教わり上手にならねば

今日はやや漠然とした話です。

少し前、安倍前首相が「目途」のことを「モクト」と読んで、「メド」ではないのか、と話題になりました。実は、俗にメドと読むことが多いものの、モクトが正しいのだそうです(目処=メド、目途=モクト)。私はこのとき初めて知りました。このように言葉を間違えて覚えていることって誰にでもありますよね。まぁ、目途をメドと読むのはかなり一般化しているので間違いではないかも知れませんが。
よく指摘されるのが「汚名挽回」や「的を得る(※)」ですが、他にも千差万別、人によって様々な間違った言い回しがあります。恐らく、学齢期に間違って覚えたままになってしまっているのでしょう。かく言う私も、この短い文章の中でさえ何か間違いをやらかしているかも知れません。まぁ、私ごときはともかく、相当なインテリの人の文章でも、極めて初歩的な間違いを発見して驚くことがあります。

そこで思うのが、そういう人は今まで教わることを避けてきたのではないか、ということです。どういうことかと言いますと、言葉の間違いを指摘された時、「そのくらい分かっとるわい、ちょっと言い間違えただけじゃ。それを鬼の首でも取ったように……ブツブツ……」という態度を取る人がいるのですね。要するに間違いを認めない人です。こういうのに出くわすと、二度と教えてやるものか、ということになる。誰も教えてくれないから、往々にしていつまでも間違ったまま歳を取ってしまう。実にもったいない生き方ですね。
こういうときは、「ああ、正しくは○○というのですか。勉強になりました、ありがとうございます」と、教えてくれた人に大いに感謝しなくてはいけません。

とは言うものの、教え方がマズい人がいるのも事実で、どうしてもカチンときてしまうこともありますよね。でも、そこをなんとか堪えてあくまで腰を低くし、常に教えを請う態度をとり続けるのも人としての修行のうちではないかと思います。
難しいのですけどね。

尚、「修行」といっても怪しい宗教の受け売りではないのでご安心下さい(笑)

 

自動車のドアを開くるやくさめ出づ

※追記:
今日、「的を得る」は「的を射る」の誤用とするのが一般的ですが、漢籍に詳しい人によると、的を得るも必ずしも間違いとは言えないそうです。

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