舛添都知事の「『国防軍』はだめ」発言こそ、戦前の発想

東京都の舛添要一知事は14日の定例記者会見で、自民党が2012年に発表した憲法改正草案について、「さまざまな問題点がある」と批判した。
草案は自衛隊の位置付けをめぐり、9条に「国防軍を保持する」と規定。舛添氏は「『国防軍』はだめで、(明記するなら)せめて『自衛軍』までだ。『国防軍』では戦前を思い出して嫌になる人が出る」と述べた。

時事ドットコム(2014/02/14-17:17)

どうも舛添さんの考えでは、「自衛」は良くて「国防」はダメなようです。

私に言わせれば、「国防軍」でも「自衛軍」でもどちらでもよろしい。なんなら今の「自衛隊」のままでも良いと思っています。大事なのは、いざというときに国民の生命と財産を守る能力があるか、ないかということでしょう。それを自衛と呼ぶか国防と呼ぶかは言葉遊びに過ぎません。

敢えて彼の議論に乗るなら、まず「国防軍」という呼び名が果たして「戦前を思い出させる」ものなのかどうか、この点に疑問を感じます。「皇軍」ならいざ知らず、戦前には存在しなかった「国防軍」なる語のどこが戦前を思い出させるのかよく分かりません。

次に「戦前を思い出す」ことで「嫌になる」という論法。そういう人がいたとしてなんなのでしょう。好き嫌いによって決めるべき問題なのでしょうか。

まあ、言いたいことは何となく分かります。軍部が力を持ちすぎて国がおかしくなった、ということでしょう。

なぜおかしくなったのか。一言で言えば、硬直したイデオロギーが原因です。例えば、統帥権干犯問題。確かに、軍令部の意見を容れずに政府が条約に調印したのは、当時としては「統帥権干犯」となりうる行為でした。しかし、イデオロギーを共有しない我々現代人から見れば、天皇の権威を利用して軍部が政治に容喙した事件に他なりません。大事なのは軍が実際に国家を防衛する能力を持ち得たか否か、だったはずです。統帥権の不可侵性という表面的な理屈ではなく。

そして、現代に生きる我々ならば硬直したイデオロギーから自由でいられるかと言えば、必ずしもそうではありません。

舛添氏の「戦前を思い出させる」発言こそ、そういった硬直したイデオロギーそのものです。繰り返しますが、なぜ戦前を思い出させてはいけないのでしょう。

戦前=悪、という思想。軍隊=悪、という思想。

私には、団塊世代の左翼が二言目には「軍靴の足音が……」と言うのを聞くたびに、「この非国民めが!」と言っているように聞こえます。同じくらい硬直しています。

戦前の我が国の過ちに学びたいならば、「憲法9条を改正して、日本も軍隊を持とう」という意見も、自由に言えるようにならなければいけません。

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