彦島と尊皇攘夷

あのとき高杉が租借問題をうやむやにしていなければ、彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていただろう

伊藤博文

今日も関門トンネルをくぐって本州へ、と言ってもすぐ近くの彦島です。

ただ、近いのは近いのですが、南端の「彦島南公園」に行くには半島をぐるっと回る必要があり、関門トンネルの出口から 15km ほどの道のりです。

「彦島道路(県道252号線)」は、響灘を眺めながら走ることができ、ツーリング向きでした。

彦島南公園

彦島南公園は梅の名所です。もっとも、今年は寒いためかまだほころんでさえいません。

彦島南公園

遠くに関門橋が見えます。

彦島老の山公園

こちらは別の公園、彦島老の山公園の麓にある風車っぽい建物です。実際何の建物なのかはよく知りません。まさかこれで粉を挽いているわけでもないでしょうし(笑)

幕末、馬関(ばかん:下関の異称)戦争の講和の折、イギリスから彦島を租借したいとの申し出があったと言われています。高杉晋作が「うやむや」にしたから良かったものの、危なく日本の香港になるところでした(冒頭の伊藤博文の述懐)。

今日の日本があるのは、勤皇の志士たちの高い見識と行動力の賜物であることを忘れてはなりません。

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