ここをご覧になっている方はご存じかと思いますが、私は古墳や神社仏閣を見て回るのが趣味です。それも、立派な資料館が建っていたり、団体旅行用のバスが何台も停まっているような有名な場所ではなく、地元の人達がひっそりと守っているような小さなところが好みです。
そんな私が近頃憤慨しているのが「パワースポット」とかいう言葉です。
猫も杓子もパワースポット。自分が訪れたことのある場所がネット等でパワースポットとして紹介されているのを見ると心底がっかりします。これから行こうと思っている場所なら、行く気がなくなります。
何がそんなに気にくわないのか、考えてみました。
「力をもらう」といった、現世利益的な態度でしょうか。しかし、それだけなら伝統的な寺社参りも同じです。特に神道には「御利益」を期待して「お賽銭」を投げるという、割と身も蓋もない習慣があります。お守りや絵馬も売っていますしね(「差し上げて、かわりに寄付して頂く」という建前ですが)。そういうことが悪いとは思いません。
では、オカルト的だからでしょうか。正直これはあります。それを言ってしまうととたんにうさんくさくなる言葉というものがあり、「パワースポット」はその一つです。また、「地磁気がどうの……」といったエセ科学的な説明も行われています。オカルトもエセ科学も私は大嫌いです。ただ、元々人が墳墓や神社仏閣を作るのは「信仰」に基づいてなわけですから、そういう意味ではオカルトやエセ科学との区別は必ずしも容易ではありません。
結局、「パワースポット」という言葉の軽薄な響きがイヤなんですね。それ以外に理由は思いつきません。まあ、個人的な好き嫌いの範疇と言ってしまえばそれまでです。
ともかく、自治体が域内の古墳・神社仏閣などを紹介する際、担当者は、「パワースポット」という言葉を毛嫌いする人間もいるということを心に留めておいた方が良いと思います。