藤沢周平の「一茶」には冒頭、十五歳になる弥太郎(後の一茶)が江戸に奉公に出されるくだりがあります。弥太郎と継母の折り合いが悪く、父親は後妻からやいのやいの言われて仕方なく弥太郎を家から出したのでした。
追い出すような形になってしまった負い目から、父親はずっと弥太郎のことを気にかけていたのですが、弥太郎は奉公先をすぐにやめてしまい、人を通じて新しい奉公先の米屋に聞いてみると、そこもやめてどこへ行ったかは知らないというのです。
つまり行方知れずです。なにしろ天明、寛政の時代です。消息を知るには江戸に出稼ぎに行く人などに訪ねてもらうように頼むしかありません。一度音信不通になれば、あとはどこでなにをしているやら分からずじまいだったことでしょう。もっとも、一茶はその後帰郷して父親とも再会するのでそこは救いですが。
昔のことだから、と思いがちですが現代でも大して変わりません。
確かに、今は郵便制度が整っているだけでなく、Eメール、SNS など、これでもかというほど人の消息を知る方法は充実しています。
しかし、ふとした拍子に SNS のアカウントが消えていて、メールも不通、住所も電話番号も知らない、あるいは変わっているとなるともうお手上げです。
実際そういうケースに遭遇したことがありますが、生きているのか死んでいるのかも分かりませんでした。まあ、消したくらいだから生きているんでしょうけどね。
SNS による人と人との繋がりは、我々が思っているより儚いもののようです。