もう一つの太閤水と伊藤常足翁旧宅

豊臣秀吉は筑前守(羽柴筑前)だったこともあり、九州とはさまざまなゆかりがあります。有名なのが新宮町にある「太閤水」です。

こんな感じで祠が建っていて、裏には水を汲むための電動ポンプもあります。私が行った時にもちょうど水を汲みに来ていた話し好きの女性がいて、この水の由来を色々と教えてくれました。

秀吉をはじめ側近達は皆茶人なので水にはうるさかったのだそうです。いわゆる九州征伐の途上、津田宗及がここに良い水を見つけ、秀吉は「宗及水」と名付けました。それが後に「太閤水」と呼ばれるようになったようです。まだこの頃は太閤ではなかったのですけどね(笑)

昔はこの井戸につるべを落として水を汲んでいたそうです。

さて、実は「太閤水」はもう一つ、若松にもあります。

こちらはかなりマイナーなようで、Googleマップにも載っていません。実際、車の入らない細い道をしばらく歩かなくてはいけないので、かなり行きにくい場所ではあります。

写真の真新しい花にご注目下さい。

もちろん、私が供えたのではありません。地元の人が、観光とは無縁のこのひっそりとした祠を守り続けているのでしょう。思わず頭が下がります。

二つの太閤水のなかほど、鞍手というところに伊藤常足の旧宅があります。

常足翁は江戸時代の国学者で、本居宣長の弟子の弟子に学んだそうです。『太宰管内志』を著しました。
この人はもともと古物神社の神職の家の生まれで、旧宅もその神社のすぐ隣にあります。

そして、またも愛車です。機動力を得たので名所旧跡巡りが捗ります。
神社の駐車場は未舗装で、特にぬかるんでいたわけではないのですが、後で見てみると泥ハネが凄くて閉口しました(笑)

神社の中に土俵があります。年に何度か地元の若い衆の奉納相撲で賑わうのでしょう。

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