電車の網棚

最近、電車の網棚が殆ど使われていないそうです。

特に若者は口を揃えて「生まれて一度も使ったことがない」と言うそうで、いやはや驚きです。人間、自分が馴染んだ行動様式が廃れていくのはなにか寂しいものです。

が、使わない理由として「忘れ物をしないため」が上位に来ると聞くと、「それなら仕方がないか」という気もします。

私は網棚に荷物を置き忘れたことはありませんが、危うく忘れそうになり、「もし、お忘れですよ」と時代劇みたいな台詞で注意されたことならあります(笑)

たまにしか乗らない(人が多い)飛行機や新幹線と比べて、日常的に乗る在来線では忘れる率も絶対量も確実に多くなるはずです。なにしろ無意識ですから。下りてドアが閉まった後で「あっ、カバン!」と気付くわけです。

どこの鉄道でも忘れ物の管理は頭痛の種のようで、網棚の撤去は時代の趨勢かもしれません。不審物の放置も怖いですしね。

ヘイトスピーチ(3)不快だからと禁じて良いものではない

個人の自由を制限するときに持ち出される根拠には、大きく分けて3つあります。

危害原理

「何でも自由にやって良い、ただし、他人に危害を加えない限りは」というのが危害原理です。社会はこの原理で成り立っていると言っても過言ではありません。これに異論を唱える人はまずいないでしょう。

不快原理

危害とまでは言えなくても、他人を不快にさせるなら、そのような行為(ないし不作為)は禁じて良いという考え方です。

「なるほど、他人に迷惑をかけちゃいけないよね」と、うっかり同意しそうになってしまいますが、よく考えてみて下さい。快・不快なんて極めて主観的なものです。ある人には、あなたの鼻の形がどうにも不快かもしれない。だから常に目出し帽を被っていろと言われて納得できますか?

不快原理はかなり胡散臭い理屈と言えます。

パターナリスティックな制約

これは誰にも迷惑をかけないのだけど、まあ止めておいた方がよかろうという行為です。麻薬の使用などがこれにあたります。麻薬中毒者は人に迷惑かけるだろうという気もしますが、とりあえず、仮に迷惑をかけないとしても麻薬の使用は自由権の埒外である、と考えて下さい。

さて、ヘイトスピーチです。

表現の自由に対してパターナリスティックな制約をかけるのが許されないのは論じるまでもありません。問題は危害原理、ないし不快原理を適用できるかです。

ヘイトスピーチを禁止しろと言っている人達は、要は不快原理を適用しろと言っているのです。不快な言論だから禁止しろと。

果たしてそれで良いのでしょうか。

何を以てヘイトスピーチとするかが曖昧な上、禁止の根拠も薄弱。それでいながら、自由権の中でも最も優越的な地位を占める表現の自由を制限して良いとなぜ言えるのか。

いや、ヘイトスピーチは単に不快なだけでなく、もはや危害と言えるのだという人もいるでしょう。しかし、危害と言えるならば、即ち他人の具体的権利を侵害しているならば、現状でも信用毀損罪や業務妨害罪によって罰することができます。何も言論の自由を狭める危険を冒してまで「ヘイトスピーチ罪」を新設する必要はありません。

ただでさえ、言論の自由はデリケートで失われやすいのです。刑罰を以てヘイトスピーチを禁じることには断固反対します。

ヘイトスピーチ(2)レッテルとしてのヘイトスピーチ

産経新聞の系列の iRONNA に、意外にも在日コリアンのライター(安宿緑氏)が書いた記事が載っています。「在日外国人はエセ反差別提唱者とは距離を置くべきである」と題し、いわゆる「しばき隊」が単に暴力的であるだけでなく、彼らこそレイシストであると喝破した記事です。

そして朝鮮学校および在日コリアン社会でも当然ながら、イジメや差別主義者は存在します。
そんな中「いやいや、あんたも日本人差別してるだろ」と思う場面もありましたし、

このような文章から、このライターができるだけ理性的であろうとする人だということが分かります。

しかし、この人をしても、

試しに在特会側の主張を静聴しますと、一理ある部分もありますが大筋はトンデモ感溢れるもので、ここに差別感情が加味されて手に負えないのがわかります。

と、なってしまうのです。在特会の主張はトンデモの一語で片付けられており、どこがどうトンデモナイのかは述べられていません。

ことほどさように、人は自分と異なる意見に耳を傾けようとしないものなのです。

安宿緑氏はまた、

さらに「カウンターデモ」の指導者からは直接、ネット上で「サブカルライター」「箱庭で生きているのか」などという聞き捨てならない発言を受けたのです。

と書いています。恐らくは理性的な態度が「カウンターデモ」の指導者の目には日和見主義に映り、非難されたのでしょう。

この場合「サブカル」が一つのレッテルですが、「レイシスト」「ヘイトスピーチ」はさらに強烈なレッテルです。異なる立場の人々に「漢奸」、「非国民」、「ファシスト」などと汚名を着せ、社会的に抹殺しようとする連中はいつの世にもいます。

在特会の主張に多くの誤謬が含まれているならそれを一つ一つ指摘するべきだし、聞くに堪えない差別的言辞があるならば、それは差別だと言うべきです。

確かに鬱陶しいでしょう。面倒くさいでしょう。しかし、だからと言って、「ヘイトスピーチ」などというレッテルをこしらえて、とにかく黙らせろというのは横着のしすぎというものです。

ヘイトスピーチ(1)ドイツには学ぶな

憎悪を煽る表現、ヘイトスピーチについて論じるには、まず表現の自由について考える必要があります。

我が国では、表現の自由は憲法21条によって保障されています。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

表現の自由は民主主義の前提です。言いたいことが言えなければ、話し合いはできません。この立場を徹底すれば、ヘイトスピーチであれなんであれ、それが言論に留まる限り全て保障されるべきであって、規制はすべきではない、ということになります。

これとは異なる考え方の国もあります。例えば、ドイツでは民族的憎悪を煽る言辞は刑法で禁じられています。つまり、「一切の表現の自由」が認められているわけではありません。

ホロコーストに対する深刻な反省からとはいえ、いやしくも言論に対して制限をかけるのは本来であればおかしなことです。

ドイツに於ける言論の自由の不徹底さに比べて、日本のそれは一切のタブーを認めぬ、より進んだものと言えます。こと言論の自由に関する限り、我々はドイツより先を行っているのです。真に誇るべきは憲法9条ではなく、21条です。

なぜ、ドイツのような遅れた国に学ぶ必要があるのでしょう?

そうは言っても、誇大広告だとかわいせつ表現だとか他人の名誉を毀損する表現などは現に規制されているではないか、と思われるかもしれません。

その通りです。表現の自由といっても無制限に認められるわけではなく、他者の権利を侵害することは許されません。(ただし、わいせつ物頒布等の罪については誰の権利を侵害しているのか分かりにくいということは言えるでしょう。この罪は「善良の風俗を維持するため」にあるとされています)

だからこそ、ヘイトスピーチの規制は不要、否、あってはならないのです。

実際、ヘイトスピーチを行うとされる「在特会」のメンバーが、威力業務妨害で何度も検挙されています。このように既存の法律の枠内でもヘイトスピーチを抑制することは可能です。

橋下知事の誤算

大阪市役所での橋下知事と在特会の桜井誠会長の会談のビデオを見ました。

なるほど、聞いていた通り怒号が飛び交い、話らしい話もせずにすぐに終了してしまいましたが、二つの点で興味深く感じました。

一つ。桜井氏はなかなかタフだったということ。恐らく、橋本知事の思惑としては、ヘイトスピーチを行うけしからんやつをピシッと叱って、府民並びに国民に対して良いところを見せようというものだったはずです。

しかし、会談の印象は、橋下知事も桜井氏も同レベル、下手をすれば桜井氏の方が立派だったという感じです。敏腕弁護士として知られる橋下知事にとっては思わぬ結果でしょう。

二つ。ヘイトスピーチとは何なのかということ。桜井氏が何か言おうとしているのに、再三橋下知事が「おい、お前!」と遮るのは実に見苦しい姿でした。

橋下側は「桜井氏に独自の主張をさせないために、敢えて遮った」と言いますが、本来であればまず話を聞いた上で、「それはね、かくかくしかじかの理由でヘイトスピーチに当たるから言っちゃダメだよ」と諭すべきです。

ハナから「こいつの言ってることはヘイトスピーチ」と決めつけて、だから聞く耳持たぬというのではそもそも会談など設ける意味はありません。

ヘイトスピーチに関しては今後数回にわたって書いていこうと思います。

KDJ-ONE

面白いデバイスが出るようです。

kdj-one

KDJ-ONE。英語のページでは、”KDJ-ONE is a mobile audio workstation with…” と謳っています。並々ならぬ意欲作であることが感じられます。実際、 ARM Cortex-A8 1GHz を搭載するこのデバイスの能力は、確かに一昔前のワークステーションに匹敵します。

メロディや和音を記録しておくだけのシーケンサーは昔からありました。しかし、この KDJ-ONE のように高性能な CPU を持つ機種が出ることはありませんでした。というのも、当初はパソコン、近頃ではスマホやタブレットで十分に作曲できるからです。

作曲に限らず、何でもスマホやタブレットでやってしまおうというのが最近の流れです。

そんな中で、1オクターブの鍵盤とカーソル、若干のプログラマブルキー、そしてステレオの内蔵スピーカーを備えた本機は、ある意味「偉大なる時代錯誤」と言えます。

内蔵スピーカーはサイズからしてあまり良い音ではないでしょうが、とりあえずモニタできるのは重要です。「人前でアーティストを気取る」というのがこの手の機械の主な使用目的ですからね。

これならば、出先で恋人に「今、こんな曲を作ってるんだ。まだ途中だけど君だけに聴かせてあげる」などと囁くことができます(笑)

かなり面白そうなデバイスですが、値段はどのくらいになるのでしょうね。

 

誰がドミノ辞任を望むのか

自民党の小渕優子経済産業大臣と松島みどり法務大臣が辞任しました。一連の騒動、特に松島大臣を追求した蓮舫議員のしたり顔は見物でした。

一般論からすれば、閣僚2名の辞任は内閣にとって痛手と言えるでしょう。しかし、私はこの事態が安倍政権にとってむしろ追い風にすらなりうると思っています。当然民主党にとっては向かい風です。

一体世の中の何パーセントの人が、「うちわの追求、よくやった! えらい!」などと言っているのでしょう。元々民主党を支持している人でさえ、くだらないことで大騒ぎした挙げ句自身もうちわ的なモノを配っていたことが露見した蓮舫議員には失望しているはずです。

そう、うちわを配るくらいはみんなやっていることです。我が家には「県会議員〇〇〇〇」と大書してある爪切りまであります。

ただし、みんなやっているから良いとは言いません。悪いことは悪い。

だから、蓮舫議員はまずは自分がモノを配るのをやめるべきでした。それもこっそりやめるのではなく、宣言した上でです。そうしておいて、他人を追求するのなら少しは筋も通ります。

然るに、「わたしのはタダの厚紙で骨が入っていないからうちわではない」などと強弁するのでは、自分で自分のことを人間のクズだと白状するようなものです。同時にまともな政策論争で勝負する能力がないことも露呈しています。

まあ、これを機会に他の議員諸氏がつまらないことで足下をすくわれないようにと襟を正すならば、この茶番も全くの無意味ではないのかもしれませんが。

くら寿司とモダンタイムス

昨日、近所のくら寿司行ったんです。くら寿司。……と、某コピペのような始め方ですが、実は初めてでした。

くら寿司

店員から「皿は引っ張るのではなく、持ち上げるようにして取って下さい」と説明を受け、札をもらって席に着きます。

まず、戸惑ったのがお茶の注ぎ方です。湯飲みに抹茶を入れて湯を注ぐのですが、ボタンを手ではなく湯飲みで押さえつけるようにするのが正しいのだそうです。私は手で押そうとして、一緒に行った人から「コントで『あちっ!』とかやってるけど、実際手で押そうとする人は初めて見た」と笑われてしまいました。ぐぬぬ……。

次に注文した寿司を取り終わったときに押す「完了」ボタンがたまたま私の前にあったので押していたところ、一回タイミングを誤ってまだ全部取っていないのに返却してしまいました。このときは店員を呼んでもう一度送ってもらいましたが、手の掛かる客だと呆れられたことでしょう。

他にもタッチパネルを上手く押せなかったり、逆に意図せず押してしまったりと、失敗続きでした。まさに人と機械との闘争(Kampf zwischen  Mensch und Maschine)です。

自分のそそっかしさを棚に上げて言わせてもらえば、やはり、タッチパネルとコンベアによる自動化されたシステムは、非人間的です。なんだかチャップリンの「モダンタイムス」のような悲哀さえ感じます(笑)

まあ、あれの方が気軽で良いという人も多いのでしょうが、全部が全部タッチパネルになってしまうと私は嫌ですね。

旅らしい旅

旅行から帰ってきました。今回は友人が車を出してくれて、私は乗っているだけで良いのでラクでした。そのぶん、彼は疲れただろうと思います。ありがとうございます。

目的地は先日書いたとおり箱根です。

富士山

やや曇り気味で霧も出ていましたが、どうにか富士山を眺めることが出来ました。

ロープウェイ

大涌谷

その後、ロープウェイで大涌谷へ。ご覧のように日が傾きかけているというのに観光客でごった返していました。外国人が多く、耳慣れない言語が飛び交っているのも印象的です。

鍋

宿では最近珍しく部屋で夕食をとることができました。メインディッシュの野菜鍋です。もちろん、この後肉も入ります。質素なようですが、野菜高騰の折、結構なご馳走と言えるかもしれません。ヘルシーですし。

刺身

刺身や焼き物も美味でした。

翌日は、関所跡や箱根神社を回り、私の飛行機の都合を考えつつ、小田原、鎌倉、横浜へと徐々に羽田に向かって進みます。

猫@小田原城

小田原城にいた猫。

江ノ島は駐車場がいっぱいなので断念し、横浜で山下公園をしばし散策してから、最後は空港で解散しました。

このブログでは、日帰りどころか、行って帰っても半日かからない場所まで「旅行」というカテゴリに含めていますが、今回は久々に旅らしい旅でした。