人生は良き戦いであり、肉体はその基礎である

ここ数日、せっかくの連休だというのに好きな古墳巡りもせず、家の中でぐずぐずしていました。というのも、尾籠な話で恐縮ですが、便秘気味だったのです。

便秘だからといって痛くも痒くも無いわけで、別段活動を鈍らせる理由は無いはずですが、人間、少しの体調の変化が精神にまで影響を与えるという良い例ですね。

健康を害すと精神までも弱る

Star of lifeかのマックス・ウェーバーは、人生を「良き戦い(Guten Kampf)」と捉えていたと言います。彼にとっての「戦い」は学問でした。しかし、34歳のころ、神経を病み、臥せりがちとなります。「戦い」の基礎となる肉体の不調は、彼ほどの強靱な精神の持ち主をしてさえ数年の静養を余儀なくさせたのでした。

まして、私ごときの精神力ではわずかな肉体の変調にも影響を受けてしまいます。

体調が万全の時には「うぉぉぉ、俺はなんでもできるぜ!」と意欲に満ちていたものが、ちょっと調子を崩すと「ダメだ、なんにもできない……」となってしまうんですね。

って、便秘くらいでちょっと極端でしょうか。

厄介なことに、「健康」も水や空気や安全と同じく、失って初めて大切さに気づくんですよね。

とりあえず、ヨーグルトを買ってこようと思います。

データは多すぎ、人生は短すぎる

十数年前、インターネットが普及し始めた頃の話です。テレビで、捕まった性犯罪者が数万枚のわいせつ画像を所持していたと報道しているのを聞いて、父が「とんだ変態も居たものだな」と呆れかえっていました。実家にいて一緒に見ていた私は「別に変態というほどでも……」と言いかけて、すぐにやめたのを覚えています。

と言うのも、私も何万とはいかないまでもPCの中にかなりの数のエロ画像を持っていたからです。若かったですし。

ハードディスクたぶん、物理的な写真、エロ本のたぐいなら何千、何万枚も集めるバカはまずいないはずです(たまにいるけど)。隠す場所がないですからね。しかし、PCのハードディスクの中ではどれだけ集めても容積は変わらないので、スペースの欠如は歯止めにはなりません。仮に数台の外付けハードディスクをつないでも、紙に比べれば占領する場所は僅かです。

それどころか、オンラインストレージを使えば必要なスペースはまさしくゼロです。しかも、あなたの家が火事になっても大切なエロ画像は守られます(笑)

ただ、3歳か4歳だかの自分の子供の写真をオンラインストレージに入れておいたら、児童ポルノと見なされてアカウントを消されてしまったという話もあります。このような「企業による検閲」の問題はまた別の機会に語ろうかと思います。

データストレージのコスト

テクノロジーの進歩によってデータストレージのコストが恐るべき速さで低廉化しています。行きがかり上エロ画像で話を進めますが、画像なんて今となっては軽いコンテンツで、圧縮されていれば通常数百キロバイト、多くとも1メガバイト程度です。

残りの人生を長めに見積もってあと60年生きるとしても、365 * 60 = 21,900 (日)

頑張って毎日100枚、60年間欠かさず見ても2.2テラバイト。外付けハードディスク一台に入ります。値段にして一万円以下です。

ましてや、文字データともなるとさらに軽いので、膨大な量を保存できます。あなたのPCのハードディスク容量を仮に1テラバイトとすると、約5,000億文字、岩波新書にして7億9,000万ページ分のデータが入ります。

これを先ほどの人生の残り日数で割ってみると、790,000,000 / 21,900 = 36,073.059(ページ)

一日約36,000ページ。新書100冊分以上読まなくてはなりません。60年間、毎日。つまり、不可能ということです。

データはいくらでも保存できるが人生は限られている

ありきたりな記事だと、ここで「情報の洪水に飲み込まれぬよう、取捨選択していかなければならない」といった結論で終わるところですが、私は必ずしもそうは思いません。

情報の洪水に翻弄されるのも悪くはないではありませんか。データは、ため込めるだけため込めば良いのです。どうせコストは下がり続けているのだから。

それに、コンテンツの飽和は今に始まったことではありません。ちょっとした都市の図書館なら蔵書が100万冊はあります。21,900日で割ると45冊強。テクノロジーの進歩以前に、全部の本や映画や音楽を読み尽くし、見尽くし、聞き尽くすのはどだい無理なのです。

だから、玉も石もまぜこぜにため込んで、目についたものだけを拾い上げるしかありません。

むしろ、必要なのは残りの人生は思ったより短いという認識の方です。

ダイエットに必要なのは科学? それとも、精神主義?

物事を成し遂げるには、科学的なアプローチと精神主義的なアプローチがあります。

Vegetableダイエットも然り。摂取カロリーが常に消費カロリーを下回るように厳密に食事及び運動を管理すれば必ず痩せます。これすなわち科学的アプローチです。

一方、精神主義的アプローチでは、ドカ喰いをしないとか、夜中には絶対に食べない、といった「こころがけ」が説かれます。

恐らく二つは車の両輪で、どちらが欠けてもダイエットは上手くいかないのだと思います。中には一輪車を乗りこなす人もいますけど。

精神主義も大事

私はここ1年で10kgほど痩せました。去年の今ごろは73kg(172cm)で、今は63kgです。右上のプロフィール写真はちょうど中間の67kgくらいです。世間では「精神主義は無意味」という風潮ですが、私自身に関しては、精神主義の方が役に立ちました

いくら細かくカロリー計算をしても、夜中に突然ラーメンが食べたくなってしまい、且つその誘惑に勝てないようでは意味がないからです。逆に、お菓子のダラ喰いや夜中のむちゃ喰いをなくせば、三度の食事は普通に食べても十分痩せます。

そもそも人が太りすぎるのは、自分に甘いその精神に問題があるのです。そこをなんとかしないと、いくらカロリー計算を厳密にやっても

「あー、昨日は632kcal、今日は556kcalオーバーしちゃったな、てへ」

で終わってしまいます。

以下、ダイエットに役立つこころがけです。

1. ちょっと食べると余計に腹が減る罠に勝つ

ちょっと食べると余計に腹が減ることってありますよね。食べると血糖値が上がり、インシュリンが分泌されて今度は下がりだします。この下がるときに空腹を感じるのです。

しばらく我慢していれば必ず落ち着きます。もっと良いのは軽い運動をして血液中の糖を消費してしまうことです。

2. 夜は食べない

カロリー管理至上主義者に言わせると、食べる時間帯は関係なく、摂取カロリーと消費カロリーの差だけが問題となるとのことです。しかし、ほとんどの人間は昼間活動して夜寝るので、それらの人にとって夜中に食べることは不必要なエネルギー摂取と同義です。

3. 腹が減ってからがダイエット

ここからはさらに精神主義的になります。夜中に食べない修行(?)を続けていると、時に挫けそうになりますが、「腹が減ってからがダイエット……、腹が減ってからがダイエット……」とマントラ(?)を唱えて耐えます。

4. 自分のことをサムライ、あるいはオードリー・ヘップバーンだと思う

私はサムライに憧れているのでサムライにしましたが、精悍なイメージなら何でもOKです。サムライが夜中にポテチをむちゃ喰いするでしょうか? しませんよね。サムライが唐揚げを貪りながらビールを飲むでしょうか? 飲みませんよね。

女性の場合はオードリー・ヘップバーンが良いと思いますが、可憐なイメージなら誰でもOKです。オードリーが夜中に肉まんをむちゃ喰いするでしょうか? しませんよね。オードリーがスイーツのバイキングに行くでしょうか? 行きませんよね。

「かくあるべし」と思い定めてそのようになることが人生の醍醐味です。侍やオードリーになりきりましょう。

「なりきり」は、なんだかバカみたいですが思った以上に効果があります。思い込みの激しい人には特にお薦めです。

DSC-RX100 で夜景を撮る

年末年始は史跡めぐりを堪能しましたが、そろそろホリデーシーズンも終わりです。仕方がないので、近所で夜景を撮ってみました。3枚とも手持ちでマニュアル露出です。

モールの観覧車
F1.8, 1/8秒, ISO-125, AWB

よくモールにこういった観覧車があるけど、どういう人たちが乗るんでしょうね。まあ、カップルなんでしょうけど、ラブラブにも程がありますよね(笑)

なお、一部点灯していないのは明滅したり色が変わったりしていたためです。

JR小倉駅-イルミネーション
F1.8, 1/15秒, ISO-125, AWB

JR小倉駅前。いわゆるペデストリアンデッキです。「歩きタバコは条例により禁止されています……」等の放送の声がどこかで聞いたことがあると思って調べたら人気声優の池田昌子さんでした。

鴎外橋-イルミネーション
F2.2, 1/8秒, ISO-125, AWB

鴎外橋。歩行者専用の橋です。近くに森鴎外小倉時代の旧宅があるためにこの名があります。

RX100 には「手持ち夜景モード」がありますが、思ったより地味に写ります。今回のようにマニュアルで多めに露光した方が夜景らしくなるようです。多少の手ブレは味です(笑)

初日の出、車離れの若者たちへ

明けましておめでとうございます。

初日の出

今朝は、周防灘よりのぼる初日の出を見に行ってきました。

私は長いこと寝正月専門で、わざわざ見に行ったのは何年ぶりか思い出せないほどです。考えてみると今後の人生であと何回初日の出を見ることでしょう。若いうちはいつでも見られると思いがちですが、その年の正月に天候や自分の体調が整うとは限りませんし、人間、来年の今ごろ生きているかどうかも分かりません。

初日の出

ですから、初日の出に限らず、見られるうちにぜひ見ておくべきだし、やりたいことはやっておくべきです。

不覚にもワクワクしてしまった

こういう心境になったのも、去年バイクを新車で買ったからかも知れません。年甲斐もなくワクワクしてしまったのです。このワクワクが、上に書いたように今後の人生であと何回あるかと考えると、十分お金に見合う価値があります。

バイク

それだけではありません。人とのふれあいの媒介にもなるのです。納車の日に道路工事のおじさんから「立派な単車ですなー」と誉められた(笑)のを皮切りに、このバイクのおかげでいろんな人に声をかけて貰いました。

中津城にて

特に印象的だったのはコンビニの駐車場で話しかけてきたおじいさんで、彼は右チェンジのメグロに乗っていたといいます。昔のバイクはシフトペダルが右にあったと聞いてはいましたが、実際乗っていた人に話を聞くのは初めてでした。

功山寺にて

ラーメン屋からは「バイク乗りサービス(?)」でチャーシューを余計に入れてもらえたし、たこ焼き屋には「かっこいいバイクだね、いやー、かっこいい。集合管だね、あれ昔は車検通らなかったんだよね」と、やたらと食いつかれました。

やはり、以前乗っていた人は思わず話しかけてしまうようです。

宗像大社にて

若者こそ車やバイクを買おう

世間では、「若者の車離れ」が進んでいると言われています。確かに、都会では車は必要ないかもしれません。公共交通機関を利用するのがエコだというのも分かります。実際私も何年か車無しで過ごしていましたが、特に不便はありませんでした。

しかし、若い人は騙されたと思って車やバイクを買ってみてください。

億劫? めんどくさい? ならば尚のこと買うべきです。他にやりたいことがあって、免許を取りに行ったり、買うお金を貯めたりできないという人には無理には勧めませんが、「何となく」車を持ってないだけならまずは一台所有してみましょう。少なくとも今よりは行動的になることは請け合います。

たとえ僅かでも、あなたの世界が広がるならば買う価値はあるはずです。

部屋を出て、ここではないどこかへ行きましょう!

名児山

大汝少名彦名(おほなむちすくなひこな)の神こそは 名つけ始(そ)めけめ 名のみを名児(なご)山と負ひて わが恋の千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰めなくに

万葉集に収められた大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌です。この歌に詠まれた名児山が福岡県津屋崎町(現在は合併して福津市)にあると、ものの本で知ってから一度訪れてみたいと思っていました。

今日、ようやく行く機会を得たのですが、いざ行ってみるとどれが名児山なのかよく分かりません。

奴山公民館

上の奴山(ぬやま)公民館の近くと聞いたのですが、それらしい山は幾つかあり、特定できません。現在の地名とは異なるので、Google Map も頼りになりません。

名児山

というわけで、たぶんこの山だと思うのですが、違ったらごめんなさい(笑)

ただ、「あんずの里」という農林漁業体験実習館があり、その敷地内に万葉歌碑があるとのことで、山の特定は諦めてそちらに向かいました。

万葉歌碑

ありました。野菜などの直販所からちょっと石段を登ったところです。比較的新しいものに見えたので、最近になって市の教育委員会が整備したのでしょう。

歌を通釈してみます。

大国主の神と少名彦名の神が名付けたのだろうが、名児山(和む山)とは名ばかりで、わたしの恋に悩む心は千分の一も慰められない。

といった意味になろうかと思います。「名児山というくらいだから心和む山であるべき」という発想も面白いですが、一番驚かされるのは「千重の一重も」という表現です。千分の一という極めて小さな数を観念している点、科学史的にも興味深く、感情表現に数値を用いているのは今以て斬新です。

大伴坂上郎女は大伴旅人の異母妹で、家持の叔母にあたる人です。額田王と並んで、才色兼備の万葉歌人として知られています。この歌も、才女として歴史に名を刻んだ彼女の面目躍如たる出来映えと言えましょう。

あなたが太る理由

目の毒なサイトがあります。ご安心下さい、エロくはないです(笑)

その名も This is why you’re fat.  「これがあなたが太る理由」というサイトです。

thisiswhyyourefat

この調子で、超高カロリー食の写真が延々と続きます。

若干日本人の好みと違うのであまり惹かれない料理もありますが、やはり大部分は凄く美味しそうです。高カロリーのものを美味しく感じるのは、原始時代、餓死を避け、生き残る確率を上げるために少しでもカロリーが高いものを欲していた人類のDNAにすり込まれた習性です。

実際、太るのが悪いことだと思われるようになったのは比較的最近のことで、多くの文化で、太っているのは良いことでした。

英語には “Laugh and grow fat.” という諺があります。直訳すると笑って脂肪を増やせ。「笑う門には福来たる」と意訳されることもあります。脂肪は「福」なのです。

とはいえ、現在においてはあまり太りたくないのも事実。やはり多少の節制は必要でしょう。

ただ、ごくたまに、上記のサイトにあるような強烈な料理を食べるのはそう悪いことではないかもしれません。自分で高カロリーを摂取してると分かっているわけだし、さすがに毎日これを続ける人はいないでしょう。食にメリハリがつきます。

一番良くないのは、スナック菓子などをダラダラと習慣的に食べ続けることですね。毎日ちょっとずつカロリーオーバーしていると、長い間に積もり積もって、意外にずっしりくるものです。

それよりは、週に1回くらいは思う存分食べて、残りの日は腹八分目、間食もしない、というのが良いのではないでしょうか。

もっとKYであって良い

朝日新聞の、(ソーシャルA)「若者恐れる痛いキャラ」原田曜平氏という記事を興味深く読みました。

screenshot

まずこの見出し、「若者恐れる」が「痛いキャラ」に係っているようにも見えます。最初は、「近頃の若いもんは分からん」と嘆きつつ、心中彼らを恐れる痛いおっさんのことかと思いました。そう、私のような(笑)

そうではなく、今の若者は「痛いキャラ」と思われることを恐れている、という話ですね。

これについては言いたいことがあります。

中心我と周辺我

自我、つまりエゴには二種類あります。中心我と周辺我です。中心我は「わがまま」、周辺我は「見栄」のたぐいと考えると分かりやすいでしょう。

例えば、昔、自動車のエアコンが普及し始めた頃、エアコンもないポンコツ車に乗っていると思われたくなくて、真夏に窓を閉め切って走る人がいました。これ即ち周辺我が強すぎるのです。逆に、駐車場で白線を跨いで駐めるような人は中心我が強すぎるのです。

健全なる精神を保つには両者のバランスが重要です。

自らを省みて、どっちの我が強いのかを知っておく必要があります。大抵の日本人は周辺我の方が勝っているので、もうちょっとわがままになってみると均衡が取れるはずです。

空気など読むな

空気を読めない、KY という言葉が流行りました。それに対するアンチテーゼとして「若者よ、空気など読むな」という声も聞かれます。

私は後者に与する者ですが、察しの文化そのものを否定するわけではありません。電車の中で目の前に立った人がしんどそうな顔をしている、だから席を譲ってあげるというのは大変結構です。問題は、その人のことを案じて譲ったのか、周りの目を気にして譲ったのか、ということです。

ついでに言うと、席を譲るなどということは「ええかっこしい」であって、痛い、という倒錯した観念を持つ人もいるでしょう。しかし、それでも論点は変わりません。周りの目など気にせず、譲りたければ譲れば良いし、嫌なら譲らなくて良いのです。要は自分がどうしたいかです。他人がどう思うかではありません。

キョロ充の方がよっぽど痛い

友達が多く、異性にもてて、手帳(最近ではスマホか)はスケジュールでいっぱい、そういうタイプを、近頃では、「リアル」が充実しているという意味で「リア充」と呼ぶことは、若者には説明するまでもないでしょう。

そして、リア充の一員と見られたいがために、無理をして外見だけ取り繕う人のことを「キョロ充」というそうです。学食でひとりぼっちなのを人に見られてはリア充じゃないとバレてしまうので、キョロキョロと知り合いを探すからキョロ充。

あるいは常に人の目を気にしてキョロキョロしているから、とも言われます。いずれにしろ、あまりかっこ良いものではないですよね。

「人と違う」を目指そう

人と違う、ユニークというのは欧米では褒め言葉です。「欧米では」と言うと、すかさず「ここは日本だ」と反論する人がいますが、欧米であれどこであれ、良いことは取り入れてきたからこそ今日の日本の発展があるのです。

若者は、人と違うことを恐れるのではなく、むしろ人と同じであることを恐れるべきです。そして、もっとわがままであって良いと思います。

大事なのは中心我と周辺我のバランスです。

ただ、若者はもっと KY であって良いと思うのですが、朝日新聞の KY だけはいただけませんね(笑) ―― いや、笑い事じゃないですね。

満月

ようやく空気が澄んできたようで、月が綺麗だったので写真に撮ってみました。DSC-RX100の実力や如何に?

満月

マニュアル露出、F9 、1/60秒、ISO125 です。もちろん、最大限にトリミングしてあります。もう少しシャープに撮れたら良いのですが。

ちなみに本日(5月25日)の月齢は15、満月ですが、この写真を撮った時点ではまだ24日の深夜なので完全な満月ではないようです。

犬が死去した?

東京タワーのタロ・ジロ像が撤去されるかもしれないそうです。

そのこと自体については特別言いたいこともないのですが、上記のリンクにある記事中の、ある言葉が気になりました。

犬たちのうち、奇跡的に生還したタロ・ジロの2頭を除く13頭は南極の地で死去したと見られており、その慰霊の意味も込めての建造だ。

 

そう、「死去した」です。

手元の広辞苑第六版には

し‐きょ【死去】
人が死ぬこと。死亡。

とあります。新明解国語辞典第五版では

【死去】
―する  「人がなくなる」意の漢語的表現。

となっています。いずれにしろ、人に対して使う言葉です。「犬が死去した」は変です。

恐らく、記者は「死去した」を「死んだ」と言い換え可能な語として認識しているのでしょう。分からないでもありません。しかし、仮にも文筆業に携わるなら、もう少し言葉に対する鋭敏な感覚を持って欲しいものです。