新聞などで若者の右傾化を危惧する記事をよく見かけます。本当なのでしょうか。
まずもって分かりにくいのが、右翼、左翼というカビの生えた言葉です。この言葉は時代によって国によって、また人によって違った使われ方をし、時に全く別の思想が同じ右翼、左翼という括りで語られたりします。
そもそもはフランス革命期の国民議会で王党派や貴族派が議長から見て右の席を、共和派が左の席を占めたことから来ているのはご存じの通りですが、今日の日本の右翼 がフランスの王政復古を望んでいるわけではもちろんないし、左翼もロベスピエールらの恐怖政治を見習いたいわけではないはずです。
ですから、若者が「右傾化(あるいは左傾化)」している、ではなく「保守的(あるいは革新的)」になっていると言った方がより正確と言えるでしょう。
しかし、この分類法も完璧ではありません。
先日話題にした安保関連法制に対していわゆる左翼の人々の多くは反対を表明していますが、その典型的な主張は「現在の個別的自衛権で十分」というもので、逆に言えば自衛のための戦力自体は認めるという人が殆どです。
つまり、彼らは「現状維持」を望んでいます。これは通常の言葉の意味からすれば保守主義と呼ばれる思想です。
一方、いわゆる右翼は解釈によるにしろ憲法を変えようとしており、見方によっては革新思想とも言えます。
右翼を保守的というよりは体制支持的、左翼を革新というよりは体制批判的とする考え方もあります。しかし、日本の「体制」は国民皆保険、国民皆年金といった極めて社会主義的な政策を行っており、中国人の間では「日本人に近寄ると社会主義がうつる」というジョークさえあるほどです。
このように右翼、左翼、あるいは保守、革新は互いに入り組んでいます。
若者に話を戻すと、彼らは自分が社会の歯車として組み込まれることを半ば諦観していますが、しかし、「ブラック企業」が流行語となったことからも分かるように、搾取されることには強い拒否感を示します。資本家を敵視し、労働者に正当な対価を支払うよう強く求めるその発想はむしろ左翼的です。
思うに、このような傾向が現れた原因の一つは教育にあります。
公立であろうと私立であろうと教師は賃金労働者です。彼らは無意識のうちに「決まった給料で暮らすのが正しい生き方」というメッセージを発しており、それが生徒のサラリーマン志向に繋がっています。
さらに困ったことに、彼らは同時に「金儲けは汚いこと」というメッセージも発しています。なぜならば、彼らの中では、決まった給料で満足せず少しでも多く儲けようとすることは卑しいことだからです。
その実態は、江戸時代以来の士農を尊び工商を卑しむ朱子学、マルクス由来の反資本主義、そして金持ちに対するルサンチマンがない交ぜになった「反金儲け思想」です。
私を含めて現在日本の人口の殆どを占める人々が受けてきた戦後教育は、理想としては思想的に中立を目指してきました。それ自体は良いことですが、代わりに見えにくい形での偏見を植え付けられており、その一つが反金儲け思想というわけです。
実際のところ汚い手段で金を儲ける人はたくさんいます。しかし、ルールを守る限り、金儲け自体は何も悪くないはずです。それどころか、個人の尊厳に最高の価値を置く現代の民主主義では、利潤の追求は欠くべからざる人権なのです。
労働に対して正当な対価を求めるのは結構なことです。しかし、資本家=金の亡者=悪というステロタイプは間違っています。天然資源に乏しい我が国が、今後取り得る有力な選択肢の一つが金融立国です。「金儲けは卑しい」などという時代遅れで差別的な思想は早く克服しなければなりません。