無能な人ほど高給?

無能なヤツほどたくさんのお金が得られることを証明します。

仕事 = 時間 × 能力

従って、

時間 = 仕事 / 能力

ここで、明らかに

時間 = お金 ( Time is money. )

なので、

お金 = 仕事 / 能力

仕事が一定ならば、能力が低いほどお金が増える。 Q.E.D.

というのは欧米ではポピュラーなジョークですが、これがジョークとして成り立つほどにタイム・イズ・マネーは当然のこととして受け取られています。

ただ、私自身は時間とお金が等価であるとは考えていません。どちらがより大事かと言えば、時間であろうかと思います。

お金は頑張ればいくらでも稼げます。才覚さえあれば何億、何十億、何百億と稼ぐことも可能です。しかし、時間はどうでしょう。どれほど健康に気を配っても、人は200年は生きられません。150年も無理です。

不摂生をしていれば若死にするだろうし、十分養生していても運が悪ければ死ぬときは死にます。

そう考えると、時間は、万人に公平に与えられてはいないにしろ、上限はたかが知れており、それゆえに最も貴重なリソースと言えるのではないでしょうか。

中年の読書

昔、福岡市中央区六本松にあった九大教養部の図書館に「学者如登山」と書かれた額がありました。郭沫若の揮毫によるものです。

「学ぶは山を登るが如し」。

誰だったか忘れましたが、「読書は登山であってピクニックではない」と言った人もいました。登山とピクニックとの違いは道具や訓練を必要とするか否かでしょうが、その観点からすれば、登山型読書はかなり危険なものといえます。特殊な思想に染まって戻ってこれなくなる人もいますしね。

私も以前は登山型に挑戦してずいぶん難しい本も読んだものです。カントの「純粋理性批判」、ヘーゲルの「歴史哲学講義」。いやあ、難しかった。日本語訳ですから言葉の意味は分かるのですが、頭に入ってきません。今では何が書いてあったかすっかり忘れてしまいました。

人生の一時期、身の丈を超える程の本に挑戦するのは必要なことだと思います。言わば「青年の読書」です。理解できれば良し、学者かそうでなくてもひとかどの人物になれるでしょうし、理解できなくても、己の限界を知ることが出来ます。

ただし、中年を過ぎるとそうもいきません。20歳でドストエフスキーを読む人はたくさんいますが、40歳で読む人は専門家を別にすれば殆どいないはずです。少なくとも私には無理です。

なので、これからは「中年の読書」をしようかと思っています。具体的には山本周五郎、司馬遼太郎、池波正太郎、松本清張など。これらの本が簡単というわけではありませんが、哲学書や外国文学と違い特別な努力を払うことなく読めるし、なんと言っても「おじさんの必須科目」みたいなものですから。

水着を買った

新しい水着を買いました。ピッタピタのやつです。

若い女性のならともかく、おっさんの水着がピッタピタだとかどうでも良いでしょうが、まあ、読んで下さい。

大抵みんな最初はそうするように、私も以前はゴワゴワした生地のトランクス型の水着を着ていました。が、これだと水の抵抗が大きく、泳ぐのには不向きです。

そこで、もっと薄い生地でぴったりフィットしたやつに換えたのですが、やっぱりちょっと気恥ずかしいんですよね。なんか、腹の肉も余ってるし。

ですが、おっさんの水着姿がどうであろうと誰も気に留めまいと思い直し、ぴったり水着でデビューしたわけです。実際、泳ぎやすさはトランクス型に遙かに勝ります。

それから、月日は流れ、その水着も若干くたびれてはきましたが、まだまだ着るつもりでした。ところが先日ふと光にすかしてみると、なんと!

ただでさえ薄い生地の、尻のあたりがさらに薄くなっているのです。

蛍光灯が透けて見えるほどです。おっさんの水着の尻のあたりが薄かろうと誰も気にしない……ってくどいですね(笑) まあ、薄いのは気がつかれていないと思うのですが、もし破れてしまったら、さすがに気にされるはずです。というか、話題の的になってしまいます。

早く気付いて良かった……。

ついでにゴーグルやキャップも買ったので結構な散財でした。

図書館のカードを作った

近所の市立図書館でカードを作りました。

行きやすい場所にあり、車を駐めることも出来るので、今後行く回数が増えそうです。受付のお姉さんもステキですし(笑)

考えてみると、あと40年生きるとしても 365 * 40 = 14,600 日。毎日欠かさず1冊の本を読んでも、小規模な図書館の蔵書を制覇することもできません。人の一生は案外短いものですね。

なので、読みたい本があれば片っ端から読んでおくべきです。

まずは、松本清張の短編集を借りてきました。歳のせいか、最近、司馬遼太郎や松本清張が読みたくて仕方ないんですよね。手持ちのを読み返したり、書店で求めたりしていましたが、図書館で借りるのがベストだと気がつきました。

せっかく高い税金を納めているのだから、市の施設はしっかりと活用させてもらおうと思います。

続・アマゾンばかりが繁栄していて良いのか

昨日書いた「アマゾンが我々の富を吸い上げている」との論には、批判もあることと思います。

中には、「従来の小売業はアマゾン式のインターネット通販に地位を譲りつつあり、前者は滅び去る運命にある」という人もいます。郵便の普及によって飛脚が失業したのと同じというわけです。しかし、私はこの評論家的言説に納得できません。

なるほどアマゾンの繁栄はかつての英国の植民地主義とは違って武力を背景とせず、もっぱらテクノロジーの優位によってなされたものです。ですが、優れたテクノロジーさえあれば他国の文化や生活を破壊しても良いのでしょうか。昨日述べた三角貿易も、英国における産業革命、すなわちテクノロジーの優位によって可能となったことを忘れてはなりません。

マルクスは「資本論」の中で、「(英国産の綿織物によって)インドの平野は綿紡ぎ職人の白骨で染まった(Die Knochen der Baumwollweber bleichen die Ebenen von Indien.)」と書いています。

小売業者とアマゾンとの闘いは、まさしく労働者と機械との闘争(Kampf zwischen Arbeiter und Maschine)の一局面なのです。

テクノロジーの進歩を止めることは出来ませんが、それを我が国の疲弊に繋げず逆に発展に役立てることは出来ます。

国策で「日の丸インターネット通販サイト」を作り、様々な優遇によってアマゾンを駆逐するというのも一つの手でしょう。あるいはより現実的に、アマゾンを狙い撃ちする新税を設けても良いかもしれません。

何らかの対策が必要です。

アマゾンばかりが繁栄していて良いのか

国道沿いの書店だった建物が、最近行ってみると100円ショップに変わっていました。

書店には3種類あって、

  1. ビルの1フロアを占領する大規模店
  2. 駐車場を備えたロードサイド店
  3. 商店街などにある個人経営の店

に分類できます。

体力からすれば1. が一番あるはずですが、大資本だけに、儲からないとなると撤退の判断も早く、いつのまにか消えたりします。

2. は書店である必然性が乏しく、冒頭の国道沿いのヤツがそうであったように、平気で100円ショップやドラッグストアに鞍替えします。

3. は、使命感をもって経営されていることが多く、なんとか続けようと頑張っています。が、いかんせん最も体力が弱く、従って最も苦境にあります。後継者不足も深刻です。

総じて、紙の本は作る方も売る方も苦戦しています。景気が良いのはアマゾンだけといった感じですが、本当にこれで良いのでしょうか。

アマゾンが法人税を払っていないことは問題の本質ではありません。節税のために経理上利益が出ていないことにするのは、どこの会社でもやっています。

一番の問題は、日本が経済的植民地にされてしまうことです。

歴史を紐解けば、英国からインドへ綿織物を輸出し、インドから清国へアヘンを、清国から英国へは茶を、という三角貿易が行われていました。これは(英国にとって)まことに良く出来た仕組みでしたが、アヘンの害は大きく、また、アロー戦争、アヘン戦争で知られるように野蛮な側面をもっていました。

一方、アマゾンが作り上げた仕組みはより洗練されており、一見すると誰にも被害を与えていないように見えます。しかし、小売業を疲弊させ、我々の富を少しずつ吸い上げていることでは同じと言えます。

この考え方はあまりに偏っているとの批判もあるでしょう。しかし、かつて列強が植民地から富を吸い上げたのは事実であり、今後、同じことが形を変えて行われない保証は何もないのです。

アマゾンが「帝国」に喩えられるのは故なきことではありません。

菊池渓谷

ツーリングで熊本県の菊池渓谷に行きました。と言っても、走るのが目的で、観光は特になにもやっていません。

ツーリング

日田あたりの道の駅(だと思う)の駐車場です。

私は道を知らないのでみんなについていこうと必死でした。連休の中日(行ったのは昨日、日曜です)でそれなりに人は多く、特にバイクにとってはちょうど良い天候だったので他のツーリングのグループも大勢いました。こういうときは、うっかりよそのグループについていかないように注意です(笑)

山道は思いの外涼しく、トンネルに入ると肌寒いほどでした。

ここしばらく、暑さでバイクには厳しい季節でしたが、これからはいよいよシーズン到来ですね。

迷惑メールに対抗する力をつけよう

「メールを見たら詐欺と思え」を座右の銘としている私ですが、昨今はスパムないし詐欺メールに対抗する手段も増えてきました。

まず、純然たるスパムについては、キーワードによる除外、送信元のIPからリモートホストを逆引き出来るか否か、そしてベイジアンフィルタによって、かなりの精度で選別できます。

詐欺メールについては、電子署名がなされているかどうかで判断できます。

p7s

メールクライアントによっても異なりますが、多くの場合 .p7s という拡張子の添付ファイルとして表示されるのが電子署名です。

Windows では certmgr というアプリで電子署名を検証できます。

certmgr

大手企業からの重要なメールには必ず電子署名がなされているので、まずはこれのありなしで判断しましょう。ちなみに、上記はSBI証券からのメールにくっついていたものですが、ここから来るメールは「豪ドルに投資してみませんか」などといった、たいして重要でない用件であっても全て電子署名されています。

ただ、私が危惧するのは、一見真正な電子署名を備えた、極めて精巧な詐欺メールが将来登場するのではないかということです。

やはり、メールだけで判断するのではなく、電話で、それも相手が記している番号ではなく電話帳に載っている番号に掛けて確認するのが賢明です。