投票に行ってきました。
今回の選挙では思うことがあります。それは先月、安倍総理が解散の意思を述べたとき、野党の一部から「なぜ解散するのか」との非難があったことです。特に民主党は麻生内閣の末期、総理に向かって「解散しろ! 解散しろ!」と連呼しておきながら、同じ口で今回の解散はまるで政治的暴挙であるかのように言っています。
今選挙をされると自分たちが議席を失う、というのは分かります。自民党の議員でさえ、本音は何もしなければ当分議員でいられるのだから危険を冒して解散などしないで欲しいと思っていることでしょう。それに消費税増税先送りという「飴」を与えた後に解散した安倍総理もずるいと言えばずるい。しかし、そういった党利党略、私利私略をいったん腹に収め、万歳と叫んで解散するのが我が国の美風ではなかったのでしょうか。
大学生が小学4年生を騙って「どうして解散するんですか?」なるサイトを作っていたという「事件」もありました。私はこのこと自体はさして悪いとは思っていません。まあ、経歴詐称の一種ですが、目くじらを立てるほどではないでしょう。
問題はこの大学生のみならず、学者、評論家、大手新聞の社説などまで「なぜ解散するのか」と、まるでそれが嘆かわしいことであるかのように書いていたことです。一体、民意が問われることになぜ反対なのか。理解に苦しみます。
結局、彼らは有権者を、ひいては民主主義を信じていないのでしょう。
先に述べたように一部の党にとって議席を失う恐れが高いわけですから、それらの党の支持者が「なんとかせねば」と思うのは当然ですが、そのなんとかが「選挙には金がかかる」といった批判でしかないとは情けない限りです。確かに、選挙にはお金がかかります。しかし、それは民主主義のコストであって、我々が甘んじて受けねばならないものです。
憲法学上、衆議院の解散は首相の不信任決議が可決されたときに限るとする69条説と、首相が必要と思うときに解散できるとする7条説(69条非限定説)とがあります。2009年、民主党が麻生総理に「解散しろ!」と迫ったのは7条説に立っていたと考えられます。それなのに、今度は「自分たちの都合が悪いから解散するな」とは、一貫性のかけらもありません。議席を失うのは自分たちが至らなかったからだと虚心坦懐に受け止め、どうすれば民意を得られるか真剣に考えて欲しいものです。