問題は総理の人格ではない

安保関連法制に抗議する女子学生のスピーチに対して、武蔵大の北村紗衣氏が「保守的・伝統的な性役割に基づいた家族モデルへのノスタルジーだと思った」と批判したことが物議を醸しています。

元のスピーチの批判された部分は以下の通り。

「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せを、ベビーカーに乗っている赤ちゃんが、私を見て、まだ歯の生え ない口を開いて笑ってくれる幸せを、仕送りしてくれたお祖母ちゃんに『ありがとう』と電話して伝える幸せを、好きな人に教えてもらった音楽を帰りの電車の 中で聞く幸せを、私はこういう小さな幸せを『平和』と呼ぶし、こういう毎日を守りたいんです。」

私は全体としてはこのスピーチを支持しませんが、批判は的外れであると考えます。なるほど、「ご飯を作って待っているお母さん」というフレーズからは保守的・伝統的な家族像が思い浮かびますが、他の部分を読めば、この人にとっての平和のイメージの一例に過ぎないことが分かります。

togetter のコメント欄にそのように書いたところ、九州大学法学部准教授の大賀哲氏からメンションを貰いました。

保守的家族観の是非についても私は別の考えを持っていますが、当の女子学生はそれを是とするわけではないでしょう。彼女に対して、自己の発言がどういう人達にどのように利用されるか見通した上で喋れと求めるのは、不可能を強いるのに近いと言えます。

最後に、なぜスピーチを全体としては支持しないか。

それは、問題を安倍総理の人格に帰しているからです。政治的発言にはしばしば見られることですが、「こいつは傲慢で卑劣で血に飢えたファシストである。だから……」という論理で語ってしまっています。

大切なのは安倍総理の人格ではなく、法律の中身であるはずです。具体的にどの法律の何条がどのような理由で危険なのか。我々の安全を増すのか減じるのか。そこを論じるべきです。

総理の人間性は重要ではありません。

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