誰しも目の前の札束には抗いがたい

札束猪瀬直樹氏の辞任に伴う東京都知事選が行われます。

去年は忙しくて書きそびれていましたが、氏が問題の渦中にあるときにはあまりの集中砲火の凄さに、つい気の毒に思ってしまったりもしたものです。判官贔屓と言いますか。

だいたい、「賄賂を受け取った」みたいな印象で報道されていましたが、借りた金を政治資金収支報告書に記載していなかったという政治資金規正法違反の疑いに過ぎません。しかも、同法は会計責任者を罰する法律であって、猪瀬氏自身が罪に問われることはないはずです。

もちろん、会計責任者が猪瀬氏の意向を無視して勝手に記載しなかった、ということは考えにくく、結局のところボスである猪瀬氏には道義的責任があるとは言えるでしょう。

でも、考えてもみて下さい。いやがる相手から無理やり金を巻き上げたんじゃないんです。向こうから頼むから貰って下さいと言って持ってきた金なのです。私なら迷わず貰います(笑)

通常の感覚からすると、やってはいけないこと(≒犯罪)とは、相手のいやがることですよね。ところが、この場合、相手の希望通りに金を受け取ったことが罪に問われているわけです。

この点が、(広義の)収賄が罪の意識を伴いにくい原因です。

繰り返しますが、だから金を受け取ってもしかたがないというわけではありません。一見被害者は誰もいないようですが、実は「政治的な公正」が失われているからです。

猪瀬氏も頭では分かっていたのでしょうが、目の前の札束に抗いきれなかった時点で、都知事としては失格でした。

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