厄介なのはスティグマ

庄内拓明さんがコピー問題の割り切れない思いで、コピー問題にも(大きく分けて)二通りあると論じておられます。そして、さらにコピーが問題にならない世界について深い洞察をなさっています。(ちなみに私は「コピー」を「デュプリケート」の意味に誤読して、頓珍漢なコメントをつけてしまいました(汗) 氏は、複製ではなく”コピー”についての話をされています)

さて、詳しくは当該エントリを読んでいただくとして、ここではコピーを問題にする人達と問題にしない人達との対立について論じましょう。

現在、先進各国が揃って知的財産権保護の強化に取り組み、かつてないほど著作権(や意匠権、特許権など)が強化されつつある一方で、フリーウェアという大きなムーブメントがあります。下世話な言い方をすると片方は「もっともっと金よこせ」と言い、もう一方は「金なんぞいらぬ、広く普及した方が良い」と言ってるわけです。 私も含めて、後者にシンパシーを感じる人が多いのは当然ですよね。

だがしかし、です。自分達はお金なんかいらないからといって、「いや、お金欲しいよ」という人達にまで権利を放棄せよというのはあまりに乱暴な話ではないでしょうか。印税等で我が身と家族を養っている人もたくさん居るのです。いきなり、「お前の作品も無料で再利用できるようにしろよ」と言われても困ってしまいます。やはり、現に存在している権利は尊重しなければなりません。

そこで注目されるのが クリエイティブ・コモンズ のような仕組みです。クリエイティブ・コモンズは、よく誤解されるように何でも非営利にしろとかパブリックドメインにしろとかいうわけではなく、あくまで著作物の利用が円滑に進められるように工夫された枠組みであって、権利者自身が著作物の利用のされ方を決めることが出来ます。クリエイティブ・コモンズにしたい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。これで万事解決、良いこと尽くめのように思われます。

しかし、ことここに至って、スティグマ問題が浮上するのです。
ここでスティグマとは聖痕のことではなく、奴隷や犯罪者に押された烙印のことです。自由な再利用を認める人達の割合が一定以上に達すると、それを認めない旧来の立場の人達に「守銭奴」というスティグマを押すことになってしまわないか、私はそれを危惧します。
ですから、著作権の「独占性」は今後も原則として維持し、自由に再利用を認めますよ、というのはあくまで例外に留めるべきであると考えます。

――もっとも、世の中「お金欲しい」人達の方が、「お金なんかいらない」という理想主義者より強固な地歩を得ているのが常ですから、上記の危惧は杞憂というものでしょうね。
と言うより、両陣営の一方があまりに優勢になるとマズいのであって、両者のバランスが取れているのが一番なのかも知れません。

まぁ、無料で使えるものが増えた方が嬉しいことは嬉しいですよね。ソフトウェアに関して言えば、しばしばフリーウェアの方が有料のものより優秀だったりするんですよね~。

※広義のフリーウェア。ソフトウェアに限定した話ではありません。ちなみに、クリエイティブ・コモンズはソフトウェアについては何も規定していません。

「厄介なのはスティグマ」への2件のフィードバック

  1. トラックバック、ありがとうございます。
    Copy と duplicate の違いを曖昧にしたまま雰囲気で使ったのは、私の至らなさと思い至りました。申し訳ありません。
    このあたりは意識的に言葉を選ばなければいけないんでしょうが、うぅむ、適当な言葉が思い浮かびません。今後の課題ということにさせてください。
    自然発生的フリーウェア (「萌え系美少女」 の絵みたいなのを、私はこう分類することにしました) は、なんとなく雰囲気で承認されるもののようで、そうでないのは、当然著作権でしっかり保護されるべきでしょうね。
    死後何十年とかいう問題はまた別として。

  2. いいえ、takさんの文章は十分明瞭だったと思います。copy と duplicate をごっちゃにしていた私の誤読です。申し訳ありません。
    > 自然発生的フリーウェア (「萌え系美少女」 の絵みたいなのを、私はこう分類することにしました)
    自然発生的萌え系美少女、例えば
    「firefox子(http://inu.imagines.jp/gallery/firefox.html)」なんかを企業が金に換えようとしたら、のまねこどころではない大騒動になりそうです(汗

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