啓蟄や吾も雨戸を開け放つ
啓蟄や吾も雨戸を開け放つ
確定申告はお済みでしょうか。
今年(平成25年度)の e-Tax による申告で、国税庁が推奨する環境は以下の通りです。
なんと、Mac OS X 10.9 Mavericks は推奨環境外です。確認作業が間に合わなかったのでしょう。
一方、Windows XP はまだ大丈夫のようです。MSのサポート期限は今年の三月いっぱいですからギリギリOKですしね。
私も含めて大半の人が Windows 7 を使うと思いますが、いつまで対応してくれることやら。
「日本の全国民から1円ずつ恵んで貰えたら1億2千万円になるのに」と妄想したことがある人は多いと思います。実際それに近いことが行われています。
今、電気料金には「再生可能エネルギー発電促進賦課金」が掛けられています。誰しも電気料金が上がることは嬉しかろうはずもありませんが、負担はわずか(東電の場合 1kWh あたり 35銭)だし、無公害の発電が増えるなら結構なことだというわけで、皆文句も言わずに払っています。
しかしながら、再生可能エネルギーによって作られた電力を買い取る価格を固定(太陽光の場合で 1kWh あたり 37.8円)するのは果たして得策なのでしょうか。私は二つの点でそうではないと思っています。
言うまでもなく、価格が需要と供給の関係によって決まるとき、最も社会全体の利益が大きくなります。神の見えざる手というやつです。そこへ何らかの政治的操作が加わると、一部の者は得をするとしても、社会全体では必ず損になります。これをデッドウエイトロスと言います。これが第一点。
もう一つは、「自然な価格」よりも高い値段が設定されたことによってメガソーラーなどの再生可能エネルギー発電が「おいしいビジネス」として投資の対象になっていることです。しかも海外のファンドによって買われています。つまり、我々が払った余分なお金が外国人に少しずつ吸い取られているわけです。
これぞ高度に洗練された21世紀版の植民地主義です。
我々は知らず知らずのうちにプランテーションの労働者のように少しずつ収奪されているのです。何とも怪しからぬ話です。
上で、価格を政治的に操作するとデッドウエイトロスが生じると書きました。ただ、確かに世の中には背に腹はかえられぬ、ということもあるでしょう。例えば、エコカーに補助金を出して普及を促進するといったことが行われています。再生可能エネルギー発電促進賦課金も同じ発想です。国民の代表がロスを承知で再生可能エネルギーへと傾斜する政策を決定したのならそれはそれで良いと思います。
問題は、我々が余分に負担した金で誰かが甘い汁を吸っていることです。ましてや外国人に吸われてしまってはその富が日本に還流することはなく、国民はやせ細るばかりです。
電気事業の公共性の高さに鑑みれば、大規模な再生可能エネルギー発電に関しては当面国家が株式を保有しコントロールしていくといったことも検討すべきです。
近い将来、自動車の自動運転技術が実用化されそうです。
今のところ、あくまで運転をアシストする機能、例えば、車線からはみ出たら自動的に戻るとか、前車に近づきすぎたら自動的に車間を取るといったものに留められていますが、技術的には出発から到着まで完全に自動化することが可能になるまでそう時間はかからないでしょう。
もっとも、技術的には可能でもすぐに法律で認められるとは限りません。現在の法律では、運転席に座らずにコンピューターに運転させるのは交通違反です。
また、社会の通念も自動運転に追いつくにはしばらくかかるでしょう。最初は「自動運転なんて信用できない」、「怖い」と言った意見が出るでしょうし、自動運転車が事故を起こすと、「それ見たことか」と言われるでしょう。
日本という国は、ややもすると、社会の変化に法律や考え方がついていけない、切り替えの遅いところがあります。
しかし、自動運転に関しては、日本の技術が再び世界をリードするチャンスなのですから、後れを取るわけにはいきません。メーカーはもちろん、政府も、そして我々国民も、できるだけスムーズに実現できるように協力すべきです。
ぐずぐずしていたら、スマートフォンの二の舞になりかねません。
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ただ、運転自体を楽しんでいる人も少なからずいるわけで、何を隠そう私もその一人ですが、将来、自動運転と手動運転の立場が逆転し、手動だと任意保険がものすごく高いとか、さらには手動運転は全面的に禁止などということになると、ちょっと悲しいですね。
そこまで行くにはまだだいぶ時間がかかるでしょうけどね。
少し前にバイクに乗るときワークマンで買った防寒着を着ていると書きました。一シーズン着てみての感想です。
ご覧の通り、かなり袖口が黒ずんでしまいました。バイク自体、ちょっと油断するとすぐ汚れてしまいますし、その汚れがグローブから袖口へと移るのはある程度仕方ありません。
幸い丸洗いOKなので既に何度か洗濯していますが、袖口の黒ずみを完全に取るのは難しいようです。
おまけに「見返し」の部分のマジックテープがバカになってしまい、取り外しました。そう、防寒のために、ファスナーとは別にマジックテープで止めるようになっているんです。バリバリッと。面白い工夫ですが耐久性に難があります。
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安っぽくて一冬しかもたないような代物でしたが、それだけに気軽に着られるわけで、事実、ずっとこればかり着ていました。服というものは思い出と結びつきます。滅多に着ない高い服には思い出が少なく、いつも着ている安い服の方に愛着がわくのは不思議なことではありません。
何しろ2,980円で買った服ですから、春になったら捨てて来年また新しいのを買うのが普通なのでしょう。が、それも忍びない気がします。さて、どうしたものか……。
人が人に何かをさせようとするとき、二つのパターンがあるように思います。「おだて」と「脅し」です。
「おだて」型は例えば百貨店の婦人服売り場。「スリムでいらっしゃいますから、こちらなどお似合いですよー」などと言っているのをよく聞きます。たぶん、痩せてるのは本当なんでしょう。誰の目にも太って見える人にスリムなどと言うとかえってまずいですからね。どんな人でもどこかほめるポイントがあるもので、店員はそのへんをよく心得ています。
では、「脅し」型はどんなのかと言うと、
……みたいなやつです。
お分かりでしょうか。もし自分が無意識にやってることが女性にどん引きされてるとしたら男としては困るわけです。コーヒーカップを持つとき小指が立っている、などですね(笑)
脅してくるタイトルには「釣り」だと分かっていても引きつけられてしまいます。
「今さら聞けないどーたらこーたら」みたいな記事もそうですね。知ってないと恥ずかしいぞ、と脅してくる。ある意味で非常に攻撃的なタイトルです。
私は天の邪鬼なので、脅されると反発して見ないことが多いです。見たいけど見ない(笑)
タイトルで読者を引きつけるのは大切なことですが、一定の節度は保ちたいものですね。
春めきし関門橋を渡り行く
今日も福岡の空は白く霞んでいました。気になるのはPM2.5ですが、PM10や従来からの黄砂もだいぶ飛んでいるようです。
その証拠に車やバイクが真っ白です。車については、どうせまたすぐ汚れるので黄砂のシーズンが終わるまで放置するという考え方もアリかもしれませんが、バイクはその上に直接跨がるものなので、汚れていると自分まで汚れてしまいます。
幸いウェスはたくさんあるので、濡らして絞って軽く拭いています。ただ、毎日これをやっていると「あそこのご主人、またオートバイを磨いてらっしゃるわ。よっぽどお好きなのね、オホホ」みたいな感じでご近所でヒソヒソされてしまうのが難点です(笑)
26日は西日本各地でPM2.5の濃度が高い値を示しました。大部分は中国から飛来したものと思われます。
昔からあった黄砂はありがたくない贈り物ではありますが、どうにか許容範囲内でした。春霞などと言って風流なものとする考え方もあったほどです。ですが、PM2.5となるともう迷惑以外の何者でもありません。2.5とは、およそ2.5μm以下の小さな粒子からなるという意味で、なかなか地面に降りてこず、長期間空中を漂うので厄介です。しかも、小さいので人間が吸い込むと肺胞まで届いて、PM10などに比べて害が大きいのも問題です。
新興国ではどこも粒子状物質の濃度が高く、特にアフリカ北部から中国へと伸びるベルト状の地帯の汚染が目立ちます(図)。とりわけ中国の汚染は深刻で、偏西風に乗って運ばれるため、東に位置する韓国・北朝鮮、そして日本が強い影響を受けます。
中国のPM2.5排出を低減させるために日本は技術支援すべし、との意見もあります。
それはそれで結構なことですが、現に発生している被害の賠償を請求するのが先ではないでしょうか。どうも我が国の指導者たちは、中国に対して及び腰というか、賠償を請求されこそすれ、こちらから請求するなどハナから頭にないようです。
少なくとも、他国が迷惑していることを彼らに分からせる必要があります。難しいことですが。
それをせずに技術支援だけしても、思ったよりPM2.5が減らないのは日本のせい、それどころか中国の大気汚染は全て日本の責任などと、いつのまにか話がすり替わってしまうのがオチです。
古新聞を整理していると、懐かしい言葉を見つけました。
8年前、2006年の記事です。現在では「再生可能エネルギー」と言うところを、当時は「自然エネルギー」と言っていたんですね。
「自然エネルギー」も「再生可能エネルギー」も意味するところはだいたい同じですが、現在では法律(再生可能エネルギー特別措置法)もマスコミも後者を使っています。さらに、「自然エネルギー」でGoogle検索しても、最初に「再生可能エネルギー」が出てきます。石油も石炭もウランも自然界に存在するものを利用しているには違いないので、より明確に「再生可能」と定義し直したのでしょう。
枯渇性資源であるウランを使う現在の核分裂炉が「再生可能」ではないことは論を待ちません。ですが、核融合炉だとどうなるんでしょうね。ほぼ無尽蔵の水素を用いることから「再生可能エネルギー」に含めるのか、それとも含めないのか。
法律ではともかく、言葉として考えると、再生可能とは必ずしも無限であることを意味しないはずです。太陽光だって有限なわけですからね。
であるならば、少なくとも人類が生存する間、枯渇することがないと期待される核融合エネルギーは「再生可能」と言って良いと思います。