岡田克也副総理が、今日午前放送されたTV番組の中で「どちらが政権を取っても増税するなら、何のために信を問うのか。選挙をしている時間はない」と述べたそうです。
まるで、国民は、増税するかしないか、それのみに関心があるとでも言いたそうな口ぶりです。確かに増税は重大な関心事ではあります。しかし、私を含めて若干の人々にとってより重要なことは、彼ら政治家が自分自身の言葉にいかに忠実であったか、です。
最初から増税すると言っていて、その通りに実行するのと、増税はしないと言っていて、後になってやっぱり増税というのでは、大きく異なるのです。「どうせ、自民でも民主でも増税なんだから同じこと」というのは議論として粗雑であるだけでなく、主権者たる国民を愚弄する許し難い暴言です。
自由委任ではあるが
確かに、我が国に於ける主権者と代表者との関係が「自由委任」である(憲法34条など)ことは異論を見ません。もし、(自由委任の反対概念の)「命令委任」だとすれば、A という団体のおかげで当選した議員は、国会に於いて 100% A 団体の命令通りに行動しなければならず、代表者というよりは単なるメッセンジャーになってしまいます。
ですから、「自由委任」、つまり、議員は当選した後は自由に行動して構わない、ということになっています。語弊を恐れずに言えば、公約違反をしても良いのです。文句があるなら次の選挙で落としてくれ、ということです。
選挙による審判
そう、選挙で落とすのが肝要です。
いいですか、選挙で落とすのですよ。
議会制民主主義は、代表者の言説並びに行動を吟味し、正しく評価できる有権者が居て初めて成り立つものです。議員は、自由委任だからと好き勝手にやって良いのではありません。むしろ、自由委任だからこそ、いかに真摯に公約(マニフェスト)を守ろうとしているかが問われるのです。
この点、さきの岡田副総理の発言には真摯さのかけらも見られません。前原誠司政調会長の「自民党は国会でマニフェスト(政権公約)を取り下げろといい、取り下げた段階で『ほらできなかったじゃないか』という。やり方が非常にせこい」という発言も同様です。
なるほど、去年の大震災により、事情が変わってしまったのは分かります。どの党が政権を取っても増税は避けがたいでしょう。
しかし、それならば、民主党はもっと熱心に語りかけるべきです。「マニフェストにはなかった消費税増税ですが、これこれこういうわけでどうしても必要なのです」と。もし、十分に国民を納得させることができれば、解散総選挙によって信を問うたとしても、再び政権を取れるはずです。
「何のために信を問うのか」などと言っているようでは、彼らに未来はありません。