先日話題にした競走馬のデルタ・ブルースですが、Wikipedia によると香港名を「密州怨曲」と言うそうです。密州はもちろんミシシッピ州のことでしょう。そして怨曲がブルースなのでしょうが……怨って(笑)
以下、ちょっと真面目な話。
確かに、昔のアメリカ南部諸州で黒人達がいかに抑圧されてきたかを考えれば、「怨」というのもあながち間違いではないようでもあります。 しかしながら、少なくとも芸術にまで高められたブルースに於いては、そういった生々しい「怨」は、そのままの形では存在し得ないでしょう。ブルースのなんたるやを論じ始めると長くなって大変なのですが、かいつまんで言うとブルーな気持ち、恐らくは白人のメランコリーとはまた違った「憂鬱さ」を表したものかと思います。ブルーはやっぱりブルーなのです。うらみではなくて。
「人種差別を撤廃せよ!」と声を張り上げて拳を突き上げるような、そんな音楽ならば、私たちがこうまで心惹かれることもなかったのではないでしょうか。無論、人種差別に賛成だというわけでは毛頭ありません。ただ、特定の主義主張に与する芸術はおしなべて人を感動させる力が弱いと言いたいのです。
ちなみに、ブルースにはブルーなことばかりではなく楽しい出来事を歌ったものも多くあります。もっとも、それも日常の憂さを忘れるためであったとすれば、やはりブルーな気分と表裏一体なのですが。
追記:
中国語の「怨」は、特定の誰かを怨むというだけでなく、気分の晴れないこと、残念な気持ちを表すこともあるそうです。
cf.「乱世ノ音ハ、怨ニシテモッテ怒シ」〔詩経〕