皆さんは、流言蜚語の「蜚」とはどういう意味かご存じでしょうか。手元の漢和辞典によると……
蜚
《音読み》
ヒ
《訓読み》
とぶ
《意味》
- {名}虫の名。羽があってとび、台所などにすんで、悪臭を発する。あぶらむし。ごきぶり。
- {動}とぶ。空をとぶ。〈同義語〉→飛。「蜚鳥ヒチョウ(=飛鳥)」「三年不蜚、蜚将沖天=三年蜚バズ、蜚ベバマサニ天ニ沖セントス」〔→史記〕
なんとゴキブリのことなんですね。
現在では「流言飛語」のように「飛」の字を当てるのが一般的ですが、「蜚」の方がでたらめな噂がカサコソとゴキブリのように広がるさまが思い浮かべられて、不快なニュアンスが良く伝わる気がします。
もっとも、別の辞書(広辞苑第6版)によれば「蜚」は「バッタ・イナゴ」の意味もあるそうで、流言蜚語はむしろイナゴの大発生をイメージして作られた熟語かもしれません。
どっちにしろ、背筋にぞわっとくる言葉ですね。
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ついでに、「デマ」とか「風説」といった、似た言葉についても考えてみました。
信憑性というのは真実かそうでないかという意味ではなく、本当っぽいかどうかという意味です。「っぽさ」に力点があります。
「風聞」は風の噂に伝え聞いたという意味で、悪意は感じられません。「風評」は風評被害という言い方に代表されるように、ややネガティブな印象です。
流言蜚語も風評に近いですが、誰かが故意に噂を流しているニュアンスです。風説もそうですね。
デマまでいくと、完全に悪意があります。
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我々はともすると、「昔の人は噂に左右されたかもしれないが、現代人は情報を適切に判断できる」とうぬぼれがちです。しかし、本当にそうでしょうか。
ITの進歩によって、却ってデマに対する脆弱性は増しているようにも見えます。ちょっとググって出てきたことを鵜呑みにする人があまりに多い。ですが、実はGoogleも案外いい加減なものです。
情報の洪水に翻弄されることなく、もう少し腰を据えて世の中を眺めなくてはと、自戒を込めて思います。