角島灯台

物好きにも、小雨の降る中、山口県の角島(つのしま)に行ってきました。

角島灯台

有名な角島灯台です。カメラを忘れて行ったので iPhone による撮影です。

角島・東屋

こんな感じの東屋も。晴天だったらどんなに素晴らしいかご想像下さい(笑)

愛車。

なんとかと煙は高いところに行きたがると言いますが、私もなんとかの一人で、灯台に登ってみました。入場料は200円です。

角島灯台・内部

中は螺旋階段になっています。写真は降りるときに撮ったので下向きです。

角島灯台・眺望

眺望。柵はありますが、はっきり言ってかなり怖かったです。高所恐怖症の方は登るのは止めておいた方が賢明です。って、言われなくても登りませんよね(笑)

この島、橋が架かってから観光客が押し寄せるようになったそうで、まあ私もその一人ですが、雨天にも拘わらず、思ったよりも人がたくさん居ました。

ただ、その角島大橋の写真は取り忘れてしまいました。

皿倉山からの夜景

夕方、 皿倉山の近くを通ったので登ってみました。やはりカップルだらけで非常に居づらい場所でした(笑)

皿倉山・夜景

もっとも私も、若い時分はよくここでデートしたものです。夜景がとても綺麗なところです。頂上付近までケーブルカーで行けます。カップルばかりと書きましたが、安心して下さい、不良もいます(笑) そうですね、カップル7割、不良2割、おじさん・おばさんが1割という感じでしょうか。

皿倉山・夜景

皿倉山・夜景

皿倉山・夜景

上の写真は全部、DSC-RX100 の手持ち夜景モードで撮ったものです。シャッターを切るとパシャパシャパシャっと3枚連写して、カメラの中で重ね合わせ処理されます。ただし、これを使えばどんなにいい加減な撮り方をしても綺麗に写るというわけではないらしく、ちょっと油断すると容赦なくブレブレになります。やはり、脇を締めてしっかりとホールドしながらシャッターを切らないといけないようです。

ここでいつぞやのようにカメラを落っことしてしまっては一巻の終わりなので、ストラップに手首を通して撮ったことは言うまでもありません。

 

頂に草笛の音さやかなり

 

雨が降らねば金が降る

人混みが苦手なくせに、山口県下関市の「先帝祭」に行ってきました。

この祭り、以前は安徳幼帝の命日である4月23日に行われていたのですが、いつのころからか5月の連休に変わってしまいました。これも時代の流れですね。

赤間神宮

安徳天皇をお祀りする赤間神宮です。まるで竜宮城のような華やかな建物ですが、幼帝が玉体を海底に沈ませ給うたことを思えばもの悲しくもあります。

さて、祭は、花魁(太夫)が禿などを引き連れ赤間神宮にお参りするという「上臈道中」がメインです。壇ノ浦の戦いの後、生き延びた平家の女官達が此の地に住み着き、花を売り、やがて春をひさぐようになったからと言われます。

赤間神宮・先帝祭

できれば上臈参拝を見たかったのですが、まだ3時間前だというのに神社の境内はあまりにも人が多く、また良い場所で見るためにはお金を払わなくてはいけないというので、断念しました。写真は唯一見ることが出来た行列(太夫ではない)です。

上臈道中・禿

そこで、商店街の方に移動しました。すぐそばの唐戸商店街です。こうやって下関市内を練り歩いて赤間神宮へと向かうのです。手前の禿(かむろ)がかわいいですね。

上臈道中・太夫

そして、「外八文字」を踏む太夫です。

太夫が現れると観衆は大層な熱狂ぶりで、数人の巨大なカメラを抱えたお調子者が、出てはいけないと言われているのに車道に出て、写真を撮っていました。ああはなりたくないですね。

下関南部町郵便局

上臈道中も見られたので帰路につきました。写真のレトロな建物は、なんと日本最古の現存する郵便局なのだそうです。

春帆楼

日清戦争の講和会議が開かれた建物もあります。現在は春帆楼というレストランになっています。

下関・先帝祭

小さな町がこの賑わいです。

昔から「関の先帝、雨が降る。雨が降らねば金が降る」と言われます。
どうやら今日も金が降ったようです。

手向山より海峡を望む

落っことしたカメラは元気です。

今日は以前にも訪れたことのある手向山に行ってきました。前回は夕方で天気もあまりよくありませんでしたが、今回は快晴です。

手向山山頂

左手に少し見えているのが工業地帯です。

頂上付近の広場には前回も記したとおり宮本武蔵の顕彰碑があり、昭和の時代のものですが小次郎の碑もあります。

また、海側にはコンクリート製の展望台があります。雰囲気としては公園の遊具のようなものです。良い大人が登るのは少し恥ずかしい感じでしたが、私はまだまだ少年の心を失っていません(笑)ので、登って撮影しました。

手向山山頂

遙か彼方に関門橋が見えるのがお分かりでしょうか。まだ黄砂の影響で遠くが霞んでいますね。

手向山は関門海峡を一望できるだけに、かつては軍事上の要地とされ、立ち入りが禁止されていました。

手向山探照灯跡

これは探照灯の跡です。敵性語で言えばサーチライトですね(笑)

夜陰に紛れて敵艦が海峡を航行していたら、ここからパッと光を当てて砲撃するわけです。砲台跡もあるとのことですが、今回は見つけられませんでした。

ところで、

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

という菅家の歌がありますが、この手向山は奈良にある山で、こことは違うそうです。ご存じの通り道真公は太宰府に左遷されたので、このへんを通った可能性もあります。ですから素人考えではここでも良い気がするのですが、専門家が違うと言うのは、たぶん、歌が詠まれた時期からしてここではあり得ないのでしょうね。

カメラを落っことす

福津市の宮地嶽神社に行ってきました。

神功皇后が三韓征伐のおりにここから船出されたというめでたい由来があります。

宮地嶽神社

宮地嶽神社・注連縄

この注連縄(しめなわ)は日本一の太さなのだそうです。

宮地嶽神社

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宮地嶽神社・狛犬

写真では今ひとつ大きさが伝えきれませんが、ずいぶんと巨大な狛犬です。

宮地嶽神社参道・料理屋

そして、参道の料理屋で食べたごちそう(一部)。どうせお土産屋さんが片手間にやっている程度だと思っていたのですが、予想に反してなかなか豪華なコースでした。

RX100 を手に入れてから、初めて晴天の日に出掛けました。やはり、以前使っていたニコンP300 とは一線を画す写りですね。

カメラ落下事件

……と喜んだのもつかの間、私としたことが、この買ったばかりのカメラを落っことしてしまいました。背広のポケットに入れたままコートハンガーに掛けていたのを、フローリングの床にカツーンと。

直後、電源を入れてみると無情にも NO CARD の表示が。

間違いなくSDカードは入っているのですが、認識しなくなっていました。そこで、震える手で(笑)電源を切り、カードを抜き差しして再度電源投入すると、NO CARD 表示は解消したものの、「このビューには画像がありません」と表示されてしまいます。

カメラの機能には一応支障がないように見えたので、SDカードのデータは諦めようと思いつつ、最後にもうひとあがきしてみようとフォルダを参照すると、今度はちゃんと中身が見えました。

よく分かりませんが復旧したようです。ポケットに入ったまま落としたので、服がクッションになったのも不幸中の幸いでした。

恐らく、落下の衝撃でSDカードを認識できなくなり、再度認識し直したという感じでしょうか。

落としたことも迂闊なら、たかがカメラが壊れた(かもしれない)くらいで取り乱してしまったのも不覚でした。こういう時は従容として「うむ、仕方がない。形あるものはいつかは壊れる」と言える人間になりたいものです。……無理かな(笑)

和布刈公園

先週ですが、九州の北端「和布刈(めかり)公園」まで足を伸ばしました。

関門橋

関門橋が一望できます。

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中村汀女の句碑。

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山道の途中で本道から分岐して長い階段が伸びていたので、なんだろうと思って登ってみると、上のような石がごろごろしているだけでした。恐らく、旧門司城の遺構ではないかと思います。

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麓には海上保安庁の基地があります。基地内は立ち入り禁止です。この写真は外から金網越しに撮ったものです。

余談ですが、DSC-RX100 という、コンデジとしては割と良いカメラを手に入れたので、出掛ける際は常に携えるようにしています。もっとも、行いが悪いせいか、近頃あまり天気に恵まれず、この日も薄曇りでした。

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基地のそばは「ノーフォーク広場」と呼ばれ、ノーフォーク市と姉妹都市となったためにこの名があるそうです。海岸にそって上の写真のような遊歩道が整備されています。

潮風の薫る、なかなか気分の良い場所ですが、それだけに、広場に停めた車のサビが心配で仕方ありません。帰りに思わず洗車してしまいました。

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石灯籠。

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遊歩道の行き着く先が「和布刈神社」です。元旦の午前三時頃に厳寒の海に入ってわかめを刈る和布刈神事は冬の季語となっています。

白野江植物公園

先週ですが、北九州市の白野江植物公園に行ってきました。

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入り口はこの階段の他、スロープもあるようです。ただ、園内は割と山道なので、車いすのまま見て回るのは無理かもしれません。

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椿のような葉っぱですが、花びらは八重ですね。この花に限らず、名称はメモってこなかったのでよく分かりません。

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この公園、ちょっとした高台にあるので、先週の段階でソメイヨシノはまだ咲いていませんでした。写真はカワヅザクラです。後ろの方にちらっと写っていますが、写真愛好家達が巨大な望遠レンズを付けたカメラを三脚に据えて、パシャパシャパシャ!っと凄い勢いで撮影していました。

肥前名護屋城址

佐賀県の肥前名護屋城址に行ってきました。

言うまでもなく、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して建てられた城です。東松浦半島の突端にあるので、福岡から行く場合ぐるっと回る感じで、結構距離がありました。私が好む名所旧跡はどういうわけか世間ではあまり人気がないらしく、今回も前原有料を下りてからは典型的な田舎道で、車も少なく、また人っ子一人いないのかな、と思いきや、意外にも、現地に着くと駐車場が殆ど埋まっているほどの人出でした。

とは言え、なにしろ広大な城址なので、写真でもお分かりの通り結局人影はまばらなのですが。

本丸址に立っている碑です。ちょっと逆光気味になってしまいました。

すぐそばには青木月斗の句碑もあります。

太閤が睨んだという海。

現地は呼子という港のすぐそばで、できれば名物のイカを食べたかったのですが、料理屋の方は城址と違って本当に人が多く、幾つかの店を回ってみましたがどこも外にまで人が溢れていました。余程早い時間に行くか、あるいは予約しておかないと無理みたいです。結局イカは食べられませんでした。ぐぬぬ。

勝山御殿跡

最近物見遊山ばかりしています。

以前、山口県の長府のことを書きましたが、長州には他にも見所がたくさんあります。

勝山御殿跡もその一つです。

長府藩の藩邸は元は海沿いにあったそうなのですが、下関戦争のころ、「砲撃されて危ない」ということで山の手に移されたのがここです。

比較的新しい時代のものですから、保存状態が良く、現在は公園として整備されています。

この石垣の立派さから言って、完全に「勝山城」と呼ぶべき規模ですが、幕府に遠慮して「御殿」と呼んだのでしょう。実際は、どこが二の丸やら三の丸やらさっぱり分からなくなるほどの広さです。

 

春立つや石垣高き山の城

それにしても、「勝山」とはめでたい名ですね。

千光院の大蘇鉄

樹齢400年を超えるという蘇鉄を見に行ってきました。

昔、島原の乱が起きたときのことです。鎮定に向かう福岡藩士が岡湊神社というところで戦勝を祈願し、いくさが終わって帰藩する際、島原城内の蘇鉄を持ち帰り、岡湊神社の境内にあった千光院に植えたのだそうです。

後ろにチラッと写っている瓦屋根からご想像できるかと思いますが、この蘇鉄、現在は個人の住宅の敷地内にあり、入っていくのはちょっと勇気が必要です。
ちょうど私が行った時も、この家の奥さんが洗濯物を干すなどしていて、入って良いものか一瞬悩みましたが、
「こんにちは」
と声をかけると
「あー、どうぞ見ていって下さい」
と言ってくれました。

真冬なのに、夏の風情ですね。何本もあるように見えますが、根っこは一本です。実に見事なもので、日本三大蘇鉄の一つに数えられています。

私としたことがデジカメを持参するのを忘れてしまったので、iPhone5 による撮影です。とはいえ、晴天だったからか、なかなか良く写っています。

蘇鉄とは関係ないのですが、途中の道で良いことが書いてあったので写真を撮ってきました。昔はよくこの手の看板を見かけたものですが、最近あまり見ませんね。