憎悪を煽る表現、ヘイトスピーチについて論じるには、まず表現の自由について考える必要があります。
我が国では、表現の自由は憲法21条によって保障されています。
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
表現の自由は民主主義の前提です。言いたいことが言えなければ、話し合いはできません。この立場を徹底すれば、ヘイトスピーチであれなんであれ、それが言論に留まる限り全て保障されるべきであって、規制はすべきではない、ということになります。
これとは異なる考え方の国もあります。例えば、ドイツでは民族的憎悪を煽る言辞は刑法で禁じられています。つまり、「一切の表現の自由」が認められているわけではありません。
ホロコーストに対する深刻な反省からとはいえ、いやしくも言論に対して制限をかけるのは本来であればおかしなことです。
ドイツに於ける言論の自由の不徹底さに比べて、日本のそれは一切のタブーを認めぬ、より進んだものと言えます。こと言論の自由に関する限り、我々はドイツより先を行っているのです。真に誇るべきは憲法9条ではなく、21条です。
なぜ、ドイツのような遅れた国に学ぶ必要があるのでしょう?
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そうは言っても、誇大広告だとかわいせつ表現だとか他人の名誉を毀損する表現などは現に規制されているではないか、と思われるかもしれません。
その通りです。表現の自由といっても無制限に認められるわけではなく、他者の権利を侵害することは許されません。(ただし、わいせつ物頒布等の罪については誰の権利を侵害しているのか分かりにくいということは言えるでしょう。この罪は「善良の風俗を維持するため」にあるとされています)
だからこそ、ヘイトスピーチの規制は不要、否、あってはならないのです。
実際、ヘイトスピーチを行うとされる「在特会」のメンバーが、威力業務妨害で何度も検挙されています。このように既存の法律の枠内でもヘイトスピーチを抑制することは可能です。