帝踏石

苅田町にある「帝踏石(たいとうせき)」を見に行ってきました。この町は先日の「石塚山古墳」を始め、遺跡の宝庫です。

「日本書紀」に、景行天皇が土蜘蛛を征伐したとき石を集めて吉凶を占ったとの記述があり、この石がそれであるとされています。

それぞれの石はかなり大きく優に数トン、中には数十トンあると思われるものもあります。

気に入ったのは、「ここで遊んでいて怪我をしても、当神社は一切責任を持ちません」と立て札がしてあるところです。

「遊んではいけません」とは書いていないのです。

何しろ景行天皇(在位71年~130年)の時代からここにある石なのです。まあ、日本書紀の記述は神話的なものでしょうから実際はもっと新しいとしても、1000年以上もの昔から、ずっとこの近所の子供はこの石に登って遊んでいたに違いありません。

恐らくは現在この石を管理している神社の神主さんもその一人でしょう。然るに、今はこういう時代ですから、子供が怪我などすると神社に損害賠償を請求する親もいるかもしれません。だからといって「遊ぶな」というのは忍びない、それで上記のような表現になっているのではないかと思います。

深読みしすぎでしょうか。

追記:苅田町ではなく、朽網でした。

秋月城址

朝倉市の秋月城址に行ってきました。

眼鏡橋です。
ガイドブックによれば、このようにアーチが低いものは全国的にも珍しいとのことです。

城址といっても、秋月氏時代のものとしては唯一「黒門」があるだけです。
この黒門、もとは裏門だったものが後の黒田氏の時代に大手門として使われたのだそうです。

一時は三六万石を領した秋月種実も豊臣秀吉に敗れ、日向国高鍋に移封となり、秋月城は廃城となっていました。その後、福岡藩初代の黒田長政の三男、長興という人がこの地を分封され、秋月藩を興した際に、旧秋月城を改修し陣屋を置きました。

上の写真はちょっと露光過多で「黒門」っぽくないですね。

実は、この近辺で女性の二人連れにシャッターを頼まれて押してあげたのですが、よく考えると背景に肝心の黒門が入っていなかった気がします。「せっかくだから、黒門が入るようにちょっと移動しませんか?」などと言ってあげれば良かったのですが。我ながら気のきかなさにちょっと呆れてしまいます。

それから、武家屋敷の久野邸は改修のため二月末まで休館だそうです。これ目当てに行かれる方はご注意下さい。

もう一つの太閤水と伊藤常足翁旧宅

豊臣秀吉は筑前守(羽柴筑前)だったこともあり、九州とはさまざまなゆかりがあります。有名なのが新宮町にある「太閤水」です。

こんな感じで祠が建っていて、裏には水を汲むための電動ポンプもあります。私が行った時にもちょうど水を汲みに来ていた話し好きの女性がいて、この水の由来を色々と教えてくれました。

秀吉をはじめ側近達は皆茶人なので水にはうるさかったのだそうです。いわゆる九州征伐の途上、津田宗及がここに良い水を見つけ、秀吉は「宗及水」と名付けました。それが後に「太閤水」と呼ばれるようになったようです。まだこの頃は太閤ではなかったのですけどね(笑)

昔はこの井戸につるべを落として水を汲んでいたそうです。

さて、実は「太閤水」はもう一つ、若松にもあります。

こちらはかなりマイナーなようで、Googleマップにも載っていません。実際、車の入らない細い道をしばらく歩かなくてはいけないので、かなり行きにくい場所ではあります。

写真の真新しい花にご注目下さい。

もちろん、私が供えたのではありません。地元の人が、観光とは無縁のこのひっそりとした祠を守り続けているのでしょう。思わず頭が下がります。

二つの太閤水のなかほど、鞍手というところに伊藤常足の旧宅があります。

常足翁は江戸時代の国学者で、本居宣長の弟子の弟子に学んだそうです。『太宰管内志』を著しました。
この人はもともと古物神社の神職の家の生まれで、旧宅もその神社のすぐ隣にあります。

そして、またも愛車です。機動力を得たので名所旧跡巡りが捗ります。
神社の駐車場は未舗装で、特にぬかるんでいたわけではないのですが、後で見てみると泥ハネが凄くて閉口しました(笑)

神社の中に土俵があります。年に何度か地元の若い衆の奉納相撲で賑わうのでしょう。

女山神籠石

みやま市(かつての瀬高町)にある女山神籠石(ぞやまこうごいし)を見に行ってきました。

神籠石とは、古事記や日本書紀に載っていない、でも、現に存在している列石のことです。古代の神域であるとも、山城であるとも言われています。
最近では山城説が有力ですが、この女山、かつては女王山と呼ばれていたそうで、後に女王を憚って女山になったそうです。邪馬台国の神域であったとの説もあり、地元ではもっぱらこの説を採るようです。卑弥呼の里で町おこしというわけです。

麓から遊歩道が整備されています。

こんな感じで落ち葉をざくざく踏みながら登っていくと、

列石があります。
確認されている遺構はかなりの数に上っており、全部見て回るのは大変そうです。私はとりあえず山の頂上を目指すことにしました。


頂上付近には、山内古墳の石室もあります。

眺望はこんな感じです。ええ、一面の田んぼです

例によって、殆ど人の姿は見えず、登って下りるまでにたった一人とすれ違っただけでした。

石塚山古墳

明けましておめでとうございます。

小雪がちらつく中、福岡県苅田町の石塚山古墳に行ってきました。

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この古墳、苅田町役場のすぐ隣にあります。

鳥居が立っていて神社の体裁ですが、三箇日というのに人っ子一人いませんでした。素晴らしい!(笑)

小山のようになっていて登りたい衝動に駆られますが、お墓なので登ってはいけません。

愛車です。去年の暮れに買いました。幸か不幸か自宅から駐車場よりバス停の方が近いのですが、せっかく買いましたので、無理にでも史跡巡りなどに使おうかと思っています。

臼杵の石仏

先週ですが、大分県の臼杵に行ってきました。

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山頭火の句碑。

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国宝の磨崖仏。山の中にあって、たまたま私が行った時だけかもしれませんが、あまり人が多くなく、静かに拝観できました。

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紅葉。

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龍源寺の三重塔。こちらは市街地にあります。
臼杵は、ほとんど歩いて見て回れるような小さな城下町で、石仏だけがちょっと離れた山の中にあります。

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稲葉家下屋敷。

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ごちそう。ちょっと食べてしまってますが(笑)
この写真、湯気が写っていてなかなか美味しそうですね。実際、素朴な味で滋養になりました。左の方の黄色いご飯は、黄飯(おうはん)といってクチナシのエキスで色を付けたもので、臼杵の郷土料理です。

長府博物館

所用で山口県の長府に行ったので、帰りに博物館に寄ってきました。

この階段の上にちらっと見えるのがそれです。なんと土足厳禁で、入り口で靴を脱いで入ります。

展示されていたのは、特別展「薩長盟約と下関」です。
坂本龍馬の「日本をせんたくいたしたく候」の手紙などがありました。あまりにも有名なフレーズですが、その前段は「姦吏を一時に軍(いくさ)して打殺」となっています。
今日、日本は、幕末に劣らず困難な状況にあります。明治維新は決して自然に起きたものではなく、志士たちの激烈なる闘争の末に成ったことを忘れてはなりません。

さて、長府博物館、隣は功山寺というお寺です。仏殿は国宝となっています。


山門。なんとも雰囲気がありますね。

途中には乃木大将を祀る乃木神社、

そして、今回は通り過ぎただけですが長府毛利邸などがありました。

これらが全て、歩いて30分くらいの範囲にあります。非常に見所が多い街です。
それから、博物館の中、入り口付近に巨大な乃木大将の像があったのが印象的でした。今回の展示とは直接関係ないはずですが、恐らくあまりに大きすぎて動かすことができないのでしょう(笑)

愛国者はぜひ訪れてみて下さい。

水巻コスモス

コスモスを見に水巻に行ってきました。

水巻駅は鹿児島本線の博多と小倉のなかほどにあり、私も数限りなく「通過」してきたのですが、ここで下りたのは実は初めてです。

なんとも鄙びた風情があって良いですね。
駅の前に「コスモス祭り」のポスターがあって、10月28日すなわち今日まで開催中とあります。これこれ、これを見に来たんだとポスターの略地図をのぞき込みますが、土地勘もなくよく分かりません。

まぁいいや、と適当に歩き始めると、田んぼの向こうがなにやら赤いのです。

近寄ってみると、一面のコスモス畑です。


しかし、テレビでは「コスモス祭り」と言っていましたが、幟の1つも出ておらず、それどころか人っ子一人いません。どうやら、ここは休耕地にコスモスを植えているだけで、目指す場所とは違うようです。

後で分かったことですが、駅前にあった地図は南が上になっていました(本当)

そういうわけで、踏切を超えて線路の逆側に歩いて行きます。

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なかなか綺麗なところですね。ここ(市役所)で、「コスモス祭り」の場所を再び確認し歩くこと30分、ようやくそれらしきところに着きました。

この河川敷のようです。

敢えて写真には入れていませんが、花嫁さんなども居ました。コスモス園でウエディング、ロマンチックですね。ただ、惜しむらくは少し見頃を過ぎていたようです。もう少し早く来るべきでした。

今日は歩き通しで疲れました。帰りはタクシーに乗ろうと思ったのですが、河原から駅まで歩く間に一台も来ませんでした。恐るべし、田舎。

大分中津

大分県の中津に行ってきました。

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中津城。黒田如水が建てた城です。

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福沢諭吉旧居。隣にはレストランがあり、「諭吉御膳」というのがありました。お値段1300円。諭吉なのに。
何となくお得な感じがしてきますが、要予約とのことで、今回はスルーしました。

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合元寺、通称赤壁寺です。うん、本当に赤いですね。
ご存じの通り黒田如水は豊臣秀吉から此の地に封じられました。地元の豪族達の中には如水に心服していないものも多かったそうです。そんな地元の侍達がこの壁の前で斬り殺されたそうで、そのときの血痕を隠すために赤く塗られたのだとか。

ところで、帰りに中津駅のホームで特急券を買おうと思ったら券売機がありませんでした。改札口を通る前に買っておかなければいけなかったようです。仕方がないので車内で買ったのですが、車内ではスゴカ(九州版スイカ)が使えないんですね。車掌に1万円しかないと言うと、じゃ1万円の切符を出しとくから駅で精算してくれと。うーむ、めんどくさい。

私は旅慣れていないので、こういった細かいミスが多いです。気をつけねば。

門司港

門司港に寄ってきました。

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三井倶楽部。ちょっと屋根が切れましたね(笑)

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これってマンションらしいのですが、展望台があって誰でも登れます。ただ、今回はスルー。

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ちんちん電車。懐かしいですね~。一つ前のバス停に「鉄道記念館」があるのですが、これもスルーしてしまいました。このちんちん電車は記念館ではなくてちょっとした公園みたいなとこに保存されてるヤツです。

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国際友好記念図書館。さっきのマンションのすぐそばにあります。

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曼珠沙華。もう秋ですね。