皿倉山からの夜景

夕方、 皿倉山の近くを通ったので登ってみました。やはりカップルだらけで非常に居づらい場所でした(笑)

皿倉山・夜景

もっとも私も、若い時分はよくここでデートしたものです。夜景がとても綺麗なところです。頂上付近までケーブルカーで行けます。カップルばかりと書きましたが、安心して下さい、不良もいます(笑) そうですね、カップル7割、不良2割、おじさん・おばさんが1割という感じでしょうか。

皿倉山・夜景

皿倉山・夜景

皿倉山・夜景

上の写真は全部、DSC-RX100 の手持ち夜景モードで撮ったものです。シャッターを切るとパシャパシャパシャっと3枚連写して、カメラの中で重ね合わせ処理されます。ただし、これを使えばどんなにいい加減な撮り方をしても綺麗に写るというわけではないらしく、ちょっと油断すると容赦なくブレブレになります。やはり、脇を締めてしっかりとホールドしながらシャッターを切らないといけないようです。

ここでいつぞやのようにカメラを落っことしてしまっては一巻の終わりなので、ストラップに手首を通して撮ったことは言うまでもありません。

 

頂に草笛の音さやかなり

 

満月

ようやく空気が澄んできたようで、月が綺麗だったので写真に撮ってみました。DSC-RX100の実力や如何に?

満月

マニュアル露出、F9 、1/60秒、ISO125 です。もちろん、最大限にトリミングしてあります。もう少しシャープに撮れたら良いのですが。

ちなみに本日(5月25日)の月齢は15、満月ですが、この写真を撮った時点ではまだ24日の深夜なので完全な満月ではないようです。

犬が死去した?

東京タワーのタロ・ジロ像が撤去されるかもしれないそうです。

そのこと自体については特別言いたいこともないのですが、上記のリンクにある記事中の、ある言葉が気になりました。

犬たちのうち、奇跡的に生還したタロ・ジロの2頭を除く13頭は南極の地で死去したと見られており、その慰霊の意味も込めての建造だ。

 

そう、「死去した」です。

手元の広辞苑第六版には

し‐きょ【死去】
人が死ぬこと。死亡。

とあります。新明解国語辞典第五版では

【死去】
―する  「人がなくなる」意の漢語的表現。

となっています。いずれにしろ、人に対して使う言葉です。「犬が死去した」は変です。

恐らく、記者は「死去した」を「死んだ」と言い換え可能な語として認識しているのでしょう。分からないでもありません。しかし、仮にも文筆業に携わるなら、もう少し言葉に対する鋭敏な感覚を持って欲しいものです。

水泳ノスゝメ

今年に入って水泳を始めました。まだ始めたばかりのくせして人様にお薦めするというのもおこがましい話ですが、実際、心と体の健康にとってこれほど良いことは他にないと思います。

肩こりが治った

大人になると、日常生活で肩より上に腕を持っていくことが殆どなくなります。特にホワイトカラーだとそうです。唯一の例外が洗濯物を干す動作ですが、それすら肩こり解消のためには不十分です。

その点、クロールの動きを思い出して下さい。あれだけ腕をグルグル回すことって日常ないですよね。しかも、水の抵抗によって適度な負荷が加わります。長年悩まされてきた肩こりは嘘のように消え去りました。

子供が肩こりにならないのは、無駄に腕をグルグルしているからに相違ありません。大人の場合は水泳。コレです。

pools

痩せた

やはり、痩せます。週三回、三十分から一時間程度しか泳いでいませんが、4ヶ月で73㎏から68㎏に痩せました。

刺激を受けた

コーチは何人もいるのですが、そのうちの一人は国体優勝、世界選手権にも出場するなど、文句なく一流のアスリートです。

金槌に毛が生えた程度の私などが教えて貰うのはもったいないほどです。教わってもなかなかその通りにできない、鈍くさい自分が恥ずかしくなりますが、まあ良いのです。どれだけ上達するかも大事ですが、それ以上に一流の人間と接して刺激を受けることに喜びを感じます。

目の保養

ちなみに、若い女性のコーチもいます。なんでも20歳だそうで。私はあまり彼女を見ないようにしています。そうしないとずーっと見とれてしまいそうなので。まるっきり怪しいおっさんですね(笑)

ストレス解消

現代人にとって怖いのが鬱病です。どこかで聞きかじった話では、登山やマラソンなどをやる人で鬱病になる人はいないとか。
水泳も同じでしょう。プールで思いっきり体を動かすと、ストレスが水に溶けて消えていくような感覚があります。気は心、そう思えるということは実際にストレスが解消されているということです。

水着は平気

特に女性は「水着なんてよーきーひんわ」と思われることでしょう。男の私でさえ、最初はちょっと躊躇しました。が、無難な水着を買って、着て鏡の前に立つと、「案外大丈夫」と思いました(笑)
多少の不格好はお互い様です。気にすることはありません。

「中年になって何か始めてもどうせものにならない。だからやる意味は無い」という人がよくいますが、決してそんなことはありません。確かに、私がいくら水泳で精進しても国体やオリンピックに出るのは無理でしょう。しかし、近所のスポーツクラブ内で「このおっさん、できる!」と思われる程度にはなるつもりです(笑)

なにはともあれ、水泳、お薦めです。

雨が降らねば金が降る

人混みが苦手なくせに、山口県下関市の「先帝祭」に行ってきました。

この祭り、以前は安徳幼帝の命日である4月23日に行われていたのですが、いつのころからか5月の連休に変わってしまいました。これも時代の流れですね。

赤間神宮

安徳天皇をお祀りする赤間神宮です。まるで竜宮城のような華やかな建物ですが、幼帝が玉体を海底に沈ませ給うたことを思えばもの悲しくもあります。

さて、祭は、花魁(太夫)が禿などを引き連れ赤間神宮にお参りするという「上臈道中」がメインです。壇ノ浦の戦いの後、生き延びた平家の女官達が此の地に住み着き、花を売り、やがて春をひさぐようになったからと言われます。

赤間神宮・先帝祭

できれば上臈参拝を見たかったのですが、まだ3時間前だというのに神社の境内はあまりにも人が多く、また良い場所で見るためにはお金を払わなくてはいけないというので、断念しました。写真は唯一見ることが出来た行列(太夫ではない)です。

上臈道中・禿

そこで、商店街の方に移動しました。すぐそばの唐戸商店街です。こうやって下関市内を練り歩いて赤間神宮へと向かうのです。手前の禿(かむろ)がかわいいですね。

上臈道中・太夫

そして、「外八文字」を踏む太夫です。

太夫が現れると観衆は大層な熱狂ぶりで、数人の巨大なカメラを抱えたお調子者が、出てはいけないと言われているのに車道に出て、写真を撮っていました。ああはなりたくないですね。

下関南部町郵便局

上臈道中も見られたので帰路につきました。写真のレトロな建物は、なんと日本最古の現存する郵便局なのだそうです。

春帆楼

日清戦争の講和会議が開かれた建物もあります。現在は春帆楼というレストランになっています。

下関・先帝祭

小さな町がこの賑わいです。

昔から「関の先帝、雨が降る。雨が降らねば金が降る」と言われます。
どうやら今日も金が降ったようです。

なぜ工業製品を「信仰」するのか

Apple と Samsung のユーザーを皮肉った Windows Phone の CM が話題になっています。

実に面白いですね。MS と言えばもう古くさい会社というイメージですが、なかなかどうして、とんがってます(この CM の広告主は Nokia ですが)。その「古くさい」というのも、実際のところ Apple や Google によってそう思わされている面もありますしね。

なぜ工業製品を「信仰」するのか

昔から不思議でならないことの一つが、「製品信者」たちの存在です。

パソコンなら Mac ユーザーと Windows ユーザーの争い、バイクならホンダとヤマハとカワサキの争い等々。CM の iOS 派と Android 派もそうですね。これらは結局のところ工業製品を「自己を演出するアイテム」と見なしていることから来ています。さらには、製品に対して自己を投影すらしています。

つまり、「iPhone を使っている俺かっこいい!」と思っている人は、iPhone にケチをつけられると「俺」にまでケチをつけられていると感じるのですね。iPhone を例に出して申し訳ないですが。

製品信者はダサい

そういった「製品信者」を戯画化したのが上記の CM です。

Apple は Mac=かっこいい、Windows=ダサいというイメージを大衆に植え付けようと躍起になっており、実際かなり成功しています。一方 MS はダサいイメージに甘んじてきたとも言えますが、ここにきて「そもそも工業製品にそこまで忠誠心を持つこと自体がダサい」という考えが急速に広まってきました。

特に日本では、平成生まれの20代前半の人達がそのような考えを持っているようです。彼らは生まれたときからモノが溢れていて、「あの製品が欲しい」と「渇望」した経験は皆無です。それだけにモノ選びで、メーカーやメディアや広告代理店が作り出す「かっこいいイメージ」などに左右されることもありません。

PC 時代の雄 MS も、スマートフォン・タブレットでは Apple や Google に水をあけられていますが、上に述べた「イメージ戦略」に左右されない若い世代を捉えるには、何を措いても製品の質を上げる必要があります。もちろん、「質」とは単なるスペックではなく、使い勝手全般のことです。あと値段ですね。

まだまだ体力の残っている MS ですから、ここらで一つ花火を打ち上げて欲しいところです。

手向山より海峡を望む

落っことしたカメラは元気です。

今日は以前にも訪れたことのある手向山に行ってきました。前回は夕方で天気もあまりよくありませんでしたが、今回は快晴です。

手向山山頂

左手に少し見えているのが工業地帯です。

頂上付近の広場には前回も記したとおり宮本武蔵の顕彰碑があり、昭和の時代のものですが小次郎の碑もあります。

また、海側にはコンクリート製の展望台があります。雰囲気としては公園の遊具のようなものです。良い大人が登るのは少し恥ずかしい感じでしたが、私はまだまだ少年の心を失っていません(笑)ので、登って撮影しました。

手向山山頂

遙か彼方に関門橋が見えるのがお分かりでしょうか。まだ黄砂の影響で遠くが霞んでいますね。

手向山は関門海峡を一望できるだけに、かつては軍事上の要地とされ、立ち入りが禁止されていました。

手向山探照灯跡

これは探照灯の跡です。敵性語で言えばサーチライトですね(笑)

夜陰に紛れて敵艦が海峡を航行していたら、ここからパッと光を当てて砲撃するわけです。砲台跡もあるとのことですが、今回は見つけられませんでした。

ところで、

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

という菅家の歌がありますが、この手向山は奈良にある山で、こことは違うそうです。ご存じの通り道真公は太宰府に左遷されたので、このへんを通った可能性もあります。ですから素人考えではここでも良い気がするのですが、専門家が違うと言うのは、たぶん、歌が詠まれた時期からしてここではあり得ないのでしょうね。

カメラを落っことす

福津市の宮地嶽神社に行ってきました。

神功皇后が三韓征伐のおりにここから船出されたというめでたい由来があります。

宮地嶽神社

宮地嶽神社・注連縄

この注連縄(しめなわ)は日本一の太さなのだそうです。

宮地嶽神社

002

宮地嶽神社・狛犬

写真では今ひとつ大きさが伝えきれませんが、ずいぶんと巨大な狛犬です。

宮地嶽神社参道・料理屋

そして、参道の料理屋で食べたごちそう(一部)。どうせお土産屋さんが片手間にやっている程度だと思っていたのですが、予想に反してなかなか豪華なコースでした。

RX100 を手に入れてから、初めて晴天の日に出掛けました。やはり、以前使っていたニコンP300 とは一線を画す写りですね。

カメラ落下事件

……と喜んだのもつかの間、私としたことが、この買ったばかりのカメラを落っことしてしまいました。背広のポケットに入れたままコートハンガーに掛けていたのを、フローリングの床にカツーンと。

直後、電源を入れてみると無情にも NO CARD の表示が。

間違いなくSDカードは入っているのですが、認識しなくなっていました。そこで、震える手で(笑)電源を切り、カードを抜き差しして再度電源投入すると、NO CARD 表示は解消したものの、「このビューには画像がありません」と表示されてしまいます。

カメラの機能には一応支障がないように見えたので、SDカードのデータは諦めようと思いつつ、最後にもうひとあがきしてみようとフォルダを参照すると、今度はちゃんと中身が見えました。

よく分かりませんが復旧したようです。ポケットに入ったまま落としたので、服がクッションになったのも不幸中の幸いでした。

恐らく、落下の衝撃でSDカードを認識できなくなり、再度認識し直したという感じでしょうか。

落としたことも迂闊なら、たかがカメラが壊れた(かもしれない)くらいで取り乱してしまったのも不覚でした。こういう時は従容として「うむ、仕方がない。形あるものはいつかは壊れる」と言える人間になりたいものです。……無理かな(笑)

和布刈公園

先週ですが、九州の北端「和布刈(めかり)公園」まで足を伸ばしました。

関門橋

関門橋が一望できます。

002

中村汀女の句碑。

007

山道の途中で本道から分岐して長い階段が伸びていたので、なんだろうと思って登ってみると、上のような石がごろごろしているだけでした。恐らく、旧門司城の遺構ではないかと思います。

013

麓には海上保安庁の基地があります。基地内は立ち入り禁止です。この写真は外から金網越しに撮ったものです。

余談ですが、DSC-RX100 という、コンデジとしては割と良いカメラを手に入れたので、出掛ける際は常に携えるようにしています。もっとも、行いが悪いせいか、近頃あまり天気に恵まれず、この日も薄曇りでした。

014

基地のそばは「ノーフォーク広場」と呼ばれ、ノーフォーク市と姉妹都市となったためにこの名があるそうです。海岸にそって上の写真のような遊歩道が整備されています。

潮風の薫る、なかなか気分の良い場所ですが、それだけに、広場に停めた車のサビが心配で仕方ありません。帰りに思わず洗車してしまいました。

016

石灯籠。

015

遊歩道の行き着く先が「和布刈神社」です。元旦の午前三時頃に厳寒の海に入ってわかめを刈る和布刈神事は冬の季語となっています。