彦島と尊皇攘夷

あのとき高杉が租借問題をうやむやにしていなければ、彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていただろう

伊藤博文

今日も関門トンネルをくぐって本州へ、と言ってもすぐ近くの彦島です。

ただ、近いのは近いのですが、南端の「彦島南公園」に行くには半島をぐるっと回る必要があり、関門トンネルの出口から 15km ほどの道のりです。

「彦島道路(県道252号線)」は、響灘を眺めながら走ることができ、ツーリング向きでした。

彦島南公園

彦島南公園は梅の名所です。もっとも、今年は寒いためかまだほころんでさえいません。

彦島南公園

遠くに関門橋が見えます。

彦島老の山公園

こちらは別の公園、彦島老の山公園の麓にある風車っぽい建物です。実際何の建物なのかはよく知りません。まさかこれで粉を挽いているわけでもないでしょうし(笑)

幕末、馬関(ばかん:下関の異称)戦争の講和の折、イギリスから彦島を租借したいとの申し出があったと言われています。高杉晋作が「うやむや」にしたから良かったものの、危なく日本の香港になるところでした(冒頭の伊藤博文の述懐)。

今日の日本があるのは、勤皇の志士たちの高い見識と行動力の賜物であることを忘れてはなりません。

舛添都知事の「『国防軍』はだめ」発言こそ、戦前の発想

東京都の舛添要一知事は14日の定例記者会見で、自民党が2012年に発表した憲法改正草案について、「さまざまな問題点がある」と批判した。
草案は自衛隊の位置付けをめぐり、9条に「国防軍を保持する」と規定。舛添氏は「『国防軍』はだめで、(明記するなら)せめて『自衛軍』までだ。『国防軍』では戦前を思い出して嫌になる人が出る」と述べた。

時事ドットコム(2014/02/14-17:17)

どうも舛添さんの考えでは、「自衛」は良くて「国防」はダメなようです。

私に言わせれば、「国防軍」でも「自衛軍」でもどちらでもよろしい。なんなら今の「自衛隊」のままでも良いと思っています。大事なのは、いざというときに国民の生命と財産を守る能力があるか、ないかということでしょう。それを自衛と呼ぶか国防と呼ぶかは言葉遊びに過ぎません。

敢えて彼の議論に乗るなら、まず「国防軍」という呼び名が果たして「戦前を思い出させる」ものなのかどうか、この点に疑問を感じます。「皇軍」ならいざ知らず、戦前には存在しなかった「国防軍」なる語のどこが戦前を思い出させるのかよく分かりません。

次に「戦前を思い出す」ことで「嫌になる」という論法。そういう人がいたとしてなんなのでしょう。好き嫌いによって決めるべき問題なのでしょうか。

まあ、言いたいことは何となく分かります。軍部が力を持ちすぎて国がおかしくなった、ということでしょう。

なぜおかしくなったのか。一言で言えば、硬直したイデオロギーが原因です。例えば、統帥権干犯問題。確かに、軍令部の意見を容れずに政府が条約に調印したのは、当時としては「統帥権干犯」となりうる行為でした。しかし、イデオロギーを共有しない我々現代人から見れば、天皇の権威を利用して軍部が政治に容喙した事件に他なりません。大事なのは軍が実際に国家を防衛する能力を持ち得たか否か、だったはずです。統帥権の不可侵性という表面的な理屈ではなく。

そして、現代に生きる我々ならば硬直したイデオロギーから自由でいられるかと言えば、必ずしもそうではありません。

舛添氏の「戦前を思い出させる」発言こそ、そういった硬直したイデオロギーそのものです。繰り返しますが、なぜ戦前を思い出させてはいけないのでしょう。

戦前=悪、という思想。軍隊=悪、という思想。

私には、団塊世代の左翼が二言目には「軍靴の足音が……」と言うのを聞くたびに、「この非国民めが!」と言っているように聞こえます。同じくらい硬直しています。

戦前の我が国の過ちに学びたいならば、「憲法9条を改正して、日本も軍隊を持とう」という意見も、自由に言えるようにならなければいけません。

パワートレイン

今、自分の中でカーブームというかカー雑誌ブームです。車を買う気は無いんですけどね(笑)

カー雑誌を見ているとよく目にするのが「パワートレイン」という単語です。

パワートレインとは、エンジン+トランスミッションのことです。ハイブリッドが増えてきたので、パワーユニット+トランスミッションと言った方が正確でしょうか。用例としては「パワートレインは 3L DOHC に 7AT の組み合わせ」のような感じです。

ここで例によって重箱の隅を突くような話なんですけど、”train”は長母音ではなく二重母音なので「トレーン」でなく「トレイン」だと思うんですよね。

train

しかし、雑誌では多くの場合「トレーン」表記です。

ただ、カタカナ表記における長母音と二重母音の区別は必ずしも厳密ではなく、例えば “mail” も「メール」と言ったり「メイル」と言ったりで一定しませんよね。なので、「トレーン」も直ちに誤りだと断じるわけにはいきませんが、私としては「トレイン」の方がしっくりきます。

もっとも、”mail” に関しては、私も「メール」と表記します。「メイル」の方が原音に忠実だと分かっていても、こう書くとどうも気取った感じがするんですよね。「バイオリン」を「ヴァイオリオン」と書くような感じ、と言えば分かっていただけるでしょうか。

逆に、カー雑誌の記者や評論家たちが好んで「トレーン」と表記するのは、そっちの方がかっこいいと思っているフシがあるような……。

カタカナ語の語感は奥が深いです。

防府天満宮

昨日、山口県の防府に行ってきました。

国道2号を下関から防府に向かって走ると、宇部のあたりでちょっと曲がりくねっているものの他は概ね走りやすく、一部は自動車専用道路となっていました。

防府天満宮

防府天満宮。初めて訪れたのですが、立派な参道が印象的です。

防府天満宮 防府天満宮

社殿にあの「がらんがらん」がないのが面白いですね。

その後、すぐ近くにある毛利氏庭園へ向かいました。

毛利氏庭園

毛利公爵のお屋敷です。

毛利氏庭園

庭園には大きな池があり、石橋が渡されています。……が、庭師のおじさんたちが作業中で、軽トラなども停まっていたのであまり写真が撮れませんでした。

例によってバイクで行きました。気温は8度前後で日も照っていたので街中では耐えがたいほどではありませんが、長時間国道を走っていると心底冷えてきます。おかげで、片道90kmの道のりで3回もトイレ休憩しました(笑)

フィット・ヴェゼルがリコール

少し前に、ホンダ・ヴェゼルが気になっていると書きましたが、リコールだそうです。

原因は、やはりというか DCT の不具合だそうで、この機構ゆえにこの車種に魅力を感じていただけに残念です。

DCT(デュアルクラッチトランスミッション)は、その名の通り2系統の変速軸を持ち、加速中なら上の段、減速中なら下の段を噛み合わせて待っています。なので、コンピューターがドライバーの意思、加速したいのか、減速したいのか、あるいは速度を維持したいのか、といったことを判断しなければなりません。ここに難しさがあるのでしょうね。

 

しかし、コンピューターによってドライバーの意思を推し量る必要性は、ドライブ・バイ・ワイヤである以上、今後益々高まっていきます。楽観的な見方をすれば、だから DCT のためのソフトウエアも日進月歩の進化を遂げるはずです。

というわけで、燃費が良く、ダイレクトな加速フィールが得られる DCT には依然として期待しています。

現状では多少の難があるとしても、次に私が車を買うころにはこなれてくるでしょう(笑)

白野江植物公園

白野江植物公園は二輪の駐車場代が無料(四輪は300円、入場料は200円)なので、近頃気に入っています。

今日はちょっと頑張って山頂まで行ってみました。

白野江植物公園-山頂付近

かなりの急坂です。

白野江植物公園

山頂からの眺望。条件が良ければ、国東半島の先にある姫島も見ることが出来るそうです。

水仙

水仙がたくさん咲いていました。

名も無き小さな花

サクラソウかな。恐らくこれは栽培しているのではなく、自生しているものですね。

えっ?

だいぶ前のことですが、近所のスーパーの中に「写真コーナー」のようなものがあり、現像や、証明写真の撮影などをしていました。

一度、「証明写真をおねがいします」と言うと、女性店員から「えっ?」と聞き返されたことがあります。よほど自分の滑舌が悪かったのだろうと反省し、もう一度「証明写真をおねがいします」と言うと、「あ、証明写真ですね。こちらへどうぞ」と言われ、無事通じたようでした。

数年後、同じ店で同じ店員に再び「証明写真をおねがいします」というと、また「えっ?」と聞き返されました。これはこの人のクセなんですね。非常に良くないクセです。社会人として致命的とも言えます。

多少相手の滑舌が悪かろうと、聞く体勢が出来ていれば大抵聞き取れるものです。ましてや、唐突に「今日は良い天気です」などと言ったのではないのです。写真屋で「証明写真をおねがいします」と言ったのです。聞き取れないはずがありません。

このように、こっちの言ったことが伝わらず二度三度言わされるのは不愉快ですよね。

逆にこちらが聞く立場の時は、全身全霊で相手の言うことを聞き取ろう、理解しようとしなければいけません。世渡りのコツです。

ところで、先日、伯父と旅行した話をしました。歳も離れているし、何年も会っていなかったしで、会話が続くだろうかと心配していましたが、杞憂でした。共通の話題もそれなりにあったし、お互いに相手の言ってることがちゃんと聞き取れるんですよね。「えっ?」などと言うことは皆無でした。よその年寄りとならこうはいきません。

やはり、血が繋がっているんだなと実感しました。