師でも看護師でもなく担任教師が視力検査をしていました。黒板にあのランドルト環が並んだ紙を貼って、細長い棒で指して、右とか上とか答えさせるのです。

500px-Landolt_C.svg

当時は子供の近眼は珍しく、クラスの殆どの子は両目とも 1.0 以上です。私も前年の検査では両目 1.5 でした。ところが、一年の間に大幅に視力が低下していたらしく、担任の女教師が指す記号がぼやけてよく見えません。

教師は今にして思えばアホな女で、「なんでこれが分からないの!」と、まるで叱るような口調です。私はすっかり臆してしまい、未だに視力検査が苦手です。

それでも、視力だからまだ良かったと言えます。メガネをかければ済むことですから。もし、勉強に関して教師に同じことをされたら勉強が苦手になっていたでしょう。

このように教師の子供に対する影響力は極めて強いのです。聖職にたずさわる人は心して欲しいものです。

水泳は2週間後

話が脱線しました。翌日の検診によると手術後の経過は順調だそうです。とりあえず測った視力は両目とも1.5でしたが、あれから3日ほど経った今、さらに視界がクリアになってきたので、もしかすると2.0くらいになっているかも知れません。

一つ困るのが、2週間は水泳ができないことです。体がなまって仕方ありません。まぁ、我慢するしかないですね。とりあえず、週末に新しいゴーグルを買いに行こうと思います。今までの「度付き」ゴーグルは使えなくなりましたから。

もう一つ、PCなどのモニタが少しまぶしく感じるようになりました。恐らく、使っていたメガネのコーティングで、いわゆるブルーライトが低減されていたのが、裸眼になってモロに来るようになったのだと思います。

なので、度無しのPC用メガネを買いました。せっかくレーシックを受けたのにまたメガネを掛けるのか、と呆れられるでしょうが、なにしろ30年に及ぶメガネ歴ですから、急に無くなるといささか寂しいのです(笑)

あなたが太る理由

目の毒なサイトがあります。ご安心下さい、エロくはないです(笑)

その名も This is why you’re fat.  「これがあなたが太る理由」というサイトです。

thisiswhyyourefat

この調子で、超高カロリー食の写真が延々と続きます。

若干日本人の好みと違うのであまり惹かれない料理もありますが、やはり大部分は凄く美味しそうです。高カロリーのものを美味しく感じるのは、原始時代、餓死を避け、生き残る確率を上げるために少しでもカロリーが高いものを欲していた人類のDNAにすり込まれた習性です。

実際、太るのが悪いことだと思われるようになったのは比較的最近のことで、多くの文化で、太っているのは良いことでした。

英語には “Laugh and grow fat.” という諺があります。直訳すると笑って脂肪を増やせ。「笑う門には福来たる」と意訳されることもあります。脂肪は「福」なのです。

とはいえ、現在においてはあまり太りたくないのも事実。やはり多少の節制は必要でしょう。

ただ、ごくたまに、上記のサイトにあるような強烈な料理を食べるのはそう悪いことではないかもしれません。自分で高カロリーを摂取してると分かっているわけだし、さすがに毎日これを続ける人はいないでしょう。食にメリハリがつきます。

一番良くないのは、スナック菓子などをダラダラと習慣的に食べ続けることですね。毎日ちょっとずつカロリーオーバーしていると、長い間に積もり積もって、意外にずっしりくるものです。

それよりは、週に1回くらいは思う存分食べて、残りの日は腹八分目、間食もしない、というのが良いのではないでしょうか。

ガウス=ルジャンドルの算術幾何平均を用いた円周率の計算法

少し前まで PC のスペックを調べる指標として スーパーπ というプログラムがよく使われていました。最近のPCならば数十秒で円周率100万桁まで計算できるはずです。

スーパーπ は計算法もプログラムも高度に洗練されていて素人が真似できるようなものではありませんが、円周率の計算自体はそんなに難しくはありません。

グレゴリ・ライプニッツ級数

よく、プログラミングの初歩で演習課題として与えられるのが、アークタンジェントを無限級数に展開して計算するやり方です。

atan

アークタンジェントは上のような数列(グレゴリ・ライプニッツ級数)で表せます。

atan2

なので、1 – 1/3 + 1/5 – 1/7 + 1/9 – … を求めて、4 掛けると π を求めることができます。

ガウス=ルジャンドルの公式

ちょっと難しいですが素人にもギリギリ理解できて、自分で計算もできそうなのが、ガウス=ルジャンドルの算術幾何平均を用いた方法です。

この方法は、非常に収束が速く、n桁求めるのに log2n 回の反復で済みます。スーパーπ もこの方法です。

手元の PC で(Ruby の BigDecimal クラスを使って)素朴にやってみたところ、確かに log2100 = 6.643、繰り上がって7回の反復で100桁まで正確に計算できました。

しかし、何万桁と求めようとすると恐ろしく時間がかかってしまいます。冒頭にも述べたとおり、円周率を高速に計算するには、かなり高度な数学の知識及びプログラミングの技術が必要です。
ちなみに、Ruby のパッケージにも円周率を求めるサンプルプログラムが入っています。

k, a, b, a1, b1 = 2, 4, 1, 12, 4

while TRUE
  # Next approximation
  p, q, k = k*k, 2*k+1, k+1
  a, b, a1, b1 = a1, b1, p*a+q*a1, p*b+q*b1
  # Print common digits
  d = a / b
  d1 = a1 / b1
  while d == d1
    print d
    $stdout.flush
    a, a1 = 10*(a%b), 10*(a1%b1)
    d, d1 = a/b, a1/b1
  end
end

このプログラムもガウス=ルジャンドルの公式を使っています。

Ruby を使ったもので驚異的なのはほんまの走り書き技術メモで公開されているプログラムで、エレガント且つ圧倒的に高速です。

i7-2600 で、10万桁に1分半かかりません。うーむ、素晴らしい。

 

角島灯台

物好きにも、小雨の降る中、山口県の角島(つのしま)に行ってきました。

角島灯台

有名な角島灯台です。カメラを忘れて行ったので iPhone による撮影です。

角島・東屋

こんな感じの東屋も。晴天だったらどんなに素晴らしいかご想像下さい(笑)

愛車。

なんとかと煙は高いところに行きたがると言いますが、私もなんとかの一人で、灯台に登ってみました。入場料は200円です。

角島灯台・内部

中は螺旋階段になっています。写真は降りるときに撮ったので下向きです。

角島灯台・眺望

眺望。柵はありますが、はっきり言ってかなり怖かったです。高所恐怖症の方は登るのは止めておいた方が賢明です。って、言われなくても登りませんよね(笑)

この島、橋が架かってから観光客が押し寄せるようになったそうで、まあ私もその一人ですが、雨天にも拘わらず、思ったよりも人がたくさん居ました。

ただ、その角島大橋の写真は取り忘れてしまいました。

もっとKYであって良い

朝日新聞の、(ソーシャルA)「若者恐れる痛いキャラ」原田曜平氏という記事を興味深く読みました。

screenshot

まずこの見出し、「若者恐れる」が「痛いキャラ」に係っているようにも見えます。最初は、「近頃の若いもんは分からん」と嘆きつつ、心中彼らを恐れる痛いおっさんのことかと思いました。そう、私のような(笑)

そうではなく、今の若者は「痛いキャラ」と思われることを恐れている、という話ですね。

これについては言いたいことがあります。

中心我と周辺我

自我、つまりエゴには二種類あります。中心我と周辺我です。中心我は「わがまま」、周辺我は「見栄」のたぐいと考えると分かりやすいでしょう。

例えば、昔、自動車のエアコンが普及し始めた頃、エアコンもないポンコツ車に乗っていると思われたくなくて、真夏に窓を閉め切って走る人がいました。これ即ち周辺我が強すぎるのです。逆に、駐車場で白線を跨いで駐めるような人は中心我が強すぎるのです。

健全なる精神を保つには両者のバランスが重要です。

自らを省みて、どっちの我が強いのかを知っておく必要があります。大抵の日本人は周辺我の方が勝っているので、もうちょっとわがままになってみると均衡が取れるはずです。

空気など読むな

空気を読めない、KY という言葉が流行りました。それに対するアンチテーゼとして「若者よ、空気など読むな」という声も聞かれます。

私は後者に与する者ですが、察しの文化そのものを否定するわけではありません。電車の中で目の前に立った人がしんどそうな顔をしている、だから席を譲ってあげるというのは大変結構です。問題は、その人のことを案じて譲ったのか、周りの目を気にして譲ったのか、ということです。

ついでに言うと、席を譲るなどということは「ええかっこしい」であって、痛い、という倒錯した観念を持つ人もいるでしょう。しかし、それでも論点は変わりません。周りの目など気にせず、譲りたければ譲れば良いし、嫌なら譲らなくて良いのです。要は自分がどうしたいかです。他人がどう思うかではありません。

キョロ充の方がよっぽど痛い

友達が多く、異性にもてて、手帳(最近ではスマホか)はスケジュールでいっぱい、そういうタイプを、近頃では、「リアル」が充実しているという意味で「リア充」と呼ぶことは、若者には説明するまでもないでしょう。

そして、リア充の一員と見られたいがために、無理をして外見だけ取り繕う人のことを「キョロ充」というそうです。学食でひとりぼっちなのを人に見られてはリア充じゃないとバレてしまうので、キョロキョロと知り合いを探すからキョロ充。

あるいは常に人の目を気にしてキョロキョロしているから、とも言われます。いずれにしろ、あまりかっこ良いものではないですよね。

「人と違う」を目指そう

人と違う、ユニークというのは欧米では褒め言葉です。「欧米では」と言うと、すかさず「ここは日本だ」と反論する人がいますが、欧米であれどこであれ、良いことは取り入れてきたからこそ今日の日本の発展があるのです。

若者は、人と違うことを恐れるのではなく、むしろ人と同じであることを恐れるべきです。そして、もっとわがままであって良いと思います。

大事なのは中心我と周辺我のバランスです。

ただ、若者はもっと KY であって良いと思うのですが、朝日新聞の KY だけはいただけませんね(笑) ―― いや、笑い事じゃないですね。

FancyBox導入

005画像をクリックすると拡大表示してくれる FancyBox という WordPress プラグインを導入しました。

サムネイルにメディアファイルへのリンクを設定している場合はプラグインを有効化するだけで使えるようになります。ただ、迥寞録では、画像は従来インラインで表示していて、リンクは張っていません。

手作業では大変なので、Search Regex というテキストを置換するプラグインを使って、元画像へのリンクを張りました。

Search pattern:

/(<img .*? src="(.*?)(?:-560x373\.jpg)" .*? \/>)(?!<\/a>)/

Replace pattern:

<a href="\2.jpg" target="_blank">\1</a>

 

このブログの現在の設定では、画像の横幅を最大560にしてあるので、-560×373 というサフィックスが付いた画像が作られます。この -560×373 を除いたものが元のファイル名というわけです。(アスペクト比 3:2 の場合。4:3 の場合は-560×420。縦位置も考慮すると 4 通り)
Search pattern の最後の (?!<\/a>)  は、既にリンク済みの画像に二重にリンクを張ってしまうのを防止するための安全装置です。