先日、ある人が「吉野家にはミニ牛丼がない、並では多すぎてデブになってしまう」と言っているのを聞いて愕然としました。男性ですよ。私の感覚では吉野家の並は少なすぎるのですが。
そこで、吉野家のサイトで確認すると、
なるほど、セット前提のミニ牛丼はありますが、単品では並が最小のサイズのようですね。気になるカロリーは 674kcal だそうです。結構ありますね。でも、大の男が気にするほどとは思えません。
デブでそんなに悪いのか
冒頭の男性の発言が示す、太ることへの過剰なまでの抵抗感はどこから来ているのでしょうか。
もちろん、太りすぎは健康に悪いし、見た目も良くありません。スリムな方が良いにきまっています。しかし、昨今の「肥満恐怖症」とも言うべき現象が、これほどまで広がっているのは異常です。
恐らく、時代の閉塞感を反映し、肥満者差別が先鋭化しているのが原因でしょう。
デブは醜くて存在しているだけで不快だとか、死ねば良いとか、とにかく酷い。
「チビやハゲはどうにもならないが、デブは本人の努力で防げる。そうしないのは本人が悪い」という、一見もっともらしい理屈をこねる人もいます。確かに、差別を「本人の意思では変更不可能な属性を攻撃すること」と定義すれば、デブ差別は差別ではありません。
が、国籍差別はどうなんでしょう。特定の宗教の信者の差別は? 国籍も宗教も「変更不可能」ではありませんよね。でも、変更しなければならない謂われはないし、これらはやっぱり差別に他なりません。
肥満に対する場合も同じです。要するに、「人は痩せる努力をすべき」という信念を持つのは勝手だが、それは誰かを傷つけて良い理由にはならない、ということです。
最近は、医者でさえ異常です。検査もせず、口を開けば「痩せなさい!
痩せましたか?」しかも、外科や整形外科の医者に何が解るのでしょうか?誰かが「魔女狩り」と言ってましたが、正にそうなりつつあるとありあります。WHOの定義も基準があいまいなのに、政府が製薬会社や医師団体と結託して、勝手にメタボ検診を推奨した、弊害です。
まったく、デブ=メタボ=犯罪者or伝染病患者の扱いはやめてほしいものです。
もともと人間は差別が好きな生き物なのかもしれませんね。でも今は人種や性別による差別は公然とはできないので、肥満などに矛先が向かう、と。
百万言を費やしても肥満体の醜さは否定できんよ。
男性はカロリーを気にしないことが普通だと思ってることの方が、
よっぽど「過剰」だよ。
美醜はそれこそ個人の主観でしょう。
もっとも、実は私も結構カロリーは気にしています。見栄えの問題もあるけど、血糖値がヤバイんで。