サッカーで苛められていた? サッカーならまだ良い

はてな村定点観測所」の「サッカーで苛められていた。日本代表には早く負けてほしい」という記事に目がとまりました。

「お前は何もしなくていいからな!絶対何もするなよ!」と念を押されるほどサッカーが苦手だったそうです。嫌いになるのも無理はありませんが、これってサッカーに限らず全てに当てはまることですよね。

人々があることについてどのくらい適性があるかは、たくさんのサンプルを採れば正規分布に近似します。

正規分布

このグラフから分かることは、人間の半分はあることについて平均以下の適性しかないということです。

サッカーならまだ良いのです。「勉強」に関して「できない方の半分」に位置する人は人生がハードモードになってしまいます。彼らのルサンチマンは察するに余りあります。

現代の社会は学校のお勉強に重きが置かれすぎていて、できないと「ダメな子」の烙印を押されてしまいます。

しかし、実際は学校のお勉強、例えば数学なんて、少々できたって社会に出ればたいして役に立ちません。その意味ではサッカーと似ています。

論理的思考が身につくと言いますが、そんなものなくても生きていけます。直感で世渡りしている人の方が成功しやすいとさえ言えるほどです。ただし、それに気づくことが重要です。「(勉強ができない)オレなんかどうせ……」と膝を抱えたままでは成功できるものもできなくなってしまいます。

じゃあ、数学が得意じゃない人は頑張らなくて良いのか、サッカーが苦手な人は上達するよう努力しなくて良いのか。極論すればその通りです。

しかし、ここからは私の持論ですが、それでも人は何か努力しなければならないのです。一つは得意な方面を伸ばす努力。勉強は苦手でも絵が描けるとか、楽器が弾けるとか、カブトムシを捕るのが上手だとか、何かあるはずです。

そして、もう一つは苦手なお勉強も少しはやらないといけないということです。生活に必要なお金の計算や、チラシが読める程度の漢字の書き取りは、やはり必要です。これらは運動が苦手でも、少しは体を動かさないと足腰が弱ってしまうのと同じことです。

人よりできないからと引け目に感じてはなりません。ただ淡々とやるのです。間違いなく自分にとってプラスになるのですから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*