実はこうした文章論に類するものを書くことに、私はいささかの躊躇と羞恥をおぼえざるをえない。というのは、私自身が特にすぐれた文章を書いているわけではないし、もちろん「名文家」でもないからだ。
本多勝一「日本語の作文技術」より
当ブログでは、何度か他人の日本語に偉そうにダメ出しをしています(参照)。しかし、では自分の文章に余程の自信があるのかというと全然そんなことはありません。少しでもマシになればと、本多勝一さんの「日本語の作文技術」を読んでみました。
「あなたのメールもレポートもたちまち『名文』になる!」という帯の煽り文句に反して、地味だけどもよく研究された内容です。
例えば、「白い」、「横線の引かれた」、「厚手の」という三つの修飾語がいずれも「紙」という名詞に係っている場合、
白い横線の引かれた厚手の紙
としてしまうと、横線が白いのかと思われてしまうので、
横線が引かれた厚手の白い紙
などとすべき、というような話です。
テンは減らした方が良い
句点を「マル」、読点を「テン」と表記してあるのが印象的です。句点・読点という言葉はイメージしやすいとは言いがたく、私などは「えっと、句点はマルのことだっけ」と一瞬考える必要があります。「マル」、「テン」なら頭にすっと入ってきます。こういう工夫が大事なのでしょう。
で、肝心の句読点の打ち方です。詳しい内容は本を読んで頂くとして、かいつまんで話すと「テンは必要なときにだけ打つべき」なのだそうです。
うれしいです・かなしいです
形容詞の原形に直接「デス」「ダ」を繋げるのは、戦前は間違いとされていました。戦後の国語審議会ではこの用法も許容されるようになりましたが、本書は「軽薄・下品」と断じています。
私の感じ方は少し違って、下品というより「幼稚」ですね。
現在ではむしろ、「うれしゅうございます」「かなしゅうございます」という「正しい」言い方が、「気取った」「バカていねいな」印象を与えることも注意を要すると思います。
このブログでも、ところどころ「うれしいです」「かなしいです」式の言葉を使っていますが、修正の必要は感じません。
著者は左翼
この本は作文の「技術」に的を絞ったものなので、著者個人の思想を云々するのは筋違いかも知れません。しかし、目に余る部分もあります。
戦争犯罪人・岸信介を総理大臣に選んだかなしき日本。
という文には出典がついていないので著者の頭の中から出た文章のはずですが、ここまで酷いといくら例文にすぎないとしても気になってしまって、読み進むのが困難になります。
勝者による戦争裁判自体に大いに疑問がありますが、仮にそれを認めたとしても、岸信介は不起訴になったのであって、戦争犯罪人ではありえません。
まあ、例文はあくまで例文なので気にしなければ良いのですが。
技術を学ぶには良い
「うれしいです」式の言葉を「サボリ敬語」と呼ぶ著者は、しかし、「共通語(いわゆる標準語)として一方的に決められた『東京・山の手』の言葉は、徳川家の出身地の三河系の言葉が江戸時代に武士社会で有閑階級的発達をとげたもので、下町の庶民はあんな生活の匂いのない言葉など使ってはいなかった。その意味では、サボリ敬語はむしろ喜ばしい傾向なのだろうか」とも述べています。
「日本語の乱れ」を嘆くオジサンとしての彼と、「完全なる平等」を目指す以上その論理的帰結として敬語はいずれ廃止するほかないと考える左翼としての彼とがせめぎ合っているようで興味深く感じます。
左翼的なのも道理で、著者は元朝日新聞編集委員(当然その前はヒラの記者を経験したはず)です。私がこの本をあまり好きになれない理由もそれなら、書いてあることに信頼を置く理由もそれです。思想的には相容れませんが、新聞編集の現場で揉まれてきた「技術」は伊達ではないと思うからです。
サヨク、サヨクと書きましたが、例文等からなんとなくそう感じられるというだけで、思想を押しつけるような内容ではありません。文章技術に関しては実に勉強になる本です。