ケーキの切り方と公平の観念

またも頭の体操です。

ここにケーキがあります。まん丸い奴です。
二人の兄弟でこのケーキを分けるのですが、もっとも公平な分け方はどのようなものでしょう?

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手続きの正当性

多くの人が真っ先に考えつくのは次のような方法だと思います。

まず、じゃんけんでも何でも良いので、「切る人」と「分ける人」を決めます。例えば、兄が切ったら、弟が好きな方を取って良いわけです。
切り方が不揃いだと、大きい方を弟に取られてしまいますから、兄はできるだけ同じ大きさになるように努めることでしょう。

ほぼ同じ大きさの二切れのうち、弟が小さい方を選んだとしても、それは本人の判断ですから問題ありません。

この方法は公平さを担保する手続き、いわゆるデュー・プロセスを志向していると言えます。

権威に依る

別の考え方もあります。
上記の方法では、兄弟の取り分がほぼ同量になることが予測されますが、果たしてこれで本当に公平と言えるのでしょうか?

例えば、弟が小学校一年生、兄が六年生だとします。半分こでは、体の大きさに比して、弟には多すぎ、兄には少なすぎるかもしれません。

あるいは、年の離れた兄弟で、弟は小学校六年生、兄は二十五歳だとどうでしょう?
甘いものが食べたい盛りの弟に多く与える方が公平かもしれません。

下手に手続きを固定化するよりは、一定の権威を持つ裁定者に従う(例えばお母さんに切ってもらう)、と定めた方が合理的であるという考え方もあります。(でも、二十五歳の兄が「お母さん、切って~」とか言ってたら、マザコンっぽくて嫌ですね(笑))

長引くと価値が目減りする

イソップ物語に、小熊の兄弟がパンの分け方で争う話があります。狐が割って入って、大きい方のパンを少しかじる、っていうあの話です。
結局、「まだ、こっちの方が大きい」「今度はこっちが大きくなった」と言って小熊が争いを続けているうちに、大半が狐に食べられてしまうわけですが、人間界にもこの狐とそっくりなのがいます。そうです、弁護士ですね(笑)

この寓話は、紛争が長引けば弁護士料を初めとしたコストが掛かる、という教訓を与えてくれます。

仮に、悪い狐に上前をはねられることが無かったとしても、時間が経てば、パンやケーキは幾分劣化し、最後には食べられなくなってしまいます。

いろいろな考え方がある

私を含めて、自分では賢いつもりの石頭に限って、最初に挙げた、一方が切って他方が好きな方を取るという方法を思いついて、そこで思考停止してしまいがちです。
実際には、単に大きさが同じならば公平というわけではないし、切り分ける際のコストも考慮に入れなければいけません。
中には、「大きさにはこだわらないが、いちごだけは譲れない」という人もいます(女性に多い)。上に乗っている砂糖菓子が好きな人もいます。

現実の社会にはこのような主観的要素が多々あり、定量的に把握できる要素、例えばケーキの体積や重量しか考慮に入れずにぶった切るのは、実は公平とはほど遠いのです。

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