老武士の「おもてなし」

さほど有名ではない事実を誰でも知っているかのように扱ってしまうのは私の悪い癖です。先日、大興善寺を建立したのは能の「鉢木」で有名な佐野源左衛門、と書きましたが、多くの方が「鉢木(はちのき)」も佐野源左衛門もご存じないでしょう。

鉢木のあらすじは次のようなものです。

ある雪の夜、片田舎で貧しい暮らしをしている老武士、佐野源左衛門のところに旅の僧が訪れ、一宿一飯を求めます。

源左衛門は薪すらも事欠いていたのですが、大切な鉢植えの木を火にくべて僧をもてなします。

そして、このように貧乏をしてはいるが、一旦緩急あらば鎌倉に馳せ参じるつもりだと語ります。

その後、実際に事が起こり、源左衛門が鎌倉に駆けつけると、何とあの時の僧は執権北条時頼だったのです。

時頼は言葉通り馳せ参じた源左衛門に恩賞として広大な領地を与えたのでした。

この話はあくまで伝説であって、史実とは異なります。常識で考えても執権は諸国を行脚して回るほど暇ではないでしょう。

しかし、鉢木は我々に二つのことを教えてくれます。

一つ。真の「もてなし」には鉢木の精神が必要、ということ。「おもてなし」が一時流行語のようになっていましたが、観光収入を当て込んだ上滑りな「おもてなし」には鉢木のような暖かみがありません。

観光収入を得るなと言っているのではありません。大いに得て結構。ただ、例えば高級ホテルがいかに快適であったとしても人は容易には感動しません。それだけのお金を払っているわけですから。一方、友達がタダで泊めてくれたら感動します。そういうものです。

もう一つ。こちらの方がより重要ですが、言ったことを守るというごく単純な、しかし、忘れられがちな徳目です。

いざ鎌倉となったとき、父が危篤だからとか子供が病気だからと言って結局馳せ参じない人がよくいます。それどころか、親や子供をほったらかして戦場に赴くのは人としていかがなものかなどと、まるで馳せ参じなかった自分が正しいかのような理屈をこねる人さえいます。

もちろん、いざ鎌倉より家族を大切にという生き方もあるでしょう。それなら「馳せ参じる所存」などと言わなければ良いのです。言ったからには守らねばなりません。

武士に二言はないのです。

大興善寺に詣でながら、そのようなことを考えました。

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