専門外のことを概念だけで分かった気になって語っても良いじゃないか

内田樹氏のカジノに関する発言。

 

これに対して、やまもといちろう氏が、

他山の石と申しますか、専門外のことを概念だけで分かった気になって語ると馬鹿と思われるということを噛み締めながら書くエントリーなんですが。

強烈な皮肉とともに批判しています。が、どこが馬鹿に見えるのか私にはよく分かりません。

毎年830万人とか一人400ドルとかいう数字の妥当性はひとまず措くとして、カジノの利益の源泉は客の負け分と考えることの何が間違っているのでしょうか。

確かに、負け分が全てカジノの利益になると思っているのなら馬鹿そのものです。しかし、内田氏が言っているのはそういうことではないでしょう。

客が突っ込んだ金を全て吐き出すならばいざ知らず、一定の率で控除する以上、客から見た一人あたりの収支は平均すれば必ずマイナスになるはずです。内田氏はこれを負け分と言っているわけです。

そして、その客のマイナスの和を、移項して符号を反転させたものがカジノの収益にほかなりません。ホテルやレストランなどでも多少は利益が上がるでしょうが、カジノそのものから上がる利益に比べれば微々たるものです。

ついでに言えば、「専門外のことに口を挟んでも」良いと思うんですけどね。門外漢が間違ったことを言っていたら、専門家は「間違っている」と指摘すれば良いだけです。馬鹿と思われるだのなんだのといった人格攻撃の方が余程みっともない。

ちなみにカジノ導入の是非に関しては、私の考えは内田氏とは違って、どちらかと言えば賛成の立場です。

既にルーレットやバカラより数段タチの悪いパチンコという賭博が蔓延していますからね。パチンコは少額で始められるわ、どこの町にもあるわで、極めて容易にハマってしまう点、その弊害はカジノの比ではありません。

カジノ導入を機にパチンコの適正化、わけても三店方式という脱法的な手段による換金の禁止が実現すれば、言うことはないのですが。

口の中をやけど

口の中をやへどひまひた。もとい、やけどしました。

不覚です。おやつに食べたたこ焼きが思いの外熱く、やってしまいました。転んでもただでは起きぬ的根性で、ブログネタ化してみます。

口の中をやけどせずに熱いものを食べるのは生活に必要な技能です。たこ焼きを食べるときは、いきなり口に放り込むのではなく口の前でふーふーしてみるべきです。私はこれを怠ってしまいました。

ふーふーすると幾分冷めるのはもちろんのこと、返ってくる空気の熱さでたこ焼きの熱さを推し量ることが出来ます。

麺類、殊に熱いスープに浸かっている麺、かけうどん、かけそば、ラーメンなどは、ふーふーするのに加えて、ずずーっとすすることで温度が下がります。

ラーメン

ご存じのように、日本以外の多くの文化では、音を立てて麺(やスープ)をすするのは不作法とされていますが、なに、気にすることはありません。ここは日本です。

ですが、海外ではどうすれば良いのでしょうか。

聞くところによれば、アメリカ人は日本製インスタントラーメンを食べるとき、麺を茹でたあとお湯を捨てて、粉末スープをまぶして食べるそうです。カップ焼きそばの要領です。

これも、音を立ててすするのは彼らが子供の頃から受けてきた躾がそれを許さず、かといって無音で麺を吸い上げると唇をやけどしてしまうからだと思われます。

つまり、すすらないと食べられないほど熱いスープに浸かった麺が出るということは、その土地の文化でもすすって良いということです。

逆にスパゲッティーのように汁無しの麺は、決して音を立てて食べてはいけません。

東行庵

高杉晋作を弔う東行庵に行ってきました。先々月には安倍総理も来訪しています。

東行庵東行庵

奥の方は庭園になっています。

東行庵

もうしばらくすると、紅葉が見事でしょうね。

東行(とうぎょう)とは晋作の号です。奥さんの、と言っても内縁の妻ですが、おうのという人が、亡くなるまでこの地で晋作を弔ったということです。正妻のまさという人も長州一の美人と言われたそうですが、親の決めた妻とは別の人を愛したということでしょう。

高杉晋作

ずいぶんと若い姿の銅像です。それもそのはず、晋作は27歳で死んだのです。

Google汚染、極まれり

先日、安倍総理の祖父に当たる安倍寛でググってみて驚くことがありました。

たまたま、高杉晋作を弔う東行庵に行ったので、「そう言えば、安倍総理は晋三、父親は晋太郎と二代にわたって晋の字がつくのは、晋作にあやかったのかな」などと思いながら安倍一族のことを調べていたのです。

Googleの検索結果ページの右上に Wikipedia を要約したような囲みが出ることがありますが、「安倍寛」でもそれが出ます。しかし、何かヘンです。

Google汚染、極まれり

安倍寛として、晋三氏の顔写真を醜く改変した写真が載せられているのです。

人の顔写真を改変するような下衆がこの世に存在するのは、まあ仕方ありません。「安倍寛」で表示される画像の中にそういった「コラージュ作品」が混じることもやむを得ないでしょう。しかし、上のスクリーンショットのように、あたかもGoogleが公認した安倍寛の肖像であるかのように表示されるのは問題です。

よく知られているように、Googleは「ロボット型検索エンジン」であり、Googleのエンジニア達は、データの収集にいかに人の手を掛けないかに心を砕いています。上記の写真も、クローラーと呼ばれるプログラムが「間違って」拾ったもので、Googleに他意はないはずです。

しかし、他意はなくとも故人に対する酷い侮辱であることに違いはありません。

以前から、検索結果を「汚染」するために、でたらめな記述、例えば「〇〇は痴漢」などと書いたページを大量に作成し、互いにリンクしあってGoogleに拾わせるということが行われてきました。

Googleはそれらの「ノイズ」を無視するのに長けていると言われていますが、上記の件を見る限りまだまだのようです。

私は別に安倍一族のシンパではありませんが、さすがにこれは胸糞が悪かったので、「フィードバック」を通じてGoogleに通報しておきました。しかし、丸1日を経過した現在(2014年9月28日)も、問題の写真は掲載されたままです。

アメリカの世界の警察離れ

Covert Terror Cell Emerges as Leading Target of the U.S.

–The New York Times, September 25, 2014

昨日のニューヨークタイムズの見出しです。ある人から、この文の意味が取れないと言われたのでちょっとレクチャーしてみます。

covert terror cell は「隠れたテロ組織(細胞)」、emerge は「(突然)姿を現す」、target of the U.S. は「合衆国の標的」。ここまでは分かると思います。

問題は leading で、これを動詞だと思ってしまうと emerges と leading で動詞が2つあることになってしまってわけが分からなくなります。

ここでは、leading は target に掛かる形容詞なのです。

よく、リーディング・カンパニーなどと言いますよね。あれです。leading target は「主要な標的」とでも訳せば良いでしょう。

従って、「隠れたテロ組織がアメリカの主要な標的としてにわかに注目されている」という意味になります。

記事を読んでみると、隠れたテロ組織とは、シリアで活動する Khorasan というグループだそうです。

少し前まではアルカイダ、現在はイスラム国が注目を集めていますが、あまり知られていない組織の中にも、危険なものがあるということでしょう。

もっとも、アメリカの指導層は世界の警察を以て任じているとはいえ、世論調査によれば、国民はその政策に懐疑的になりつつあるといいます。確かに、「テロとの戦い」はアメリカの安全に寄与するどころか、「標的」とされた人々の恨みを買っているだけのようにも見えます。

世論に鑑みればアメリカは今後、軍事介入にもっと慎重にならざるを得ないでしょう。

接続の安全性を確認できません

Panoramio というサービスがあります。一種の写真投稿サイトで、Google Mapとの連携に特徴があります。

ところが、さきほどこのPanoramioの中のマイページにアクセスしようとするとFirefoxが警告を発しました。

SSL

「接続の安全性を確認できません」とのことですが、具体的には証明書の有効期限切れのようです。(エラーコード:sec_error_expired_certificate)

恐らくPanoramio側のケアレスミスでしょうが、Firefoxのタブに「信頼できない接続」という文言が表示されることによる、イメージダウンは少なくないと思われます。

現に私も「なんだこりゃ」と思ったし、このサービスに対する印象はかなり悪くなりました。

SSL対応のサイトを運営している方は是非ともご注意下さい。

山月記

若い人と話していて、彼が「山月記」を読んでいることに感心したことがあります。後で知ったのですが、今は高校の教科書に載っているんですね。なるほど。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心。特に若者が避けなければならないのは前者ではないかと思います。

世の中に「努力」を嫌う人が多いのは、単にそれが苦痛だからではなく、努力してみてなおその道に達することが出来ない、つまり才能がないことが明らかになるのを恐れるからです。

青年は、臆病な自尊心など持たず、自らの進む道を定めて、とことん努力すべきです。

私の世代は山月記も教わらず、ややもすれば「努力なんてかっこわるい」という風潮でした。しらけ世代というやつです。私自身、さして努力家というわけではありませんが、この風潮には強く反発したものです。他人の努力をあざ笑うのは醜いことだし、それを恐れて努力しないのは愚かなことです。

それを教えてくれるこの作品を高校の教科書に載せるのは誠に結構なことだと思います。

ただ、教科書に載っていると逆にきちんと読まないということはあるかもしれませんね。若者は、親や学校の先生の言うことを聞かないものだし、教科書に載っているというだけで退屈な文章に感じるかもしれません。

若者に影響力のある芸能人やスポーツ選手が、「臆病な自尊心など持つな」とメッセージを送ってくれると良いのですが。