移民を受け入れるべきでない理由

近年、日本の人口の減少傾向が明らかとなり、移民を受け入れるべきか否かの議論が俄に熱を帯びてきました。

迥寞録では過去に「移民の受け入れより先にやるべきこと」と題してごく簡単に移民についての考えを述べましたが、今回はもう少し詳しく論じてみます。

移民に反対=排外主義ではない

まずは立場をはっきりとさせておきましょう。私は移民の受け入れに反対です。

移民に反対を唱えると、すぐに排外主義だとかゼノフォビアだとかいう非難が返ってきます。しかし、私が移民に反対するのは外国人を差別しているからではありません。むしろ、差別しているのは移民推進派の方です。

移民推進派は「最近の日本人はキツい仕事をしたがらない、だから外国人が必要」と言いますが、これこそ差別の最たるものでしょう。外国人を、というか人間を、単なる労働力としか見ていないから、簡単に「移民で人口減を補えば良い」などと言えるのです。

移民を単なる労働力としてではなく、我々と同じ、日本の未来を左右する意思決定に加わる者として見るならば、安易な議論はできないはずです。

日本とアメリカでは国の成り立ちが違う

また、推進派は二言目には「アメリカでは」と言います。確かにアメリカでは永住権取得から5年居住すれば市民権(帰化)を申請できます。さらに、アメリカ市民と結婚すれば3年で申請できます。

「だから、日本でもそうせよ」と言うのですが、それはおかしな話です。なぜなら、日本とアメリカでは国の成り立ちが全く違うからです。アメリカは移民によって作られた国です。従って、今後も移民を受け入れ続けるのがフェアというものです。アメリカに移民を拒否する権利のある者がいるとすれば、それは原住民だけでしょう。

翻って、我が日本では、殆どの人が「原住民」なわけです。私も、そして恐らくこれを読んでいるあなたも皆、ネイティブ・ジャパニーズです。私達は、移民を受け入れるか否か、また受け入れるとしたらどのような基準を設けるかを決める権利があります。(誤解のないように言っておきますが、ネイティブではない日本人を差別するわけではありません。彼らは国民の代表が定めた法律に基づいて、決められた手順を踏んで日本に帰化したのですから)

もっとも、アメリカに学ぶべき点もあります。それは、新たにアメリカ市民となる人には、アメリカ合衆国への忠誠(Allegiance)が求められるということです。日本には、戦前、国家に対する忠誠が強調されすぎた歴史があり、今も日の丸や君が代に対してアレルギーがありますが、外国人に対して「日本という素晴らしい国の一員になりませんか?」と呼びかけるつもりなら、まずそのアレルギーを治す必要があります。

移民以外にも手はある

移民は一切お断りと言うのではありません。日本の文化と風土を愛し、日本に対して忠誠を誓う人なら、元の国籍が何であれ日本人として認めるし、歓迎します。しかし、そうではない人、日本を愛していない人を労働力の埋め合わせのために受け入れるのは断固反対です。

なるほど少子高齢化は深刻ですが、経済の衰退を食い止める方法は、移民の受け入れ以外にも幾つかあります。イギリスのような金融立国もその一つです。労働力の不足についても、労働集約型の産業は減りつつあり、しかも、従来人間が行っていた作業をロボットが肩代わりしています。

いったん受け入れた移民に「ロボットがあるから、あなたたちはお国に帰って下さい」というわけにはいきません。繰り返しますが、受け入れた以上、移民は日本国民として完全なる権利を持つのです。

慎重の上にも慎重な議論が必要です。

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