少し前に太平洋戦争末期のいわゆる特攻に関してTwitter上でちょっとした議論をしました。そのときの発言についてはこちらにまとめられています。Twitterというメディアは互いの発言を十分に咀嚼しつつ語り合うのに向いておらず、どうしてもやや噛みあわない感じになってしまいますが、概ね言いたいことが言えたように思います。
あれから2ヶ月半経って自分なりに考えを深め、また『「知覧」の誕生』という書籍にも目を通しましたので、これから数回に渡ってそのことについて述べます。
特攻は無意味だった?
発端は私の発言、「特攻隊員の苦悩に思いをいたし、感謝を捧げることと、特攻を生んだ権力構造をそのまま肯定することとは違う」に対して、長 高弘さん(@ChouIsamu)が、「何の意味も無く死んだ人に捧げるべき感情は「悲しみ」や「憐み」や「悼み」であって「感謝」では無い」とコメントをされたことでした。
正直に言うと、「感謝」という言葉は深く考えて出たものではなく、私自身完全にしっくりきていたわけではありません。長さんをはじめ多くの人がこの「感謝」に違和感を持ったようです。
私としてはこの時点では「感謝」という言葉には特にこだわりは無く、むしろ長さんの発言の「何の意味も無く死んだ」という部分に強い反発を感じました。特攻隊員への冒涜だと思ったのです。
誰にとっての「意味」か
もっとも、ひとくちに特攻の「意味」と言っても、それが指すところは語る者によって異なります。
当事者 | 第三者 | |||
---|---|---|---|---|
敵 | 味方 | |||
主観的 | 肯定的 | 勇敢な死 | 大義に殉じた | 理性的な選択 |
否定的 | ロボットのよう | 犬死に | ファナティック | |
客観的 | 肯定的 | 損害大 | 戦果大 | 有効な作戦 |
否定的 | 損害小 | 戦果小 | 不合理な作戦 |
まず、特攻の意味を主観的に捉えるか、客観的に捉えるか。そして、それぞれについて肯定的・否定的な捉え方があり得ます。
さらに、当事者と第三者で、また、当事者でも敵(連合国軍将兵)と味方(日本軍将兵)とでそれぞれ違った「意味」を見いだしていたはずです。特攻を目の当たりにした米兵の中には彼らの理解の外にある行動に日本軍への敵愾心を募らせた者も多かったと言います。
特攻隊員個人にとっての「意味」
最も当事者性の高い特攻隊員個人にとって、特攻の意味とは何だったのでしょうか。遺書などに残された「笑って死ぬつもりです」だとか「お国のために死ねるのなら本望です」といった言葉を検閲に対する建前に過ぎないと考える者も居れば、ある程度本心が含まれているとする者、100%本心だとする者も居ます。
死にたくないというごく自然な心情を吐露することに対して当時の社会が抑圧的であったことは確かです。その点を重く見れば建前だったということになります。ただ、そういった外部からの抑圧だけでなく、自分自身でも「これは崇高な使命なのだ」と強く思い込もうとしていた、言い換えれば「死は鴻毛より軽し」という思想を内面化していたと捉えるならば、半ばは本心であったとも言えるかもしれません。
ただ、このように「本心であるか疑う」こともまた、特攻隊員への冒涜ともなりうるのが悩ましいところです。
「戦果」は客観的に計測し得るが……
特攻作戦の客観的な「意味」とは即ち「戦果」です。これについては定量的な研究がなされており、Wikipediaに拠れば、米軍の全損傷艦船の48.1% 全沈没艦船の21.3%が特攻によるものであったということです。ただし、この数字自体は客観的と言えますが、「だから特攻作戦は有効だった」ということになれば、途端に主観的な評価へと転化し得ます。
このように特攻の「意味」は互いに入り組んだ多層的なものとして捉える必要があります。
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第三者による主観的な意味づけということに関して言えば、後世の我々日本人はもちろん、世界各国の人々が誤解も含めて様々に「カミカゼ」を解釈しています。次回はこのことについて述べます。