「最近の若い者は」と嘆いてみせると、たいてい「その台詞が出るのは歳を取った証拠」、「ピラミッドの内部にも同じことが書かれている」といった反応が返ってきます。
なるほど、年寄りが若者の言動に馴染みがたいものを感じるのは古今東西同じということなのでしょう。
しかし、「だから、嘆いてみても仕方が無い」という結論に至るのは論理的にも正しくないし、社会を良くするわけでもありません。
むしろ、最近の年寄りの「物わかりの良さ」が却って若者を軟弱にしているように思えてなりません。冒頭に書いたように「ピラミッドの内部にも……」などという台詞が出ること自体、「物わかりの良い大人」に見られたいという下心がある証拠です。
年寄りはもっともっと若者を押さえつけるべきです。そうすればこそ、若者はそれをはねのける強さを持つはずです。
そういう意味では、ニワトリが先か卵が先かで言えば、ニワトリが先です。つまりダメなのは最近の年寄りの方だと言えます。
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ところで、私の身の回りではダメどころか感心な若者が多く、「俺があのくらいの歳のころはもっとフラフラしてたけど、最近の子はずいぶんしっかりしてるな」と思うこともしばしばです。
まあ、これについては若者がしっかりしているのではなくて、しっかりした若者が世の中に出てくるというだけでしょうね。
つまり、ダメな若者はニートかなにかになって家で母親に悪態をついているのでしょう。しかし、社会からは彼らの姿は見えません。なので、目に映るのは感心な若者ばかりになるという寸法です。
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例えば幕末。旧体制は簡単に新しい世代に政権を明け渡したでしょうか。否、明治維新は激越なる闘争の末に成ったのです。当時の若者は、自分たちが生まれる前から存在していた鉄の檻、幕藩体制を打ち砕いて新しい世の中を作ったのです。
今日、我が国は幕末に劣らず停滞しています。
若者には、下手に空気を読んだり、塩分を控えたりせず、もっと血の気を多くして社会を変革していって欲しいものです。